
ブランドがその商品の製造者が自社製品の品質やサービス、イメージなどを発信し
差別化する定義づけするなら、その典型的なブランドが有ります。
40年代後半の会社設立から変わらず、ワンコンセプトを守りつづけている、
伊太利屋がそれにあたると思います。
トレンドを表現することがファッションとすれば、伊太利屋は特異なブランドといえます。
伊太利屋のホームページを開くと、菊池社長のブランドに対するメッセージが出ています。
時々このようなHPで主張している内容と実際の企業活動とが異なっている会社を見かけますが、
創業以来変わらないブランド(企業)は、ファッション業界では珍しいと思います。
伊太利屋の菊池社長について、私は強い印象を持っています。
一般的に知られている、「ピンクのロールスロイスやイタリアヴォーグ誌に掲載された
豹と一緒の写真」やイメージではなく、それより随分と前のことです。
昭和40年代に、三紫グループという婦人既製服の会社が東京にありました。
菊池社長は、その三紫のボトムのMDだったと記憶しています。
三紫グループは、三紫シメオン、カーメットなど、最初にディビジョン制を取り入れ、
三紫の会社はなくなりましたがその後のマンションメーカーからDCアパレル時代へと
人的に大きく影響を残しました。
菊池社長は、ミニスカートが大流行した昭和40年代に、次々ヒット商品を生み出す、
三紫カーメットの敏腕MDでした。
タータンチェックのキルトスカートやローラライズ(当時はヒップボーンと言っていましたが)の
マイクロミニスカート、ジャージのワンポイントのロゴ付きスカートなど、
ヒット商品を生み出す、私にとっては憧れのMDでした。
私は当時20歳半ばでMD経験が浅く、菊地課長の商品造りを大いに参考にさせていただきました。
それが、その後のジャージースカートの大ヒット商品を生み出し、
その後の私のMDの仕事に、大いに役立つ事となりました。
伊太利屋ブランドに興味を持っているのは、そんな思い出があったからです。