中学生くらいの頃から、ケーキ屋に行くと思うようになったのは、沢山ケーキがあってその中から自分が食べるケーキを選ぶとき、はじめた行ったケーキ屋の場合、どれが本当に美味しいかは、買った後でないと分からない、ということ。
要は、選択の正しさは、選択の前には分かりようがないということ。試食があれば別ですが、そうでない場合は、だいたい、パッと見て、直感で何となく選ぶわけです。
そういうことって、人生においてもとっても多いと思うんです。
学校の選択なんか、その代表例。入ってみて初めて、本当のその学校の姿が分かる。でも、わかったときには既に選択の機会は終了しているわけです。
もう一度、選択しなおせることであれば、やり直せばいいのだから、問題ないのですが、そう簡単に選択しなおせない事柄については、選択を間違えた場合、かなり大変ですね。
ボタンを最初に掛け違えたまま、人生がどんどんと進んでいってしまうわけです。
こういう場合に、どうすればいいか、については一概に答えは出せません。
じゃあ、どうすればいいか。一番いいのは、選択自体を一番適当に行うことですよね。そのためには、選択をするときに気をつけることがいくつかあるのではないでしょうか。私なりに考えた結果を書きますね。全ての選択にあてはまることばかりでもないですが、そこのところはご容赦ください。
1.お試しバージョンを試す(→試食、ですね)。
2.今までに自分がした、似たような選択の結果のデータを思い出す。過去に20回類似の選択をした場合、成功は何回で、失敗は何回だったか。
3.既に類似のことについて選択した経験を持つ人で、自分と価値観が最も近いと思われる人物に、その選択の是非についてあらかじめ相談する。
4.選択の対象を、五感プラス第六感をフル動員して、よくよく分析する。
5.選択の対象についての情報をできるだけ集める。
みなさんは、どんな風に毎日の選択をしていますか?人間は、朝何時に起きるか、から始まって、夜何時に寝るか、まで、毎日恐ろしく沢山の選択をしており、その選択の1つ1つの積み重ねこそが私たちの未来を決定していくのです。
「選択によって未来が決まる」わけですから、最も適切な選択をするための方法論については、いくら検討してもし足りないのではないでしょうか。
あと、ここまで書いて思ったのは、選択が正しいか、どうかについては、実は、その選択をするときにどのようなプロセスを取ったかがかなり影響するということ。
つまり、いろいろとちゃんとしたプロセスを取って行った選択は、そういう手続きをきちんと踏んで行ったが故に正しい、ということができるわけです。
こういう考え方自体は、法律の世界では、「正しい手続きを取ったが故にその結論は正しい。」という論理として、当然のように思われていることです。
これを一般にあてはめてもとっても有用だな、と思いました。
上に挙げた1~5のような手続きをきちんと踏んでおけば、たとえどんな結果が出た場合でも、そのときの判断としてはベストだったのだから、納得がいく、というわけです。
全然手続きを踏まずに、エイヤっと決めていたのでは、成功した場合は偶然で再現性がなく、失敗した場合も後悔至極、ということになりかねません。
もちろん、1~5のようなことが全く不可能である場合は、エイヤで決める他ありませんが(笑)。