予備校生入試投稿の事件が今話題になっているが、私が目にした全ての言説が、「けしからん。これじゃあ頑張って勉強している他の受験生がかわいそうだ。」という趣旨で概ね一致している。
しかし私はどうも感覚が違うのか、最初からこれらの単純な、部分的な見方に窮屈感を感じる。
というのは、この事件が、人間の能力は何かという根本的な命題を提示したのではないかと思っているからだ。
確かにこの受験生はネットを通じて他人の力を利用し、問題に回答した。ある意味カンニングである。しかしこれが試験でなかったらどうなのだろう?自分では解けないが、解ける人をネット上で使って解くというのは、ある意味その人の能力なのではないだろうか?
経営という視点で考えても、自分で何でもやるのではなく、分からない分野について人にやらせるというのは基本的な能力とも言える。かのヘンリー・フォードも、以下のような名言を残している。「自分以外の人間に頼むことができて、しかも彼らの方がうまくやってくれるとしたら自分でやる必要はない。」
人間の脳がインターネットのようなものに常時接続された未来を想像してみよう。そのとき、「個人の能力」とはどのようなものとして考えられているのだろうか?この段階に至れば、個人の脳は、人間社会に広がる巨大な電脳の個々のシナプスのようなものである。ここまで至ったときに、試験で測るべき能力とは今と同じものであるはずがない。ネットにつなげば答えがすぐに手に入るような問題はもう問題として価値がないのである。そして、現在において既に人間の脳は事実上ネットに融合しているとも言えるのだ。
もちろん、現時点では犯罪であり、許されるべきものでないのは承知の上だが、単純な議論で済ませるにはもったいないと思って書いてみた。
映画「キャッチ・ミー・イフ・ユーキャン」の主人公の実在のモデルである、フランク・アバグネイル・Jr.(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AB)が16歳から21歳までの間に250万ドルの小切手詐欺を働きながら、FBIとの司法取引により早期釈放され、小切手詐欺の操作に協力し、現在ではセキュリティの専門家として大成功している。彼のように、この少年には今後、誹謗中傷にめげずに更生して、セカンド・チャンスにかけて欲しいと思っている。
それにしても、こういう人が出てきてしまったということは、これまでヤフー知恵袋のような公開のものでなく、メールなどのやりとりで難関入試に密かに合格した輩というのは恐らく少なからず存在すると推察されるがどうだろう?