神様助けて

会社を良くしていこうと必死で経営している一人のクリスチャン、神を信じる者がどんな風に祝福され、恵まれて行くのか。

もしわかったら、教えてください

2005-12-19 11:16:25 | 探しています
●ある漫画本
昨日ふとしたことから、小学生の時に読んだ漫画本のことを思い出しました。
題名も作者も思い出しませんが、その内容の一部を鮮明に覚えているのです。

覚えているというより焼きついているというべきかもしれません。

小学生のころ、多分3年生か4年生くらいのことだと思います。
私の家は、農家で当時牛を飼っていました。いわゆる農耕牛です。
牛車を引かせたり、鋤や鍬を引かせて畑を耕す戦力としての存在です。

この牛を入れておく、牛小屋があったのですが、この牛小屋の天井裏、専門的には小屋裏というのですが、この天井裏の床板が頑丈に作られており、ここに、わら、やその他の農業用資材が置いてありました。

私達の子ども時代にとって、家、畑、田んぼ、道路、山林も全てが遊び場です。
遊びをする、工夫してあそぶ、隠れる(これも遊びとしての)、全てが遊びのフィールドです。

その牛小屋の天井裏のわらを敷き詰めた場所は、格好の隠れ家、であり、昼寝、そして読書のフィールドだったのです。

読書というと格好よいのですが、マンガ本の読書ですね。

いま、当時のマンガ本で読んでいた本を思い出そうとしたとき、この本以外でその内容を思い出す本が見当たりません。

その内容というのは、こうです。


ある町の子ども達の風景があります。私達の子どものころと一緒で、暗くなるまで遊ぶ毎日です。

その、子ども達の構成は、大きいお兄ちゃん、お姉ちゃん、中ぐらいのお兄ちゃんお姉ちゃん。そして、小さな男の子、女の子。という当時はあたりまえの構成です。

ただ、そのなかに少し知恵遅れの男の子がいました。いつも、少し皆から馬鹿にされる存在であり、のろまだったのです。

子ども達は、いつもある歌を歌っていました。元気よく大きな声で歌っていたのです。
知恵遅れの子は、少し歌い方が変でした。皆に馬鹿にされながらも、それでも皆にくっついて歌ったり、遊んだりしていました。

あるときとんでもない事件が起きたのです。

一番小さな女の子が、踏切を皆で渡っていたときに、踏み切りの線路と、踏み切りの板との間に足を挟んでしまいました。

足はなかなか抜けないで、子ども達だけしかいなかったのでどうすることも出来ないでいると、やがて汽車が来てしまったのです。

そのとき、その女の子の足を最後まであきらめずに抜こうとしていた子が、皆に馬鹿にされていた知恵遅れの子だったのです。

そして、やっと足が抜けたのですが、汽車のブレーキが間に合わず、男の子が渾身の力を振り絞って女の子を突き飛ばして、女の子は助かりましたが、知恵遅れの男の子は、汽車にひかれて死にました。

これが、私の脳裏に焼きついて離れようとしない「漫画本」です。


その題名も作者もわかりません。ただ、この漫画本を読んで涙している自分を思い出します。

キリストは、「友のために、自分の命を捨てること、これ以上の愛はない」といわれます。

私の心の奥底に「愛」のもつ「感動」が焼印のように押されたのです。

◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く、罪深い私を許してください。
主の御手は我が頭上にあって、祝福は私に十分に注がれております。

しかし、愚かなしもべは、今日も悩み苦しんでいます。どうか主よこの愚かなしもべを許してください。あなたへの固い信仰に立つことを得させてください。

あなたの平安を分け与えてください。

主は、私が幼少のころから私を捉え、私を導こうとされていました。
「あなたがたが、私を選んだのではない。私があなた方を選んだのだ」
と主は言われます。そのとおりです。アーメンです。

私達が生まれるはるか前に、既に主は私達をお選びになりました。
そして、すべての人々をお選びになっていたのです。

願わくは主よ、この愚かなしもべが主のしもべとして、主の栄光を証しすることができますように助け導いてください。
知恵もなく、力もなく、愛もなく、あるのは汚れた思いと罪深い思いとに埋め尽くされている、信仰の薄い私ですが、どうか主よ助け導いてください。

この祈りと願いとを、尊き御子、主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈り申し上げます。
アーメン。


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