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15年前の10月、コスモス咲き乱れる季節に
私は東京での修行を終え、石川にもどってきた。
そして田舎の自宅の一室を花の仕事場にして、
「花のアトリエ こすもす」と名付けた。
この季節、家の庭はコスモスでおおいつくされる。
だから簡単に、かなり安易に、そう決めた。
でもこの花は、私と強い絆で結ばれた花なのだ。
![Img_5590 Img_5590](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/8c/04c8548f3dbe86cb31a2ed71ef531e4f.jpg)
小学校時代最後の夏休み、
毎日遊びに行っていた川の中州に
一株のコスモスが育っていた。
川上から種が流れ着いて、やっとの思いで根付いたのだろう、
ヒョロリとか細い茎の先端に小さなつぼみがついて、
夏の終わりに、淡いピンクの花がひとつ開いた。
![Img_8615 Img_8615](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/5e/4b6b026db991f5e53aaca3a9c89acaf9.jpg)
翌朝、台風の接近を大人たちが話題にしていた。
通学路にも、むぁっとした風が吹いていた。
雨が近づいている。
私は突然、あの中州のコスモスを思い出し、
学校から帰るや否や、スコップを持って川へ走った。
すでに強風にさらされ、
右に左に大きく揺れているコスモスを
私は根から掘り起こし、家の庭に移植した。
これが私とコスモスの、長い付き合いのはじまりとなる。
![Img_3889 Img_3889](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/08/5ad6c0e6f1bf9713c70c33f098554696.jpg)
瀕死のコスモスは、しっかり庭に根付き、
こぼれた種から翌年にはたくさんのコスモスが咲いた。
そして数年のうちに、庭はコスモスの花園に。
いつの間にか白や赤のコスモスも咲くようになり、
色とりどり、楽しそうに唄っている。
![Img_0181 Img_0181](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/22/8fa2c920073c514859a932d3b82c720a.jpg)
母もせっせと家中にコスモスを生け、
霜が降りる頃まで、私たちは
コスモスの優しい姿につつまれて暮らすようになった。
もはや他の何を植えても、
秋にはコスモスにおおわれてしまう庭。
やがて「こすもす」と名付けた花のアトリエで、
秋には思う存分その花を生けて遊ぶ。
生けても生けても減らない。
生けるのに飽きることもない。
あまりにもよく生けすぎて、
生けるというよりは
会話をしている感覚になってしまった。
あふれるように咲いていても、
一輪一輪、表情がちがうので、
あなたはここね、と
一番きれいに見える場所をさがしてやると、
にっこり笑って返してくれるのだ。
![Img_8624_2 Img_8624_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e7/c4d92df7f5279bd48ac61d7abd4e1a16.jpg)
優雅に咲くのに、
台風の季節を生き抜く力を 兼ね備えた花。
風には抵抗せず、しなやかに揺れる。
たとえ倒されても、
地面についた茎から根を生やし、
また空に向かって茎をのばしてくる。
その姿は憧れであり、
私に多くのことを教えてくれた。
![Img_0138 Img_0138](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0d/759638a1a379d0657c15adb8acb6e1f8.jpg)
コスモス(kosmos / cosmos) は
ギリシャ語で、調和するという意味だそうだ。
そこから「宇宙」という意味につながり、
つまり自然界の完璧なるバランス、調和の象徴、
ということになる。
風に揺れるコスモスを眺めながら、
まだまだつかめない宇宙を考える。
花一輪の不思議。
その一輪の宇宙がわかるようでわからない。
そんな秋の日々。
![Img_0703_2 Img_0703_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/10/6afdfeccbf85e71256de0fe724b0b0ca.jpg)