◎ ポツダム宣言と 領土 本来は ロシア 韓国 尖閣の領土問題など存在しない
1946年1月に出された連合軍最高司令部訓令によって、連合国は日本に帰属する小さな島々を決めた。
その小島は
「対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」で、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹等を除く」とされている。
国後島と択捉島は千島列島の一部で、本来なら、日本は韓国やロシアとの間に領土問題が存在しない。
◎ コーシキン氏:「日本政府は第2次世界大戦の領土上の総括を認め、ロシアがクリル諸島全島を合法的に所有することを認める声明を表さねばならない。
この声明は同時にこれら、または別の領土の『返還』要求を一切拒否するものでなければならない。
なぜならこれは第2次世界大戦の結果を書き換える試みに見えるからだ。
平和条約に締結し、それを両国の議会が批准して初めてロシア政府は共同宣言第9条の実現化についての交渉に踏み切ることができる。
この交渉が討議を必要とするのは以下の問題だ。
200海里の経済水域での漁業、諸島の大陸棚の資源産地の開発、諸島の軍事目的での使用。
この島を軍事目的で使用する問題は、米国が日米軍事同盟を維持し、日本を自国の軍事戦略に完全に組み込もうとしているがゆえに特別な意味を持つ。
クリル諸島域にロシアに対抗する米国の軍事基地を創設したり、戦略的に重要な南クリル海峡を米国がコントロールするような危険な事態をロシアは憂慮しないではいられないのだ。」
◎ この問題で日本政府は嘘をついている。
日本の敗戦後、戦勝国らの合意により千島列島南端の‘北方4島’を全て占めたロシア(当時 ソ連)が1956年の日-ソ共同声明の時に2島を返すことで日本政府と合意したが、
今になって日本政府は残りの2島も当初からロシア帰属の島々に含まれていなかったという側に言葉を変えたと和田教授は指摘する。
ここには冷戦時期に日本‐ロシアの接近を防ぐため4島一括返還を要求しろと日本政府を圧迫した米国が重要な役割を果たした。
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/14351.html
◎ 「北方4島は千島で無い旨、サンフランシスコ会議で議決済」
そんな議決はどこにもありません。日本国を代表した吉田茂全権は、クナシリ・エトロフを「南千島」と呼んで、千島列島の一部であることを認めています。
「【それを除く】島々を千島列島と呼称しているのだねw」
日本政府がそのような主張を始めるのは、サンフランシスコ条約が結ばれてから何年もあとの話です。
千島樺太交換条約では、
「千島列島のうちロシア領である部分を日本に引き渡す」となっていたのですが、これを日本側が意図的に誤訳して、
「ロシア領である千島列島を日本に引き渡す」として、クナシリ・エトロフが千島列島でないかのように解釈しました。しかし、フランス語学者などから誤訳を指摘されて、日本政府はこの主張を維持できなくなりました。
でたらめをねつ造してはいけません。日ソ共同宣言では、クナシリ・エトロフについてはまったく触れられていません。
したがって、日本政府はクナシリ・エトロフがソ連領だと認めたことになります。
また、ハボマイ・シコタンについては、「日本国の利益を考慮し、平和条約締結後に日本に引き渡す」となっています。
日本政府が嘘をついているのは、米国の命令です。
1956年の日ソ会談で、ハボマイ・シコタンの引き渡しで平和条約を結ぶことでほぼ合意していたのですが、日ソの接近を警戒した米国が横やりをいれ、「ハボマイ・シコタンのみで妥結するなら沖縄を永遠に返さない」といって平和条約の締結を阻止したのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1390399753
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-b23b.html
2.17 東京の露大使館近くで極右集会
東京にあるロシア大使館の建物付近で極右勢力による集会が行われたと、「スプートニク」特派員が伝えている。
警察によると、集会は許可を得て行われた。
集会参加者らは、クナシル(国後)島での軍事演習に抗議し「北方領土」を返還するよう求めるスローガンを叫んだ。
集会にはおよそ20人が集まった。
大使館の外交官らによると、同様の示威行動は最近かなり稀だという。
軍人2千人が参加し兵器約500台を動員した、クナシル島を含む南クリル諸島(北方四島)でのロシア軍による演習実施について、日本政府は抗議していた。