比叡山のふところに、
自然の風景の続きのような庭があり、
その庭の中に、光と風が通り抜ける家が在る。
キルト作家・ 秦泉寺 由子さんの新境地、
「食」を探求するための、「キッチンハウス」である。
20年以上、キルトの世界で探求を続け、
原始キルトから現代のキルト、
日本人としてのキルトまでつなぎ、
歴史に残る功績を残してこられた秦泉寺さん。
生み出した作品のほとんどが、
本場、欧米の美術館などに収まったことで一区切り。
そして次なる挑戦は、「食」と「もてなし」の世界へ。
さまざまな作家さんの器がならぶ棚。
バラエティに富みながら、この美しい調和。
調理に使う道具類は、
目的を達成するために、最適と思われるものを
常に吟味し、国内外から見つけてきたものたち。
機能性は美しさに直結している。
道具が素晴らしいインテリア。
秦泉寺さんにとって「食」を探求する、ということは
美味しいものや珍しい材料を集めて
グルメな時間を展開していくことではない。
「素材」への検証、探求なのだという。
例えば、地元京都の夏野菜、加茂なす。
この素材を一番おいしく頂くには、と考える。
いろいろ食べてみて、やはり美味しさを引き出すのは
「田楽」であるという仮説をたてる。
では切り方は?
厚みは?
どんな器具が最適?
どんな火加減が最適?
付け合わせは?
薬味は?
器は?
お箸の素材や太さは?
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そんな検証を何十回と繰り返す。
繰り返すうちに、
必ず何か真髄のようなものが見えてくる。
新しいアイデアも生まれる。
夕飯に出された加茂なすの田楽は、
もう野菜なのか極上のステーキなのか
わからないほどのうまみがつまって、
口の中でとろとろととけていった。
この素朴な風情のカトラリーは、
秦泉寺さんがバリ島のスタジオで
こつこつ作りためたもの。
スタジオの看板に使われていた板や、
キルト制作の道具の一部だったものを
木目に素直なかたちでカットし、
削り、磨き、
百何十個も作ってみたら、
やはり見えてくるものがあったという。
そして、調理器具。
一度にたくさんのパンケーキが焼ける鉄板のグリル。
10人の客人がいても、
誰も待たさずに、みんなで焼き立てを食べるために
みずからデザインした。
朝食のパンケーキを焼く秦泉寺さん。
ムラなくあっという間に焼けた。
香ばしくって、ふっくら。
こんなにおいしいパンケーキ、初めてだった。
ところでこの家は、秦泉寺さんの独創的なアイデアで、
たぶん建築の常識をくつがえすような箇所が随所にある。
あえてドアや壁に隙間をたくさん作り、
いつも自然の風が通る家なのだ。
そしてこの台所は、土間である。
一年中、素足に草履で台所に立つのだという。
夏はよいとして、冬はどれほど寒いだろう。
「身を律し、食材に向かうため。」
とあっさり言われた。
キッチンの建材としては異例の「大谷石」が
ふんだんに使われている。
パンケーキを焼くグリルも、他の調理台も。
この石は、ものをこぼすとシミになりやすいのだという。
あえて使ったのは、なぜか?
「汚さないように緊張感を持っていると、
美しい所作が身に付くと思うから。」
料理をする動き、
後かたづけの進め方、
一連の動作にゆるみがなく、ほんとうに美しい。
これは茶道の世界そのもの。
亭主は、あくまで自分に厳しく、
その日、できることの最良のことを
何日も前から考え、
シュミレーションをし、
いざ客人が来たら、その緊張感を感じさせないように
スムーズに動く。
客人には、心からくつろいでもらう。
「もてなす」とは、こういうことなのだなぁ。
ほんとうに私はくつろいでしまっていた。
「ここは、私の道場。キッチン道場なのよ。」
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年を重ねて経験を積んできた。
でも、何でも知ったつもりになりたくない。
慣れて楽をする生活に陥りたくない。
自分の到達点をまだまだ遠く先におく。
そのために作った道場。
「最後にお茶を一杯。」
と通された四畳のお茶室には、
今朝、一輪だけ咲いた黄色の山吹が生けてあった。
この時期にはまず咲かない花。
でも何かのご縁で、今朝ひらいた山吹の花。
そのタイミングを逃さず、私のためだけに
惜しげもなく、庭から切ってくださった。
一期一会。
きっと生涯忘れない、その花の姿。
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