9月の菊の節句に、
大切な友人、あかねさんの披露宴があった。
普段から、菊の花がことのほか好きなのは知っていたが、
菊づくしのしつらえは、高貴で美しくて
二人の感性と強い意志を感じさせてくれるものだった。
“ 今日まで私たちを支えてくださった
多くの方々に深く感謝しております
まだまだ未熟な もとい
熟しすぎ 腐る寸前の二人ですが
これからも末永いお付き合いを
お願いいたします ”
(式次第 の挨拶文より)
出席者の緊張をほぐす、こんなユーモアは、
50代と60代の結婚だからこそ。
双方、二度目とのことで、
あかねさんにはすでに可愛いお孫さんがいる。
でもお二人の、生き生きとした美しい表情には、
理想の相手に出会えたよろこびと
人生の新しい展開への楽しみが満ちていた。
あかねさんの髪には、
優しい色合いのピンポン菊が飾られていた。
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披露宴会場は、
金沢の老舗料亭「壽屋(ことぶきや)」さん。
金沢市の指定文化財にもなっている名店である。
重陽の宴のために、お床の花も菊づくし。
そして乾杯のお酒は
小さな花びら浮かぶ「菊酒」という趣向。
このあとの手間ひまかけたお料理と美しい器は
言うに及ばず。
あかねさんがこの日のために、コツコツと作り続けてきた
陶製の箸置きも菊と菊葉の意匠。
新郎新婦に合わせて列席者の年齢層も高いので
宴の雰囲気も落ち着いていて、
肩から力が抜けた楽しさだった。
みんなが心地よくゆるんだあたり、
主計町(かずえまち)芸妓の桃太郎さんが
美しい黒留袖で駆けつけ、
お祝いの踊りを舞った。
魂を込めた踊りとはまさにこれだった。
桃太郎さんの髪にも
さりげなく、菊。
あかねさんにとって、?月の菊花は、
特別の思い入れがあったようだ。
幼い頃亡くした父親、10代で亡くした親友、
いずれも?月。
菊は、父と友を弔った花なのだという。
父と友の魂と共に、この菊の宴を、
ずっと潤んでいたあかねさんの目には
いろんな思いがあふれていたのだろうな。
ほんとうに美しくて
純粋な思いが込められた宴だった。
この日から、菊の花は
私にとっても特別な花になった。
花はいつでも静かに
たくさんのことを伝えてくれる。
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山を流れる一筋の沢が
鹿の血で赤く染まった夜
私の中に一粒の種が落ちた
種はやがて芽を伸ばし
光で満たされると
いっせいに花を咲かせた
( 橋本雅也 作品集「殻のない種」より )
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彫刻家、橋本雅也さんの作品展が、
近くの禅寺、広誓寺(こうせいじ)で 先日 行われた。
橋本さんが彫った数点の花々は
かつて山を駈けていた一頭の鹿だった。
その骨や角をすべて使って、花を彫った。
橋本さんの苦しみ抜いた心に咲いた花たち。
骨や角だったと言われなければ気がつかないほど
精緻で繊細な花。
骨や角は曲げられないので、
そのままの形を生かして彫った。
骨から咲いた花たちの、柔和で気品ただよう表情は、
見る側の心まで清めてくれる。
それは、花の姿をした仏のようにも見えた。
橋本さんは、もともと骨や角などを彫刻の材料にしてきたそうだが、
材料のもとの姿と ちゃんと対峙しなければ、
という思いが強まり、知り合いの猟師さんに頼んで
鹿猟に同行させてもらうことになった。
そしてその夜、一頭の雌鹿が撃ち殺された。
雌鹿のお腹には、もう一つの命が宿っており、
二つの鼓動が夜の冷気に消えていく様を
橋本さんは、目の当たりにすることになる。
その時の思いを、写真集「殻のない種」で
せつせつと綴っている。
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受け取った命を、自分なりの方法で生かしたい、
と思うものの、
すぐに彫り始めることはできなかったと . . .
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その夜、心の中に宿った種が
ある日、光に満たされて
一斉に花を咲かせた . . .
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私は橋本さんの作品を拝見して
どの花とも目が合わないことに気がついた。
思うに、とても謙虚な気持ちで、
自分を消して、ただひたすら
鹿への供養と、花に託す命を彫っていったのではないかと思った。
花が正面切って魅惑してこない。
つまり、「どうでしょう、きれいでしょう」
という感じではないのだ。
自然に咲く花が無心に命を燃やすように、
橋本さんの花も、媚びず、おごらず、咲いている。
私は身を正される思いだった。
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お寺の、座禅堂での展示がまたすばらしかった。
企画してくださった方々に心から感謝します。
ここに掲載した写真は、すべて私が撮ったものです。
橋本さんの作品集の写真は、格段に素晴らしいです。
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