何だか呪文のように「多様性」だの「ダイバーシティ」だの、耳障り良い場面でだけ主張が繰り返されますね。
多様性を受け入れるということは、意見が噛み合わないということを覚悟しないといけません。企業にとっては、甚だ困難な状況を生むことになります。価値観が多様化するということは個人の嗜好の部分で意見が食い違うということで、「忖度」「建前」「義理」「人情」を重要なコンテンツとして発展してきた日本にとっては国家破綻もあり得る由々しき事態です(笑)
興味のないことには積極的に参加しないという多様性を認めることになれば、社会が成り立たなくなる恐れがあります。
そもそも、トップダウンによって行動指針を示されなければ動くことのできなかった日本人が自らの判断で正しい道を選べるのか、という課題が浮き彫りにされます。
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多様性の重要性を主張しながら、ワクチンは「みんな打て打て」と煽り立てる。政治家もメディアも二枚舌を駆使します。
さて、参院選がスタートしました。ある方が「投票しない奴は日本から出て行け!」と仰っていましたが、言い方はともかくとしてその意見は真っ当だと思います。
この選挙では、コロナを「5類にする」という主張をする候補者に投票します。現実的に一番大事なことはそこしかありませんからね。
少数意見を大事にせよというなら、ワクチンを打たない権利も尊重されないといけません。そこは蓋をしておいて、荒唐無稽なダイバーシティ論を展開する人を信用することはできませんね。
出典:https://note.com/fladdict/n/n36aad9ab9670
多様性を受け入れた社会では最終的に社会を結び付ける手段は金ということになります。我を通すことを美徳としなかった日本社会ではそこまでは中々到達しないかも知れませんが、価値観の多様化には戸惑うことも多くなるでしょう。
良くも悪くも「個の尊重」が重要視されるなら失う多くには目を瞑るのでしょうね。それが良識ある行動かどうかは無視されることになるとしたら、孤独に陥る人の方が多くなると思います。
簡単に理想を主張する人を信用するのは危険です。理想の為に犠牲になる多くに気配りできなければ、どんな社会も住みにくいだけです。
ブツブツと個人的な意見を述べてみましたが、それに関しては無視していただいて結構です。
話は大きく変わりますが、今アニサキスによる中毒、といっても寄生虫ですから不可抗力的側面も多くなります。何故、ここに来てアニサキスが大量発生しているのか? 一説には最終宿主である鯨の増え過ぎが問題視されています。同じく遊泳中にイルカに襲われる事故も増えています。世界的な捕鯨禁止の動きが地球上の生態系を著しく破壊していることも事実です。「鯨を食べる」多様性は認めようとしない彼らの身勝手な行動が、やがて人類を生存の危機に追いやるでしょう。CO2の減少が植物の生態系を冒しているというのと同じように、利権が絡むと人は多様性を否定し始めるということを問題視しないのでは、この世の終わりが近そうですね。
「多様性を認める」ということは「多様性を無視する」ことと同義語です。
孤独な人生にならないように、社会生活を全うできる努力を怠らないようにしましょうね。
よろしくお願いします。