●利益が生じてこそ投資
つまり、町全体の利便性や快適性が引き上げられながら、不動産価格も引き上げられていく。
集客力が利便性ばかりでなく、町全体の持つ雰囲気によって引き上げられ、商業地としての価値が引き上げられていく。
などです。
これを、地域という観点と個別という観点とに照らして考えていくと別の不動産投資という形が見えてきます。
さきほどの、南側の敷地を購入するのとは少し観点が違ってきます。
最もわかり安い例は、現状と将来の姿が著しく変る要素を見込んで投資するというものです。
・・・・・・ここまでが前回のブログでした。
投資という行為の持つ、二つの目的
一つ目は、利益を得る、という目的。
二つ目は、より良い状態、より優れた状態になるようにする、という目的。
二つ目も、利益という言葉の意味を広く捉えてみれば、より良い状態やより良い環境になることも投資の主体者である自分にとっての利益ということが出来ます。
例えば、あの町に将来駅が出来る可能性がある。
ということがかなりの確率で分かるとしたら、その駅が出来るであろう周辺の土地を購入しておくことは、将来のその土地の評価が引き揚げられるという、投資の効果を期待して買うということになるでしょう。
この例は、現状と将来の姿が著しく変る要素を見込んで投資するというものに該当します。
ここにあるのは、その土地の「将来性を見込んで購入した」ということと、その土地をその「見込んだ将来の形になるまで、保有した」ということによって生じた「利益を獲得した」といえるでしょう。
自分がした積極的な行為は、「購入情報を収集した」「購入した」「保有した」というふうに分類できるでしょう。
これは、その土地のおかれた環境に対して、自分自身がより土地の価格を引き揚げるような直接的な施策をとることなくして、社会的なインフラ整備などでその保有した土地の評価額が上昇していった結果、利益が生じている。ということが出来ます。
前出した、南側の敷地を購入した、という投資行為とは、より良い環境を得るという目的が似ていても、実質は異なるものであることが分かるでしょうか。
このような経緯で保有した土地を売却すると、売却益が生じると仮定すればその売却益は不動産投資利益ということになります。
税法上は「不動産譲渡利益」という表現になります。
売却せずに、保有したままでいると税法上の利益は生じませんが、含み利益と言われる「譲渡したら明らかに譲渡益が出る」利益を保有していることになります。
このように、投資という行為には自分の行なう投資行為に対して、他の要素が働いて利益をもたらすということがあります。
むしろ、その要素こそが不動産投資の最もシンプルな、「土地」に対する投資の目的ではないでしょうか。
特に、土地などに代表される不動産については、その国やその地域の経済的発展と連動して評価額が引きあがるというものがあり、日本の場合「土地神話」などという言葉さえ生んできました。
さて、それでは今後の我が国、わが地域では、このような自分自身が行なえる投資行為に対して、相乗的な利益を生み出す社会的インフラ整備などの効果が期待出来るのでしょうか。
それが、国のあるいは地域の経済成長と、密接に関連してくることは想像に難くないことは理解できるところではないでしょうか。
私たちが不動産投資と呼ぶ行為を考えたとき、このような地域の持つ“将来性”について考えないということは、不動産を所有するという目的だけの不動産購入となり、それは「投資」という概念にはほど遠いものとなります。
不動産投資というからには、含み利益であれ、状況改善であれ、何であっても“利益”が生じてこそ投資といえるのです。
◆今日の祈り
ご自愛深い父なる御神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申しあげます。
主の御前にあって、愚かで弱く罪深いわたしですがどうかお許しくださいますように。
主の御助けによりまして、激しい疲労感と、喉の痛みが和らいでまいりました。
この頃体調をくずすことが多くあり、今回の喉の痛みと疲労感はしもべも大変苦しみました。
主はこの愚かなしもべを御手をかざして助けられました。
まだ体調はすべて回復したわけではありませんが、働きを担うほどには回復してきました。
主の御助けに感謝いたします。
願わくは主よ、しもべを助けてください。その信仰を増し加えてください。
信仰によって、主なる神を愛し、信仰によって隣人を愛することが出来ますように。
信仰によって、試練を耐え忍び、信仰によって困難を乗り越えてゆくことが出来ますように。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申しあげます。
アーメン
つまり、町全体の利便性や快適性が引き上げられながら、不動産価格も引き上げられていく。
集客力が利便性ばかりでなく、町全体の持つ雰囲気によって引き上げられ、商業地としての価値が引き上げられていく。
などです。
これを、地域という観点と個別という観点とに照らして考えていくと別の不動産投資という形が見えてきます。
さきほどの、南側の敷地を購入するのとは少し観点が違ってきます。
最もわかり安い例は、現状と将来の姿が著しく変る要素を見込んで投資するというものです。
・・・・・・ここまでが前回のブログでした。
投資という行為の持つ、二つの目的
一つ目は、利益を得る、という目的。
二つ目は、より良い状態、より優れた状態になるようにする、という目的。
二つ目も、利益という言葉の意味を広く捉えてみれば、より良い状態やより良い環境になることも投資の主体者である自分にとっての利益ということが出来ます。
例えば、あの町に将来駅が出来る可能性がある。
ということがかなりの確率で分かるとしたら、その駅が出来るであろう周辺の土地を購入しておくことは、将来のその土地の評価が引き揚げられるという、投資の効果を期待して買うということになるでしょう。
この例は、現状と将来の姿が著しく変る要素を見込んで投資するというものに該当します。
ここにあるのは、その土地の「将来性を見込んで購入した」ということと、その土地をその「見込んだ将来の形になるまで、保有した」ということによって生じた「利益を獲得した」といえるでしょう。
自分がした積極的な行為は、「購入情報を収集した」「購入した」「保有した」というふうに分類できるでしょう。
これは、その土地のおかれた環境に対して、自分自身がより土地の価格を引き揚げるような直接的な施策をとることなくして、社会的なインフラ整備などでその保有した土地の評価額が上昇していった結果、利益が生じている。ということが出来ます。
前出した、南側の敷地を購入した、という投資行為とは、より良い環境を得るという目的が似ていても、実質は異なるものであることが分かるでしょうか。
このような経緯で保有した土地を売却すると、売却益が生じると仮定すればその売却益は不動産投資利益ということになります。
税法上は「不動産譲渡利益」という表現になります。
売却せずに、保有したままでいると税法上の利益は生じませんが、含み利益と言われる「譲渡したら明らかに譲渡益が出る」利益を保有していることになります。
このように、投資という行為には自分の行なう投資行為に対して、他の要素が働いて利益をもたらすということがあります。
むしろ、その要素こそが不動産投資の最もシンプルな、「土地」に対する投資の目的ではないでしょうか。
特に、土地などに代表される不動産については、その国やその地域の経済的発展と連動して評価額が引きあがるというものがあり、日本の場合「土地神話」などという言葉さえ生んできました。
さて、それでは今後の我が国、わが地域では、このような自分自身が行なえる投資行為に対して、相乗的な利益を生み出す社会的インフラ整備などの効果が期待出来るのでしょうか。
それが、国のあるいは地域の経済成長と、密接に関連してくることは想像に難くないことは理解できるところではないでしょうか。
私たちが不動産投資と呼ぶ行為を考えたとき、このような地域の持つ“将来性”について考えないということは、不動産を所有するという目的だけの不動産購入となり、それは「投資」という概念にはほど遠いものとなります。
不動産投資というからには、含み利益であれ、状況改善であれ、何であっても“利益”が生じてこそ投資といえるのです。
◆今日の祈り
ご自愛深い父なる御神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申しあげます。
主の御前にあって、愚かで弱く罪深いわたしですがどうかお許しくださいますように。
主の御助けによりまして、激しい疲労感と、喉の痛みが和らいでまいりました。
この頃体調をくずすことが多くあり、今回の喉の痛みと疲労感はしもべも大変苦しみました。
主はこの愚かなしもべを御手をかざして助けられました。
まだ体調はすべて回復したわけではありませんが、働きを担うほどには回復してきました。
主の御助けに感謝いたします。
願わくは主よ、しもべを助けてください。その信仰を増し加えてください。
信仰によって、主なる神を愛し、信仰によって隣人を愛することが出来ますように。
信仰によって、試練を耐え忍び、信仰によって困難を乗り越えてゆくことが出来ますように。
この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申しあげます。
アーメン