最近、たまに思うことがあります。 それは、世の中には、学歴とか社会的地位とかとは関係なく、天才的な才能の持ち主が一定の割合で存在しているということです。
あまりに頭が良すぎて、周りに理解されずに、子供の頃から変人としてしか扱われていないケースが結構あるのではないかと思います。 頭が良すぎるので、学校の授業やテストも、「何のためにそんなことをするのか?」と疑問に感じて真面目にやる気が起きません。無味感想な教科書を覚えるなどというつまらないことには全く反応しない彼らは大抵劣等生です。
じゃあ、IQはどうなのかというと、それも、「何のためにするのか?」という目的が分からないので一生懸命やりませんから測定不能になることが多いでしょう。 精密機械のように緻密な頭脳は、目的や、その意味が良くわからない無味乾燥な授業や、テストなどを全て拒否します。
彼らの特徴は、極めて論理的であったり、物事の本質しか見ないところに表れることが多いように思います。 いいかげんな理由や、表層的、あるいは非論理的な話を全て拒否する彼らは、大抵既存の教育システムや、社会システムからはむしろ頭が悪いとして放り出されることが多いはずです。
でも、世の中をガラっと変革したり、画期的なことをやったりするのは彼らのような人種だと思います。 性能が高すぎて周りから理解されない天才を発掘して、のびのびとその性能を発揮してもらうことが私はとても好きです。
素晴らしい、車で言えばF1のような性能を誇る頭脳であっても、それを評価する人がいなければ、自らが異常であると感じて早晩孤独の中で行き詰まってしまうでしょう。 愛情と、理解を普通の人よりも遥かに要求する点も、多くのリソースを必要とするF1とそっくりです。
しかし、これからの日本にはそういう、F1のような性能の、普通の人には到底理解されずに変人扱いされてしまうような天才的人物がどんどん世に出なければならないのです。
だから、そういう人を発掘することにはかなり意味があると感じています。 各フィールドで、そのとてつもない才能ゆえに孤立しがちな天才に自己の天才を自覚させ、他の天才と触れさせて刺激して目覚めさせる、そんなコンセプトを常に抱いています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます