一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

「開戦法規」(jus ad bellum) における6つの条件

2005-12-21 08:52:36 | Criticism
今回は、私見は一切抜きにして、「倫理的に戦争を制約する」ための「戦争に対する法」=「開戦法規」をご紹介する。

読者各自が、それぞれの知識に基づき、日中戦争でも、太平洋戦争でも、その他の戦争でも、これに照らした場合、どのような判断が得られるかをご判断願いたい。

(1) 開戦の理由が正義に基づいていること (Just Cause)。
(2) 正当な権威が開戦の決定を下すこと (Right Authority)。
(3) 正当な目的をもって開戦を決定すること (Right Intention)。
(4) 戦争が最後の手段であること (Last Ressort)。
(5) 戦争の目標が新たな平和にあること (Emergent Peace)。
(6) 目的と手段の釣合いが取れていること (Proportionality)。

ご参考のために、「戦争における法」=「交戦法規」も挙げておく。

(1) 戦闘員と非戦闘員との区別(Discrimination)
(2) 二重結果(Double Effect)

*「戦闘行為は二つの結果をもたらすことがありうる。第一は、正当な軍事目標の破壊という意図した結果であり、第二は無辜の民の殺傷という意図せざる結果である。戦闘行為が無辜の民の殺傷を意図しない限り、意図せざる、あるいは付随的損失として許容される。」
(3) 目的と手段との釣合い(Propotionality)
*「悪の総量が、得られる善を上回ってはいけない」

参考資料 加藤朗、長尾雄一郎、吉崎知典、道下徳成『戦争―その展開と抑制』(勁草書房)

今日のことば(59) ― 廣瀬淡窓

2005-12-20 17:41:51 | Quotation
「我邦(くに)の人は書を読むこと多からず。故に見識なくして、人の真似をすることを専一と心掛けるなり。是を名づけて、矮人観場(わいじんかんじょう)といふ。」
(『淡窓詩話』)

廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう、1782 - 1856)
江戸時代後期の儒学者、教育者、漢詩人。
筑前福岡の亀井南冥・昭陽父子の塾に学ぶ。1805(文化2)年、故郷の豊後日田に私塾(後に「咸宜園(かんぎえん)として発展・拡大)を開く。門人は3000人にも及び、能力別等級・試験による昇級などの教育法により、高野長英・大村益次郎ら多くの英才を育てた。
漢詩人としての著作に『遠思楼詩鈔』『淡窓詩話』がある。

当時の用語で「書」といえば儒学あるいは漢詩文の書物。もちろん、俗文学と称された「読本」「黄表紙」などは含まれていない。
それはともかくとして、現在でも、小説やノン・フィクション、週刊誌などに目を通す人は多くとも、専門書にまで手を出す人は、さほど多いとは思われない(出版界の不景気は、まだまだ続くであろう)。
それが原因であるとは言わないが、「人の真似をすること専一」なことは間違いない、当時からの日本人の通弊。

「現実主義」とは標榜していても、それが「現実追認」であるなら、「人の真似をすること」とさほどの変りはない。大勢に従う、という意味では同一と言っても良い。
また、「同調圧力」が強いのも、別に先の戦争中だけのことではない。

その意味からすれば、「矮人観場」は、江戸時代から変っていないのではないか。

参考資料 『江戸詩人選集9 広瀬淡窓/広瀬旭荘』(岩波書店)

天皇制における「創られた伝統」

2005-12-20 08:54:09 | Opinion
「創られた伝統」とは、E. ホブズボウムの述べた概念(本ブログ11月21日「今日のことば(35)」参照)で、著書『創られた伝統』では、スコットランドのタータンチェックやバグパイプ、英国王室の儀礼などのイギリスの例を挙げ、それらが近代になって人工的に造り出されたことを明らかにしている(「創られた伝統」が、近代国民国家=民族国家統合のためのものであったことは、今はひとまず横へ置く)。

それでは彼は「伝統」否定論者かと言えば、そうではなく、同時に、伝統社会における慣習(custom) を「本物の伝統(genuine tradition) 」または「生きた伝統」と呼び、その強靭さと融通性についても述べている。

つまるところ、「創られた伝統」と「生きた伝統」とを、明確にすることが大前提として必要なのである。

最近読んだ網野善彦の『日本論の視座ー列島の社会と国家』に、昭和天皇の葬儀の例を挙げて、この「創られた伝統」と同様の趣旨を述べてあったので、以下にそれを引く。
昭和天皇の代替りに当って、天皇の葬儀が世の注目を浴び、種々の論議のすえ、鳥居を建てた神式、巨大な墳丘への土葬などが『伝統的』方式とされ、これが結局、実行に移されたことは、その適例であろう。(中略)
この『前例』は明治天皇以前に遡るものではなく、聖武以来、孝明まで一貫して仏式、持統から江戸初期まで二、三の例外を除いて火葬、後光明以後、表向きは火葬で実際は土葬、葬所は仏式採用後は適当な寺院の近傍、後光厳以後、後花園のみを例外として葬儀はすべて泉涌寺、墳丘をつくらぬ薄葬も持統以来のことで、淳和にいたっては火葬に付した遺骨を粉砕して散布させたなど、天皇の葬儀に関わる歴史的事実は、多くの人びとに知られることのないまま、『伝統的』という言葉がまかり通ったのである。
(「序章 〈日本〉という国号」)

現在、さまざまな場で論議が行われている「皇位継承問題」(結局は「女性天皇」問題)においても、明治になってから「創られた伝統」を、「生きた伝統」のごとく取扱っていないか、充分に注意する必要があるだろう。

参考資料 網野善彦『日本論の視座ー列島の社会と国家』(小学館)

今日のことば(58) ― 熊沢蕃山

2005-12-19 11:38:11 | Quotation
「食足らざるときは、士貪り民は盗す、争訟やまず、刑罰絶へず、上奢り下諂(へつろ)ふて風俗いやし、盗をするも彼が罪にあらず、これを罰するは、たとへば雪中に庭をはらひ、粟をまきて、あつまる鳥をあみするがごとし」
(『集義和書』)

熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん、1619 - 91)
江戸時代前期の儒学者。中江藤樹に師事し陽明学を修める。備前岡山藩主池田光政の執政を務める。引退してからの後半生は不遇で、京都・吉野・明石・大和郡山・下総古河と転々とする。その間に、思想家として蕃山学を確立した。主な著作に『集義和書』『集義外書』『大学或問(わくもん)』がある。

上記引用は、河上肇『貧乏物語』よりの再引用。河上は、蕃山のこの部分を引き、「経済を改善しなければ道徳は進まぬ」と結論づける(孟子のことばに「恒産なくして恒心なし」がある)。

河上の描いた1910年代(「今日多数の人々が貧乏線以下に沈淪している」)とは異なり、中産階級が日本社会の多数を占める現在では、まず、古典的な「貧乏」は一掃されたかに見える。
しかし、道徳は進んだかと言えば、そうは言えないだろう。

それでは、河上の描いた図式、
  経済的な貧乏→道徳的な低下:経済的な貧乏根絶→道徳的な向上
が成り立たないのか?

蕃山のことばを借りれば、日本社会は単に「士貪り」「上奢り」の状態にあるだけではなかろうか。
つまり、全世界規模で見れば,依然として「経済的な貧乏」は一掃されてなどいない。ただ、日本社会が、従来の「民」「下」の状態から、「士」「上」の状態になったということに過ぎないのではないのか。
  
「今日多数の人々が貧乏線以下に沈淪している」という世界状況を忘れてならない。

参考資料 河上肇『貧乏物語』(岩波書店/絶版)

今日のことば(57) ― W. シェイクスピア

2005-12-18 10:29:38 | Quotation
「われわれは/夢と同じくはかない身、そしてわれらが小さき生は/眠りによって幕を閉じる。」
"We are such stuff/As dreams are made on, and our little life/Is rounded with a sleep."

(『テンペスト』)

W. シェイクスピア(William Shakespeare, 1564 - 1616)
イギリスの劇作家、詩人。経歴の必要もあるまい。

この『テンペスト』(1611 - 12) は、シェイクスピアの最後の作品で、この悲喜劇を書き上げた後、中部イングランドの故郷に戻り、幸せな余生を過ごしたという。

主人公は、かつてはミラノ大公だったプロスペロ。現在は、絶海の孤島に追放の生活を送っている。ヒロインは、彼の娘ミランダ。このほかに、人間以上の能力を備えた妖精エーリエル、人間以下の野蛮な怪物キャリバンが、島には住んでいる。
プロスペロは、自らを追放した弟のアントニオとナポリ王アロンゾに復讐しようと図るのだが……(ピーター・グリーナウェイ監督作品『プロスペロの本』が、『テンペスト』を元にしている。ちなみに映画音楽は、マイケル・ナイマンの担当)。

『テンペスト』というタイトルの由縁は、この作品冒頭で、プロスペロがエーリエルに命じて起こさせた大嵐から。

さて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番には、『テンペスト』の名が付けられている。
とは言っても、これはベートーヴェン自身の命名ではなく、弟子のシントラーがこのピアノ・ソナタについて尋ねた時に、シェイクスピアの『テンペスト』を読むようにと答えられたことから。

とは言うものの、このピアノ・ソナタ、別に標題音楽ではないから、それを理解するのに、シェイクスピアの作品が役立つものではない(作品世界が似ているとも思えないしね)。
得てして、音楽作品につけられた名称というのは、そのようなもので、特に作曲者本人が付けたものでも、内容を表していることはめったにない。

まあ、それも当たり前の話で、音楽のように抽象的な藝術を、「ことば」で表現すること自体が、かなり無謀なこと。作曲者に、弟子なり聴衆なりの理解を助けてやろうという意図があるとしても、まずは効果があったためしはない。

やはり、音楽は音楽として、劇作品は劇作品として享受すればいいだけのこと。
劇を鑑賞するのは、今すぐは無理としても、エレーヌ・グリモーの演奏するピアノ・ソナタでも聴いてみましょうか("Credo", DG)。

参考資料 P. ミルワード著、安西徹雄訳『シェイクスピア劇の名台詞』(講談社)

今日のことば(56) ― A. メイエ

2005-12-17 12:23:34 | Quotation
「言語というものは伝統的な社会制度である。人間の意志は間断なく言語活動に介入する。フランス語とか英語とかドイツ語とかの共通語の選択は、住民の意志によって行われたものである。」
(『ヨーロッパの諸言語』)

A. メイエ (Paul Jules Antoine Meillet, 1866 - 1936)
フランスの言語学者、イラン・アルメニア学者。ソルボンヌ大学で F. ソシュールおよび M. ブレアルの影響を受ける。1905年からはコレージュ・ド・フランスで、印欧語の歴史と構造に関して教鞭をとり後進を育て、20世紀の言語学に大きな影響を与えた。

上記引用の『ヨーロッパの諸言語』は、1918年に書かれたもの。
当然のことながら、第一次世界大戦後のヨーロッパの状況を踏まえている。
言語的には、
「オーストリア-ハンガリー帝国が解体し、ソビエト連邦が成立する一連のできごとの中で、言語地図もまた大きく書きかえられなければならなかった」(田中)
時代状況があった。

「『住民の意志による』『共通語の選択』とメイエが言うとき、かれの念頭にはアルザスの言語問題がある」(田中)
ドーデーの『最後の授業』は、普仏戦争当時の状況であったが、逆のことが第一次世界大戦でもあった(普仏戦争では、フランス語からドイツ語への転換が行われ、第一次世界大戦では逆に、ドイツ語からフラン後への転換がなされた)。

メイエは、アルザスの人びとは「自らの意志によってフランス語を話したい、そしてフランス国民でありたいと願っている」と、ドーデーの話を裏付ける言説を述べているが、実際には「アルザス語*」という固有の言語を守りたいという運動を、今なお行っているという。
*アルザス語:「ドイツ語の方言で、アレマン語に属し、文学ドイツ語(文字言語)からかなり離れた言語」(メイエ)

さて、「言語」が「民族」を決定づけるものだとすれば(「日常的に日本語を使用している集団」=「日本人」)、自らのアイデンティティーをどの言語に求めるかは、自らの意志で決定することも可能である。
それが、必ずしも「日本語」として括られる「言語」ではなく、「沖縄語」であったり「大阪弁」であったりしても良い(井上ひさし『吉里吉里人』を参照)。
そう考えてみると、「言語」「民族」、そして「民族国家」(「国民国家」とも)というのは、かなりフィクショナルな存在であることに気づくことだろう。

現在のフィクション(大きな物語としての「国家」)に対して、より個人的な物語(小さな物語としての「集団」)を対抗させることは、思考的には(精神衛生の上からも)必要なことだと、小生は考えるのだが,いかがだろうか。

参考資料 A. メイエ著、大野俊一譯『ヨーロッパの諸言語』(三省堂)
     田中克彦『ことばとは何か―言語学という冒険』(筑摩書房)

Gloria in excelsis, et in terra pax - 4th movement

2005-12-17 08:36:43 | Essay
THE BRITISH MUSIC COLLECTION
GERALD FINZI
(DECCA)


このエッセイのタイトルはラテン語で、Gloria in excelsis Deo, et in terra pax hominibus bonae voluntatis(ちなみに英語では、Glory to God in the highest, and on the earth peace, good will toward men)というフレーズを省略したもの。『新約聖書』ルカ伝で、イエス・キリストが生まれた時に、天使たちが祝福して言ったとされることば。
日本語では、
 「いと高き処には栄光、神にあれ、
  地には平和、主の悦び給ふ人にあれ」
と訳されています(文語訳)。

ただ、小生は別にキリスト教徒ではないので、Deo「神にあれ」とかhominibus bonae voluntatis「主の喜び給ふ人にあれ」という部分は省いています。
それに「地には平和を」といった時に、小生の頭にまず浮かぶのが、同名の小松左京初期の傑作。この小説のタイトルに「主の喜び給ふ人にあれ」という部分はそぐいますまい。

また、今のクリスマス・シーズンに演奏される曲にも、"In terra pax" と名づけられたものがあるのは、ご承知のとおり。

その中でも、小生が好むものには、英国人作曲家ジェラルド・フィンジ(1901-68)の作品があります。

フィンジは、同時代のヨーロッパ大陸の動向とは関係なく、自分の音楽をひたすら作り続けた人。ですから、ハーモニーも美しく、上品なリリシズムに溢れている。「保守的だと笑わば笑え、我は我が道を行く」ってなもんです。頑固でいいでしょ?

演奏時間15分ほどで、2曲からなる短い楽曲ですが、いかにも敬虔に祝われるクリスマスらしく、清潔感に溢れています。

1曲目は、"A Frosty Christmas Eve"と題される楽曲。
このCDでは、まず、テノール・ソロの民謡風の穏やかな旋律が、いかにもクリスマス・イヴらしい、心和む雰囲気を作ってくれます。合唱が、これを受けてやや憂いの色を加えます。

2曲目はこれと対照的に、短い合唱に引き続いてソプラノのソロ。"And lo, the angel of the Lord came upon them"という楽曲です。
天上に架かるはしごを上るようなソプラノが美しい。合唱が戻り、イエス・キリストの誕生を言祝ぐ讃歌、そしてテノール・ソロで静かに全曲の幕を閉じます。

パーティー騒ぎもいいでしょうが、たまには、このような敬虔なクリスマスも悪くはないと思いますが……。

Gloria in excelsis, et in terra pax - 3rd movement

2005-12-16 19:13:29 | Essay
Claudius Ptolemaeus
(? - ?)

星座と言っても、これほど数少ない星からできているものはないでしょう。子犬座(Canis minor)のことです。
なんと、この星座、α:プロキオン(Procyon)とβ:ゴメイサの2つの星しかないんですね。

2点を結ぶ直線は、ユークリッド幾何学では1本しかない。よくこれで犬の姿を描けたもの。「責任者出てこい!」と大声で叫んだら出てきましたね。ご存知プトレマイオス氏です。
こんな星座をつくった責任者は分かったのですが、もう1900年近く前に死んでいる。何も答えちゃあくれません。

しかたがないので、『星の界』(「月なきみそらに……」)を口ずさんでみました。この曲、ご存知のように元は賛美歌「いつくしみふかき」("What a Friend we have in Jesus")、武満徹がギターに編曲したもの(『ギターのための12の歌』の1曲)が、J.ウィリアムズの演奏でCD化されています("Takemitsu played by John Williams")。

原曲が賛美歌ということで、戦争中の英米音楽排撃の時には、どうなったんでしょうね、この曲。

  月なきみ空に きらめく光
  嗚呼その星影 希望のすがた
  人智は果(はて)なし 無窮(むきゅう)の遠(おち)に
  いざその星影 きわめも行かん  
  (杉谷代水『星の界』)

  慈しみ深き 友なるイエスは、
  罪とが憂いを 取り去りたもう。
  心の嘆きを 包まず述べて、
  などかは下ろさぬ、負える重荷を。
  (讃美歌 312番 )

  What a friend we have in Jesus
  All our sins and grief's to bear
  What a privilege to carry
  Everything to God in prayer
  (Joseph M. Scriven(1819 - 86):
   "What a Friend we have in Jesus")

そんなことを考えると、曲の運命というのもなかなか面白いかもしれない、とやっと本格的に頭が働き始めたところで、また明日。

今日のことば(55) ― 永井荷風

2005-12-16 08:08:43 | Quotation
「文学の神髄はつまる処虚偽と遊戯この二つより外はない」
(『新帰朝者日記』)

永井荷風 (ながい・かふう、1879 - 1959)
彼についても、今さら、彼の経歴を説明する必要もないであろう。

「新帰朝者」とは、1903(明治36)年から1908(明治41)年まで、アメリカとフランスに滞在し、帰朝したことを意味する。
1908年には『あめりか物語』、翌1909年には『ふらんす物語』とこの『新帰朝者日記』とが書かれた。

さて、上記引用の内容は、今日ではそんな立場もあるね、程度で済ませられるが、当時としては、「新帰朝者」としての立場でもなければ、そうそう簡単に発表できる内容ではなかった。
というのも、当時の一般的な文学観は、「生真面目」としか言いようがないもので、それは、「自然主義文学の基を確立した」との評価のある、島崎藤村『破戒』が1906(明治39)年、田山花袋『蒲団』が1907(明治40)年の作品であることを考えれば、その一端を理解することができるだろう(ちなみに評論の面では、花袋『露骨なる描写』が1904年の発表)。

「虚偽」とはフィクション性、「遊戯」とは実験性/前衛性と言い換えることができようか(ただし、「遊戯」にはもう少し広い意味を持たせたいが、今適当な言い換えが思い浮かばない)。
荷風の実際の作品に、そのような面のありやなしや、ということになると、いささか躊躇せざるをえないが、「遊戯」の面は、彼の次のようなことばを思い浮かべればよいか(「〈つむじ曲がり〉の効用」 その10参照)。
以來わたしは自分の藝術の品位を江戸戲作者のなした程度にまで引下げるに如くはないと思案した。その頃からわたしは煙草入れをさげ浮世繪を集め三味線をひきはじめた。(『花火』)

参考資料 永井荷風『新帰朝者日記』(「現代日本文学大系23永井荷風集(一)」筑摩書房)

Gloria in excelsis, et in terra pax - 2nd movement

2005-12-15 08:32:14 | Essay
明日(12月16日)は満月なので、星空を見るには条件がよくありません。

昨日に引き続き、「ふたご座座流星群」は観測できずじまい。
ほかの星ぼしも月の光にかき消され、光を放っているのは、金星や、一等星くらいなものです。

蕪村が、
  月天心貧しき町を通りけり
と詠んだのは、今頃の季節なんでしょうか。

したがって、プレアデス(Pleiades)星団なども見ることもできません。
アトラスの7人の娘の内、1人くらい顔を見せてくれてもいいのに。

このプレアデス星団、珍しく日本名があります。
――昴(すばる)。

雑誌名にもなり自動車名にも、歌のタイトルにもなった昴、もともとの意味は、複数の玉(勾玉の使用方法の一つ)に紐を通した装飾品のことだそうです。
なかなか古くからあることばで、ネックレスのように首を飾ったり、手首に巻き付けたといい、記紀にも「御統(みすまる)」として出てくる。

『枕草子』の「星はみすまる……」との一節を覚えている方もいらっしゃるでしょう。
面白いことに、民間では「六連星(むつらぼし)」といい、われわれのご先祖には、この星団、ギリシア神話の7人の娘より1つ少なく見えていたらしい。

ですから、自動車SUBARUのエンブレムには、伝統に則って星は6つしかありませんから、一度数えてみてください。