いせ九条の会

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大江健三郎氏の決意/山崎孝

2008-05-21 | ご投稿
大江健三郎氏は、朝日新聞5月20日付記事「定義集」の中で、「九条の会」の呼びかけ人のひとり加藤周一氏が「鉄門倶楽部創立百周年」に書かれた文章を紹介しています。加藤周一氏は帝国大学で医学を修めましたが文筆業に転じています。

《臨床医学と文学とは私の中でどう関わっていたか。直接に関わることはなかった。私はいかなる種類の折衷主義も好まない。しかし研究室での経験が私の文筆業に影響しなかったわけではない。事実の尊重と合理的な推論の習慣は私の作品のすべてに及んでいると思う。》

この「事実の尊重と合理的な推論」と言えるべきものに、3月28日の大阪地裁の判決があります。深見敏正裁判長は、多くの沖縄戦における集団自決死を経験・目撃した生証人の言葉に耳を傾け、「元裁判長の命令があったとは断定できないが、関与は十分推認できる」。集団自殺には「旧日本軍が深く関わった」と認定、「沖縄ノート」が元隊長らを匿名で「事件の責任者」などとした記述は「合理的資料や根拠があった」として、名誉毀損に当たらないと判断し、訴訟のすべてを棄却しました。

5月18日の「いせ九条の会」の講演会で、小森陽一氏は、改憲派の企図するものを具体的な事実をあげて説得力をもって国民に訴える必要性を述べました。

大江健三郎氏は「世界」6月号 《沖縄「集団自決」訴訟地裁判決を聞いて》の最後の部分で次のように述べています。

いま私は上級審で続いていく裁判への心構えをしていますが、この二年半の裁判で私自身がもっとも教えられたことは、裁判の法廷で自分が証言した言葉は、判決書に採用される時、これまでの自分の50年にわたる文章の仕事でかつて実感したことのないほど、現実的な力をかちとっている、ということです。私は自分がさらに生きて行く作家の生活について、その自覚に立つ考えを抱き直しています。

もうひとつ、この裁判をつうじて私の新しくしたことは、老年の作家として残り時間は限られていますが、この国に、再び、美しい殉国死という言葉が、その作り手・使い手のいかがわしい意図が見え見えであるにもかかわらず復興されようとしている以上、それに抵抗することを、自分の仕事の核に置くという決意です。(以上)

改憲を主導する勢力は歴史を改ざんして旧日本軍を免罪にし、更に戦前の国民を潔く国のために死んだとして賛美し、歴史を香り高いものにし、戦争に向けての国民の感情教育を行う。憲法の条項を変えて戦争できる規定に変えるという両輪で進めています。