語りかける花たち

角島 泉(かどしまいずみ) 花日記
 ~石川の四季、花の旅、花のアトリエ こすもす日々のこと


ユーモラスな花たち(続編)

2011年03月31日 | アトリエから
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このニゲラ(黒種草)という花、

2月のはじめに花市場で出会った時は、

大人しい顔をしていたのである。


それが、脇から伸びてきたつぼみが

次々花を咲かせていって、

二番花、三番花と進んでいくうちに、

花は小さくなっていくが、

しだいに表情豊かになってきた。

茎もくねくねと、思い思いの方向へ。




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一見ユーモラスなのだが、

近づいてよく見ると、



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その小さな顔には、

生き延びるための気迫がみなぎっている。

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ユーモラスな花たち

2011年03月30日 | アトリエから
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この明るいオレンジ色の花は、

2月の後半に私のもとへやってきて、

以来、花瓶の水だけで成長を続けている。


先端にできる蕾を咲かせながら、

最初は天に向かって伸びていたが、

そのうち、自分の重さに耐えきれなくなって、

いったん急降下したかと思うと、

そこからぐいっと体を持ち上げてきた。

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花たちは、体勢が急変したというのに、

相変わらず不敵な笑みを浮かべて、

茎にぶら下がっている。


そのマイペースな様子は、まるで

ムーミン谷を行進するニョロニョロのようだ。

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名前も忘れてしまったこの花、

奇妙さゆえか、たくさん売れ残り、

私の部屋で面倒みることになったのだけど、

生き物と暮らしている実感があって、

なんだか楽しいのだ。


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華麗なるチューリップ

2011年03月29日 | 花の作品
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明るいローズ色のチューリップ、

その名も " ジャクリーン "

花市場にやってくる あまたのチューリップの中で、

これほど艶のあるものはないと思うほど。


花びらの先が尖っていて、

ひらくと百合のような、チューリップ。

Up

花自体の大きさも百合に負けないほどで、

それゆえ花を支える茎も長くて、しなやか。




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このジャクリーンが入荷する時期に

もう一つ私の大好きなチューリップがやってくる。

白と紅の二色で、

やはり百合咲きのチャーミングな花、

名は " マリリン "





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ジャクリーンのおしべが明るい黄色なのに対し、

マリリンは、スパイシーな濃紫色。

どちらの色合いも絶妙で、魅力的。


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私は この二種の組み合わせが好きで、

長年に渡って 生けたり、束ねたりしてきたが、

先日、お客さんから

「ケネディをめぐる女たちですね。」

と言われるまで、全然気づかなかったのだ。


ジャクリーンだけは

麗しいファーストレディの印象と重ね合わせていたのだが。








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ジャクリーンとマリリンは、

競い合い、響き合い、

お互いの美しさを引立て合いながら、

周囲を明るい光で満たしてくれる。


このはじけるようなエネルギーに、

私はいつも活力をもらっている。


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自然光のここちよさ

2011年03月26日 | アトリエから
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光。

ほとんどの植物が、太陽の光を受けて、花ひらく。

その花を切り取って器に生けたら、

直射日光こそ避けた方がよいけれど、

窓から家の中にやわらかく入り込む光に、

花たちは幸せそうな笑みをうかべる。

特に、新しい光が生まれる朝の時間は、

その歓びに満ちている。


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私は、10年ほど前から、

営業中であっても、晴れた日中は、照明を点けず、

ガラスごしの穏やかな光の中に花を並べている。


古い町家で、しかも天井が高めなので、

外から見ると、照明を点けても点けなくても、

ほとんど変わりなく暗いのだが、

一旦、中に入ると、意外に明るいと驚かれる。

晴れてさえいれば、ガラス戸から入る自然光だけで

充分な明るさを得ることができる。


時の流れとともに変わる光の変化や

適度な陰影、

自然光のもとでは、

その微妙なうつろいを楽しむことができるし、

花本来の美しさが表出するように思う。


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日中の人工光に疑問を持った、そもそものきっかけは、

10年前に旅行した、インドでのこと。

あるハイクラスの王立小学校を訪れた時、

どの教室も照明を点けずに授業をしていた。

停電でもないだろうし、裕福な学校のはずなのに、

「なぜ点けないのですか?」と生徒の一人に聞くと、

逆に「なぜそんな質問をするのですか?」と返された。

そして、

「昼間に照明を点ける必要はないでしょう?」と。


日本の学校では、昼でも電気を点けるのは

当たり前のようなことだし、

家でも「目が悪くなるから」と、

読み書きの時は手元を明るくするようにしつこく言われた。

蛍光灯のスタンドの光には大変お世話になったが、

視力は悪くなった。



でも、日本人に比べて、

インドの子供たちはずっと視力がよさそうなのだ。

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私は、はっとした。

日本の生活は、人工の光が過剰なのではないか。

不自然な光は、体にストレスを与えるのでは?

目にもよくないし、

肌も老化させるのではないか?


もしかして動物だけでなく、植物も?


その証拠に、夜でも照明を当てられた桜は、

そうでないものに比べて、早く散ってしまう。

眠りに入るはずの時間に無理やり起こされて、

興奮状態が長く続いた挙げ句、

命を縮めてしまうのでは?


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私は、インドから戻った後、

さっそく日中の照明を減らすようにしてみた。

すると、ほんとうに花の状態がよくなった。

お客さんが買って帰った後でも、

とても長持ちするとよく言われるようになった。




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日本がいかに照明過剰であるか、

インドだけでなく、外国に行くとその違いがよくわかる。

おさえた照明が、いかに体をリラックスさせてくれるか、

誰しも体感しているはずなのに、

日本の街は、どうしてこんなに光が多いのだろう。

昼も明るい、夜も明るい。





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自然光とともに暮らす生活を

思いきって取り入れてみれば、

この国に蔓延する疲労感のようなものが、

少し緩和されるのではないかしら?

この心地よさが、もっと街に増えていってほしい!


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コメント (2)
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窓辺のスカビオサ

2011年03月23日 | アトリエから
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コメント (1)
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