画家、田中一村(いっそん)が、石川県に残した49枚の天井画。
長い修復を終え、
現在、石川県立美術館で、全国初公開されている。
しかも元の場所を再現するように、
仰ぎ見るかたちで、展示されている。
田中一村のことを知ったのは、いつのことだったか、
友人がくれた一冊の本がきっかけだった。
その高潔で情熱的な芸術への姿勢と
印刷からも伝わってくる絵のすごさ、
いつかは実物を見てみたいと願い続けていた。
ある時、奈良の飛鳥で展覧会が催され、
ようやく本物の絵と対面することになる。
それは予想もはるかに越えた神々しさ、
植物の湿度や匂いまで立ち上がってくる絵なのだった。
それからほどなく、私の実家から近いところに
一村の残した天井画が存在するという話を聞いた。
灯台もと暗し。
春のお花見に行く以外は寄ることもなかった「やわらぎの里」
その園内の、聖徳太子が奉られた御堂の中にあるのが
この美しい天井画である。
はじめて御堂に入った時は愕然としてしまった。
堂内は無人で、侵入自由、
雨漏り、虫食い、と 本当にあの名画伯の絵なのだろうか、
と一瞬、目を疑うほどだった。
しかし、その薄汚れた環境の中でも、
絵は素晴らしい光を秘めていた。
それは、今まで見たこともないようなテーマの絵、
華やかな花々ではなく、
よもぎ、わらび、ワレモコウ、くずの花、など
雑草とさえ呼ばれる、身近な植物たちの絵だった。
一つひとつの絵の構図、生き生きとした表情、
すばらしくて、時間を忘れて魅入ってしまった。
それから何度ここを訪れたことだろう。
ある時、近所でここの管理を任されているおじさんに話を聞いた。
(管理、と言えるのかはわかなないけど . . . )
一村は、当時、千葉に住んでいたが、
縁あってこの石川の地で天井画を任され
半年ほど現地に滞在し、地元の子供たちにも協力してもらって
たくさんの植物を採集、スケッチを重ねたのだそうだ。
手伝ってくれたたくさんの村人たち全員に
色紙や掛け軸の絵などを贈ったようだが、
現在はそれらのほどんどが見つかっていないのだという。
近年 ようやく専門家チームで一村の本格的な研究がはじまり、
その一環として、この天井画が修復され
美術館での一般公開、となったようだ。
このあと、天井画が「やわらぎの里」に戻るのか、
美術館で管理されることになるのかはまだ決まっていないらしい。
今回の展覧会では、天井画もさることながら、
奄美大島で描かれた晩年の名作もたくさん見ることができる。
〈田中一村は栃木で生まれ、東京、千葉時代を経て、
画壇の表舞台に立つことのないまま
50歳の時に奄美大島に渡り、69歳で亡くなるまで
この島で独自の日本画の世界を切り開いていった。〉
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(写真は絵の一部分、本より)
「アダンの海辺」と題されたこの絵を、奈良で初めて見た時、
潔く切り取った、ダイナミックな構図と
人間業と思えぬほどの精緻さに驚愕した。
そして
同じ太陽の陽に照らされているような錯覚、
波の音が聞こえるような錯覚、
見たこともない「アダンの実」の甘い香りがする錯覚を
おぼえてしまった。つまりそこへ連れていかれたということだ。
ここからさらに奄美への強烈な興味がわき、
3年半前、ついに私は彼の地に導かれた。
この光景 . . . 確かにはじめてなのに、デジャヴな感じ . . .
それは一村の絵の力なのだろう、と思った。
でも実際の場に身をおくということは、
何にも代えられないことである。
勝手に感じていた香りは、少し違うものだったし、
頬にあたる風の強さ、湿度も、初めての感じ、
新鮮な体験だった。
一村が住んでいた家も訪ねた。
元はもっとあばら屋に住んでいたらしいが、
最期を迎える少し前にここに移り、
「天国のようだ」と喜んでいたとも伝えられる。
家の裏手には自給していた畑、
そして亜熱帯の植物、
その奥には深い奄美の森が
簡単に入ってはいけないようなオーラを放っていた。
恐る恐る森に入って行くと、
絵に描かれたたくさんの植物が、
森の中から立ち現れる。
が、やはり怖くて先に進めない。
「不喰芋と蘇鉄(くわずいもとそてつ)」(一部)
「蘇鉄残照図」(一部)
車で、島を一周してみた。
島全体が一つの生命体のように、呼吸しているようだった。
「海の向こうから、ここに神が渡ってくる」
という場所の辺りには、本当に神がいると思った。
ものすごい自然のエネルギーを、
ここにくると誰もが体感するに違いない。
「熱帯魚 三種」(一部)
3年働いて、画材費を貯め、
3年描く。
そしてまた3年働き . . .
極貧の生活だったが、
奄美に魅せられ、ひたすら絵に残そうとした画家の一念。
“ すでに世の中の乖離(かいり)など奄美に渡った時点で清算済みで、
一村の心情はそんなところにはなく「天地一体」の画境に遊んでいる “
(金沢21世紀美術館館長・秋元氏の北陸中日新聞寄稿より抜粋)
それほど大きな力を内包する場所。
「神童」と呼ばれていた頃の絵から
千葉や、石川や、四国、九州と
遠征先で感化され描いて来た絵を順番におっていき、
奄美の絵へと続いていく。
最後にたどりついた奄美の地で、
すべての経験が統合され、昇華されていった。
一村は、ここだ と直感した場所で、
とてつもない領域に到達してしまった。
「5秒とかからない署名もできなかった」ほど
絵に 持てるもの全てを注いだ画家。
その力を与える自然の神秘は
到底、 人知のおよぶところではないけれど、
ここまで近づくことができた画家がいるのだと
絵を見るたびに、深く感じ入ってしまうのだ。
会期あとわずかだが、ぜひ目の当たりにしてほしい。
「孤高の画家 田中一村 展」~知られざる石川での軌跡
石川県立美術館 8月26日(日)まで
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