シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

予備校生入試投稿事件について

2011-03-03 19:27:56 | 気づき

 予備校生入試投稿の事件が今話題になっているが、私が目にした全ての言説が、「けしからん。これじゃあ頑張って勉強している他の受験生がかわいそうだ。」という趣旨で概ね一致している。

 しかし私はどうも感覚が違うのか、最初からこれらの単純な、部分的な見方に窮屈感を感じる。

 というのは、この事件が、人間の能力は何かという根本的な命題を提示したのではないかと思っているからだ。 

 確かにこの受験生はネットを通じて他人の力を利用し、問題に回答した。ある意味カンニングである。しかしこれが試験でなかったらどうなのだろう?自分では解けないが、解ける人をネット上で使って解くというのは、ある意味その人の能力なのではないだろうか?

 経営という視点で考えても、自分で何でもやるのではなく、分からない分野について人にやらせるというのは基本的な能力とも言える。かのヘンリー・フォードも、以下のような名言を残している。「自分以外の人間に頼むことができて、しかも彼らの方がうまくやってくれるとしたら自分でやる必要はない。」

 人間の脳がインターネットのようなものに常時接続された未来を想像してみよう。そのとき、「個人の能力」とはどのようなものとして考えられているのだろうか?この段階に至れば、個人の脳は、人間社会に広がる巨大な電脳の個々のシナプスのようなものである。ここまで至ったときに、試験で測るべき能力とは今と同じものであるはずがない。ネットにつなげば答えがすぐに手に入るような問題はもう問題として価値がないのである。そして、現在において既に人間の脳は事実上ネットに融合しているとも言えるのだ。

 もちろん、現時点では犯罪であり、許されるべきものでないのは承知の上だが、単純な議論で済ませるにはもったいないと思って書いてみた。

 映画「キャッチ・ミー・イフ・ユーキャン」の主人公の実在のモデルである、フランク・アバグネイル・Jr.(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AB)が16歳から21歳までの間に250万ドルの小切手詐欺を働きながら、FBIとの司法取引により早期釈放され、小切手詐欺の操作に協力し、現在ではセキュリティの専門家として大成功している。彼のように、この少年には今後、誹謗中傷にめげずに更生して、セカンド・チャンスにかけて欲しいと思っている。

 それにしても、こういう人が出てきてしまったということは、これまでヤフー知恵袋のような公開のものでなく、メールなどのやりとりで難関入試に密かに合格した輩というのは恐らく少なからず存在すると推察されるがどうだろう?


びっくり

2011-03-03 14:04:13 | 学んだこと

 昨日は、私が取締役をしている会社の社長と夜中まで話した。

 そして彼の言っていることを私がその場で言語化・理論化してみた結果分かったのが、彼が主張している方法論が、すさまじくパフォーマンスの出るやり方で、今後の混乱する時代の中でもまず負けない方法であるということ。また、この方法論を取る限り、理論的には成長曲線が続くことになるのだ。

 その上彼には驚くべき行動力、営業力、体力、気力まで備わっている。

 通常は、脳とか、能力というのは使い方が偏るものだが、彼の場合、それが全分野に亘って異常なくらい活性化しているとしかいいようがない。サッカーで言えば、FW、MF、DF、ゴールキーパー全部高いレベルでできる、というような感じだ。

 1人の人間にここまで才能が詰まっていていいのだろうか。もともと直感的には分かっていたことはいたのだが、昨晩それがはっきりと顕在意識で分かったのだった。

 彼が通常の学校教育の中で苦労したのは明らかにそのすさまじい才能ゆえだ。何もコンプレックスに感じる必要はない。人間は自分よりも遥かに頭の悪い教師から物を学ぶことは困難なのだ。そういう場合、「何を何のために言ってるのか分からない」ということになるからだ。

 能力開発を研究する立場からもつくづく興味深い人間だと再確認した。

 こういう人間が、混乱した時代に覇権を握るのではないか? 


荒唐無稽、なんて言われたらそれは勲章

2011-03-02 01:16:22 | 気づき

 私のある知り合いは、とても大きな目標を掲げつつも、それを実現するための地道な歩みを毎日着実に進めている。

 しかしその大きな目標を人に語ると、「そんな荒唐無稽なことよりも、毎日をちゃんと生きるのが大切。」などと言われるらしい。

 でも、どう見ても彼は着実に毎日を地道に積み上げて生きている。それに、今の世の中みんなが萎縮している中で、そういう大きなことを語れるのはすごいと思う。私はむしろ、大きな目標と地道な努力を両立させていて、全くもって偉いといつも思っている。

 しかしそれでもそういう彼を認めない人も沢山いる。これはなぜだ?

 この疑問に対してはこう答えておいた。

 「そんなことが分かる人間が沢山いたら、競争が激しくなるからこれでいいんですよ。」

 荒唐無稽なんていう言葉を言われたら、それは勲章だ、くらい思った方がいい時代なんだと思う。それくらいじゃないとこの時代乗り切れないと思うのは私だけだろうか?いつだって、その時代の一般の人々からはそういう風に思われるくらいの人間が世の中を変えている。