ドナルド・トランプがベネズエラの体制転覆工作を指揮させる目的で特使に任命したエリオット・エイブラムズが下院外交委員会に登場した。
その公聴会でイルハン・オマール下院議員がエイブラムズを追求する場面があった。
本ブログでも書いたように、オマール議員はイスラエル・ロビーの影響力を問題にした議員だ。
そのオマール議員はエイブラムズがイラン・コントラ事件と自身の関わりについて議会へ情報を隠した罪を1991年に認め、
大統領だったジョージ・H・W・ブッシュの恩赦で助けられたと指摘、そうした人物の証言を信用できるのかと皮肉っている。
イラン・コントラ事件とはイスラム革命後のイランへの武器密輸とニカラグアの革命政権に対する秘密工作。
アメリカやイスラエルの属国的な存在だったイランの王制が1979年2月に倒されたが、
その年の11月にテヘランのアメリカ大使館が「学生」に占拠され、53名が人質になった。
アメリカでは1980年に大統領選挙があった。
現職のジミー・カーターはイスラム革命を阻止できなかった上、イスラエルへの忠誠度が足りないということで支配層から批判されていたが、
投票前に人質を解放できれば勝利する可能性はあった。
逆に共和党は人質が解放されては困る。
そこでロナルド・レーガンやジョージ・H・W・ブッシュの共和党陣営はイスラエルを巻き込み、
イラン側と人質解放の遅延交渉を始めた。
イランの新体制に親米グループを形成する狙いもあったのだろう。
共和党陣営はそうした工作を否定しているが、行われたとする信頼できる複数の証言や証拠が存在する。
(この辺の事情は拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』で説明した。)
結局、選挙ではレーガンが大統領に選ばれ、1981年1月20日に就任するのだが、レーガンが宣誓した20分後に人質は解放された。
エイブラムズが関係したのは中米での秘密工作。
議会から政権転覆工作を禁止されて予算がでなかったこともあり、CIAなど工作グループは麻薬(コカイン)取引で稼いでいたことがCIA内部の調査でも確認されている。
その確認されている事実を捜査していたロサンゼルス市警の特捜隊は解体されてメンバーは追い出され、
記事にした記者は有力メディアから総攻撃を受けて新聞社を追い出されて自殺に追い込まれた。
中米での工作はニカラグアだけが対象でなく、エル・サルバドルでも「汚い戦争」が実行された。
その中でCIAの手先になっていた軍人や警官は1980年3月にカトリックのオスカル・ロメロ大司教を暗殺、
その年の12月にはカトリックの修道女ら4名が惨殺された。
1981年12月にはエル・モソテの村で住民900名から1200名が殺された。
この事件についてエイブラムズはコミュニストのプロパガンダだと主張している。
オマール下院議員はその発言についても指摘している。
虐殺やクーデターと関わってきたエイブラムズだが、オマール議員の追及で興奮、その映像が放送されてしまった。
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