語りかける花たち

角島 泉(かどしまいずみ) 花日記
 ~石川の四季、花の旅、花のアトリエ こすもす日々のこと


探求とクリエイションの家

2010年08月07日 | 旅日記
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比叡山のふところに、

自然の風景の続きのような庭があり、

その庭の中に、光と風が通り抜ける家が在る。


キルト作家・ 秦泉寺 由子さんの新境地、

「食」を探求するための、「キッチンハウス」である。


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20年以上、キルトの世界で探求を続け、

原始キルトから現代のキルト、

日本人としてのキルトまでつなぎ、

歴史に残る功績を残してこられた秦泉寺さん。

生み出した作品のほとんどが、

本場、欧米の美術館などに収まったことで一区切り。


そして次なる挑戦は、「食」と「もてなし」の世界へ。




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さまざまな作家さんの器がならぶ棚。

バラエティに富みながら、この美しい調和。



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調理に使う道具類は、

目的を達成するために、最適と思われるものを

常に吟味し、国内外から見つけてきたものたち。

機能性は美しさに直結している。

道具が素晴らしいインテリア。

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秦泉寺さんにとって「食」を探求する、ということは

美味しいものや珍しい材料を集めて

グルメな時間を展開していくことではない。

「素材」への検証、探求なのだという。


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例えば、地元京都の夏野菜、加茂なす。

この素材を一番おいしく頂くには、と考える。

いろいろ食べてみて、やはり美味しさを引き出すのは

「田楽」であるという仮説をたてる。
 
 では切り方は?

 厚みは?

 どんな器具が最適?

 どんな火加減が最適?

 付け合わせは?

 薬味は?

 器は?

 お箸の素材や太さは?

.
そんな検証を何十回と繰り返す。

繰り返すうちに、

必ず何か真髄のようなものが見えてくる。

新しいアイデアも生まれる。
 
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夕飯に出された加茂なすの田楽は、

もう野菜なのか極上のステーキなのか

わからないほどのうまみがつまって、

口の中でとろとろととけていった。


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この素朴な風情のカトラリーは、

秦泉寺さんがバリ島のスタジオで

こつこつ作りためたもの。


スタジオの看板に使われていた板や、

キルト制作の道具の一部だったものを

木目に素直なかたちでカットし、

削り、磨き、

百何十個も作ってみたら、

やはり見えてくるものがあったという。


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そして、調理器具。

一度にたくさんのパンケーキが焼ける鉄板のグリル。

10人の客人がいても、

誰も待たさずに、みんなで焼き立てを食べるために

みずからデザインした。


朝食のパンケーキを焼く秦泉寺さん。


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ムラなくあっという間に焼けた。

香ばしくって、ふっくら。

こんなにおいしいパンケーキ、初めてだった。


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ところでこの家は、秦泉寺さんの独創的なアイデアで、

たぶん建築の常識をくつがえすような箇所が随所にある。


あえてドアや壁に隙間をたくさん作り、

いつも自然の風が通る家なのだ。

そしてこの台所は、土間である。

一年中、素足に草履で台所に立つのだという。

夏はよいとして、冬はどれほど寒いだろう。


「身を律し、食材に向かうため。」

とあっさり言われた。


キッチンの建材としては異例の「大谷石」が

ふんだんに使われている。

パンケーキを焼くグリルも、他の調理台も。


この石は、ものをこぼすとシミになりやすいのだという。

あえて使ったのは、なぜか?

「汚さないように緊張感を持っていると、

 美しい所作が身に付くと思うから。」


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料理をする動き、

後かたづけの進め方、

一連の動作にゆるみがなく、ほんとうに美しい。


これは茶道の世界そのもの。


亭主は、あくまで自分に厳しく、

その日、できることの最良のことを

何日も前から考え、

シュミレーションをし、

いざ客人が来たら、その緊張感を感じさせないように

スムーズに動く。

客人には、心からくつろいでもらう。


「もてなす」とは、こういうことなのだなぁ。

ほんとうに私はくつろいでしまっていた。

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「ここは、私の道場。キッチン道場なのよ。」

.
年を重ねて経験を積んできた。

でも、何でも知ったつもりになりたくない。

慣れて楽をする生活に陥りたくない。

自分の到達点をまだまだ遠く先におく。


そのために作った道場。


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「最後にお茶を一杯。」

と通された四畳のお茶室には、

今朝、一輪だけ咲いた黄色の山吹が生けてあった。

この時期にはまず咲かない花。

でも何かのご縁で、今朝ひらいた山吹の花。

そのタイミングを逃さず、私のためだけに

惜しげもなく、庭から切ってくださった。


一期一会。

きっと生涯忘れない、その花の姿。



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