語りかける花たち

角島 泉(かどしまいずみ) 花日記
 ~石川の四季、花の旅、花のアトリエ こすもす日々のこと


ひまわりが繋ぐもの

2010年07月29日 | 庭の花たち
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灼熱の夏がやってきた。

この強烈な太陽光をあびて、

ひまわりが爛々と咲いている。

あたかも、太陽の化身のように。



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ひまわりの、この野性味あふれる匂いは、

瞬時に、私を遠い日の夏に旅立たせてくれる。

ひりひりするような光の触感も、

あの旅の記憶と直結しているようだ。

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20代の半ば頃、私は長い放浪の旅に出た。

アジアからヨーロッパへ、ユーラシア大陸の旅。

真冬の日本を発って、

真夏にトルコにたどりついた。

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イスタンブールの市場(バザール)では、

様々な木の実やドライフルーツが売られていたが、

中でもひまわりの種は

トルコの人々にとても親しまれているらしく、

小さな紙袋に量り売りしてもらって、

それをポンポン 口に放り込みながら、

歩いている人をよく見かけた。


その時まで私は、ひまわりの種といえば、

オウムの食べ物と思い込んでいたので、

目からウロコが落ちたようだった。


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イスタンブールから、

ギリシャへ向かう長距離バスの中。

私はいつの間にか、眠りに落ちていた。


突然、むせるような植物のにおいにつつまれ、

目が覚めた。

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窓の外は、見渡す限りのひまわり畑。

バスは、ひまわり畑の真ん中を

ずんずん進んでいった。

2時間? いや3時間?

行けども行けども、ひまわりしか見えなかった。


手には、さっきバザールで買った、

ひまわりの種。

ひとつまみ、口に放り込んだ。


この小さな種が、大地に蒔かれ、

やがて太陽に向かって

黄金色の花を咲かせるのだ。


その生命のいとなみの中に、人間がつながっている。

ひまわりと、地球と、太陽と、私たち。

小さく、大きく、つながっている。


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ちなみに、ひまわりの花は、

小さな花の集合体である。

つまり、花びらの内側の黒いところにある

小さな黄色い点々が、ひとつづつ、花なのだ。


そして、そのひとつの花が受精して、

ひと粒の種になる。

一粒一粒に、熱いロマンが秘められているのだ。


たくさんの情熱を乗せた一本のひまわりが、

ぐんぐん太陽に向かってのびていく。

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亜熱帯カフェという余興の作品

2010年07月20日 | 作品展、コンサートなどのイベント
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花の作品展を、夏に行うのは初めてのことで、

植物をあつかうには、かなり過酷な試練が待ち受けていた。

なにしろ、蒸し暑い 。

その悪条件を楽しんでもらおうと考えたのが、

1階に作った「亜熱帯カフェ」。

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いつもは花の販売をする場所。

花は売らずに、カフェという作品を作った。


今年の始めに訪れた、バリ島の思い出を

日本の亜熱帯な夏に咲かせた。

花も 緑も 鳥も。

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3階の「空想の森」を見て下りてきた人たちと、

お茶を飲みながら、このもう一つの森で

のんびりおしゃべりをする。


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ゆるい時間が流れるとは、こんな感じなのだろう。


感想文の代わりに絵を描く子供の図。

無心で描く。

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夕暮れの頃、好奇心でいっぱいの大人たちが集まってきた。

「夜の森の演奏会」

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打楽器奏者 matabe(マタベ) さんによる、森の音楽会。

matabeさんは、県内在住だが、

深い山奥の森に住む人である。

この夜のために、山からおりてきてくれた。

Matabe

たくさんの楽器をもって。

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matabeさんの演奏は素晴らしかった。

大自然の鼓動をしっかり感じている人だから、

緩急の波が心地よく、

からだのすみずみにリズムが刻まれていった。


やがてみんな思い思いの楽器を手にとり、

楽しいパーカッションの夜になった。

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私にとって、森の音楽会とは、

これもまた子供時代からの勝手なイメージなのだが、

まず太鼓。なのである。

♪ 森の木陰でドンジャラホイ ♪

の 夢の世界を、今、実現することができた。


森の中の多様性をものがたるように、

この夜、さまざまな音が奏でられた。

大人たちは、子供のように無邪気だった。


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たぶんあの夜は、森の精霊たちもたくさん出てきて、

一緒に遊んでくれていた。



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空想の森~後編

2010年07月20日 | 作品展、コンサートなどのイベント
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私の作品展を見に来てくれた女の子に、

一冊のノートを渡して、

なんでも思ったこと書いていいよ、

と言ったら、迷わず「目玉おやじ」を描いた。


そしてその勢いのまま、

一気に妖怪のようなものを描いた。

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このノートとは、いわゆる芳名帳のことで、

その前のページまでは、来場者の記名が連なっていた。


その女の子の素直な表現をきっかけに、

その芳名帳は、すっかりお絵描き帳と化した。


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「空想の森」と題して、

私は、自分の心の中の森を現す作品展を行った。

それを見に来て下さった人たちが、

なにを感じるかは まるで予想できなかった。

なにしろ個人的な想像の森だから。

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夏の草木花、ほとんど田舎にある自分の庭から

力みなぎる植物たちを集め、

3階に森を作った。


子供時代、好奇心いっぱいで入っていった森の情景。

それをごく単純化して表現した。


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小学校6年の時の担任の先生が 見に来てくださって、


「おまえは子供の頃から変わっとらんな。
     こんな森に入っていくのが好きだった。」


ちょっと恥ずかしいが、一番うれしい言葉だった。


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その森であらゆる生き物たちと遊び、

大人の目には見えぬ、精霊たちと戯れた。


私の原点ともいえる森の情景の中に、

今を生きる子供たちが遊んでいる。


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家の中に作った森には、動物たちはいない。

ところが、想像力たくましい子供たちは、

心の中から立ち現れてきた いきものや妖怪(妖精) を

素直に描いていった。


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一時間半もかかって描いた、男の子の力作。



子供の想像力はとどまるところしらず。

昆虫がひそむことを空想し、

そこから仮面ライダーを連想した子までも。


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空想の森では、大人たちも

それぞれの遠い記憶を呼び起こし、

幼い頃の楽しい思い出や恐怖体験を語っていった。

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また、観念的な存在としての森を

深く考えている人もいた。



この森を生けた私はというと、

どんなことを想像してもらおうかなんて

考えるゆとりもないほど、

無我夢中であったので、

きっと純粋に心の中の情景が現れ出たのであろう。


それは、現実の森と、

おとぎ話の世界や、恐怖心から妄想したことなどが

入り交じってできた、子供の頃の世界そのもの。

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恐れと憧れ。


そういえば、もともと人間は森で生まれたのだった。

だからみんな、森の中では子供のようになれたのかもしれない。

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素敵な大人のカップルが、

こんなかわいい絵を残していってくれた。


なんだか楽しい3日間だった。



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空想の森~前編

2010年07月20日 | 作品展、コンサートなどのイベント
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森の入り口は、未知の世界の扉。

いつも遊びに行く森であっても、行くたびに

何か新しいものが見つかるかもしれない、

そんな期待感で胸膨らませながらも

一歩進むその足取りはおそるおそる、

森には怖いものもたくさんひそんでいる。

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「空想の森」

私の心の中の森を、作ってみようと思った。

築80年の木造家屋、

花のアトリエの三階に現した森。


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水辺の精霊は、なぜか女だ。

「金の斧 銀の斧」の池からは、美しい女神様が出てくる。

泉鏡花の「高野聖」では、妖女が水浴びをする。


だから池のまわりには、鮮やかな花を咲かせた。

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様々な森の情景が、

仮想の森と実際に見た森の情景が

夢の中のようにパッチワークされ、

同じ空間に現れる。

思いつくままに、まさに ”夢中” で 生けていると

もう虚実入り交じった世界になっていった。



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黄色い花。

実際には、夏の宵から咲き始める、宵待草。

この花の群生する原を分け入り、ずんずん歩いていくと、

ふいに甘い香りが漂ってくる。


これは実際に私が体験した、夏の日の出来事。

その原っぱの先には、うっそうとした森。


森の入り口から、ずっと奥の方まで、

木の下に咲き乱れる、白い百合の花。


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そこはまさに、神々が集まる場所のようだった。

ぞくぞくするほど美しいのだけど、

足がすくんで、近づけない。

自然への畏怖の念をこれほど感じたことはないだろう。


今でも、夏には此処に、この情景が広がっている。

家のそばに在る、私の秘密の森。


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森の思い出は、五感のすべてにつながり、

豊かに広がっていく。

それは誰もが体験したことだろう。

それぞれの思い出が、私の個人的な森を介して、

また多様に広がっていったその3日間の話のつづきは

また後日。


 *ここに掲載した写真のうち半分強は
  来場してくださった方からご提供いただいたもので、
  本人了解の上、かなり加工して使わせて頂きました。


空想の森の考察は、後編へ。



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