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「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

クロムウェルは英王室を乗っ取るための尖兵

2019-05-27 13:49:24 | コービン   英国



清教徒革命の指導者 オリバー・クロムウェル[1599-1658]は、

黒い貴族の代表者オレンジ公ウィリアム[1650-1702]を英国の国王とするための仕向けられた騎兵隊の隊長(尖兵隊)だった。


また、クロムウェルは、1657年にユダヤ人の追放を解除し、追放布告以来350年ぶりにユダヤ人の帰還を許した。



クロムウェルは、国王になることを望まれたが、これを拒否。


“ロード・プロテクター(護国卿)”の役職につき、終身イングランドの政治を担っていた。



クロムウェル亡き後、


ジェームズ2世の娘メアリー2世とその夫でオランダ総督ウィリアム3世(ウィレム3世)がイングランド王位に即位するクーデター事件を引き起こす。



その後、叔父かつ義父のジェームズ2世をフランスに追放した。


イングランドでは1人の死者も出すことなく体制変革に成功したため、名誉革命と呼ばれている。



【名誉革命】と呼ばれるのは、この革命によりイギリスのカトリックの再確立の可能性が完全に潰され、

【イングランド国教会の国教化が確定】しただけでなく、


権利の章典により国王の権利が制限され、イギリスにおける議会政治の基礎が築かれたからである。



ロンドン(そして英国)は、「彼ら」の思惑どおり、200年(16世紀初頭~18世紀初期)にして「彼ら」の手の内に落ちた。



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以下、リンク サイトより転載引用。



黒い貴族 デーヴィッド・アイク「最大の秘密」(訳書では「大いなる秘密」)よりの抜粋



注記: デイビッド・アイクがバビロニア同胞団あるいは黒い貴族と呼んでいるものを、私は、顕在/隠れ、秘密サバティアンのグローバル・ネットワークとして言及している。


多年にわたり、このネットワークの各種の部門に対して、多くの名前が付けられまた指名があった。


このグループのメンバーはユダヤ人の人口のごく小さな部分を代表しているだけだ。




黒い貴族達は、(後に)彼らの代表者オレンジ公ウィリアム[1650-1702]を王座につけることを望み、


これを実行するために(まず)彼らはチャールズ一世[1600-1649]を除去しなければならなかった。


彼は最終的に1649年首をはねられた。



カルビン主義は、君主制への騒乱を醸成するために用いられた。



続いてフリーメーソンでカルビン主義者のオリバー・クロムウェル[1599-1658]が登場した。




彼は、その英国の「内戦」において彼の円頭派が王党派と対決するように操作されたもうひとつの紛争において役目を果たした。



1921年9月3日の、アルフレッド・ダグラス卿による「Plain English」と呼ばれる出版物は、


チャールズ一世殺害の背後にうごめく計画に関連した通信文の内容を提示している。


それによると、大量の記録が、マルハイムのシナゴーグでLA・ファン・ファルケルトによって発見されていた。




★それらは【ドイツ語】で書かれており、ナポレオン戦争以来、失われていた。



オリバー・クロムウェルからエベネゼル・プラットに宛ての、1647年6月6日の記録(手紙)は述べている(現代語で):




「財政支援と引き換えに、ユダヤ人がイングランドに入国する許可を提唱するつもりだ;


これは、しかし、チャールズが生きている間は不可能である。


チャールズを裁判なしで処刑することはできないし、現時点では処刑のための十分な根拠が存在しない。


それゆえ、チャールズの暗殺を勧める。


しかし暗殺者を用意することに関わる気はない。彼の逃走を助けることには同意であるが。



エベネゼル・プラットの返信は1647年7月12日付けだった:


「財政的援助を行うつもりだ。


チャールズが除去されユダヤ人入国が認められ次第。


暗殺は危険すぎる。チャールズに逃亡の機会を与えるべきである。

彼の再逮捕が、ひいては裁判と排除を可能にするだろう。


その支持者達は寛大だろうが、裁判が始まるまでの条件を論ずることができなくなる。」 




この出版物はあまりにも暴露的であった。


そのため、ブラザーフッド・ネットワークは、出版者であるアルフレッド・ダグラス卿を投獄したほどだ。


ウィンストン・チャーチルについての、彼の論文の中での、申し立てられた「名誉毀損」を根拠として。



チャーチルのような悪魔主義者を名誉毀損することがいかにすれば可能なのか、理解することはかなり困難である。



プラットとクロムウェルとの間のそのやりとりは、実際の出来事に正確に映し出されている。



1647年11月12日には、チャールズ一世は逃亡することを許され、そして実際に、英国の南岸沖のワイト島に「かくまわれた」。


その島で、私はこの項を書いている。



チャールズは、再逮捕され、彼と議会が彼を助命するだろうひとつの合意に近づいたその時、クロムウェルは、いまや英国護民官になっていたが、合意を支持するすべての議会メンバーを解任した。


歴史はその残ったものを「残党議会」と呼んでいる。



別の新たな裁判がクロムウェルによって命令された。アムステルダムの彼の銀行家達との合意は、チャールズは処刑されるというものだった。



「チャールズに対する起訴状は、アイザック・ドリスラウス[1595-1649]によって起草された。




★彼は、クロムウエルの「革命」に対するアムステルダムからの主たる資金供給者の一人であるマナセ・ベン・イスラエル[1604-1657]の英国におけるエージェントだった。



その「裁判」の結果は、チャールズの公開断頭処刑であり、


クロムウェルによる【英国へのユダヤ人の帰還許可】がこれに続いた。



私は、我々は、実のところ(一般の)ユダヤ人について語っているのではないと強調しておく。 


そうではなく、「ユダヤ人」という言葉の背後に隠れて、自分たちをユダヤ人であると呼んでいる大衆を情け容赦なく操作している【黒い貴族】とブラザーフッドの金融ヒエラルキーについて語っているのである。




★1661年のクロムウェルの死後、彼の信奉者であった多くのカルビン派ピューリタンはアメリカを目指した。★


チャールズ2世[1630-1685]下の王制復古に引き続く「宗教的迫害」を逃れるために。


これらは、宗教的狂信者たちであり、「神」の旗印の下に、アメリカ原住民を大量虐殺した。



★アムステルダムの黒い貴族の銀行家たちは、チャールズ2世を弱体化させる目的で、英国に金融恐慌を引き起こした。



最終的に、1667年オランダと英国の間で 「平和」条約が締結された。


その中で、★オレンジ公ウィリアム(黒い貴族)がヨーク公の娘メアリーと結婚することになった。

 

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=290065










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