スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

シリア・露米 ようやく別れ / ムガベ大統領

2016-09-26 20:09:43 | シリア ・中東



ロシア政府の広報官、マリア・ザハロワはアメリカ軍主導の連合国軍によるシリア政府軍空爆について、

「どのように考えても、私たちは恐ろしい結論に到達してしまう。つまり、ホワイトハウスはダーイッシュを守っているのだ。疑いようがない。」と語っているが、


アメリカやその「同盟国」がアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを侵略の手先に使っていることは公然の秘密。当然のことながらロシア政府も熟知しているはずだが、これまで口にしてこなかっただけだ。


アメリカの好戦派はロシア軍がシリアで空爆すると予想していなかったようで、慌てていた。


シリア政府軍に対する攻撃を指揮したとされる外国人をロシア軍が攻撃、殺害したとする情報について西側メディアは沈黙しているようだが、間違った情報なら、それなりの反応があるはず。巡航ミサイルによる攻撃の情報は正しく、オバマ政権は大きなショックを受けているのだろう。

 

ロシア海軍の重航空巡洋艦(空母)クズネツォフ提督が10月にシリア沖に到着、シリアでの軍事行動に参加すると言われているのだが、これまでと違い、シリアに潜伏しているアメリカなど外国の軍人や情報機関メンバーも攻撃の対象になりそうだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609230000/






◎ 米軍の同盟国が飛ばしたドローンが 犯人か?
 

アメリカ支配層の一部は戦争への道を驀進している。

予想されていた通り、アメリカ大統領選挙の投票日が近づくにつれ、軍事的な緊張が高まってきた。ヒラリー・クリントンの病状も今後の展開に少なからぬ影響を与えるだろう。万一、クリントンが病死した場合、「暗殺」が演出される可能性もある。

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609230001/






◎ アメリカ上院の軍事委員会にアシュトン・カーター国防長官とジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長が9月22日に登場、19日に国連の車列がアレッポで攻撃されて12名が死亡した攻撃について証言した。



ふたりはロシアかシリアの仕業だと主張したが、議員から質問を受けるとダンフォードは証拠を持っていないと答え、カーターは実行者かどうかには関係なくロシアに責任があると語っている。



リビアと同じように飛行禁止空域を設けるべきだとする意見に対してダンフォードは、ロシアやシリアと戦争になるとしたが、これは正しい。


 アレッポの出来事に絡み、ロシア国防省は車列の横を迫撃砲を引いた車両が走っている映像を発表、アレッポで空爆があった頃、トルコのインシルリク空軍基地を飛び立った攻撃用ドローンがその上空を飛行していたことを示す証拠を持っていると発表している。




 ローマ教皇庁はアメリカの好戦派に対して批判的な姿勢を続けているが、何しろ、キリスト教徒を殺戮しているのはアメリカを後ろ盾とするアル・カイダ系武装集団やダーイッシュであり、守ろうとしているのがアサド政権だ。




 日米欧の有力メディアはアメリカ支配層のシナリオに沿った話を拡散し、それを信じている、あるいは信じた振りをしている人も少なくない。ここにきて支配層の嘘に気づいた人は増えているようだが、西側世界の流れは嘘に基づいている。

 

日本が降服して間もなく、映画監督の伊丹万作はこんなことを書いている。



戦争が本格化すると「日本人全体が夢中になって互に騙したり騙されたりしていた」。

 「『騙されていた』と言う一語の持つ便利な効果に搦れて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見る時、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。」

 
「『騙されていた』と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。」(伊丹万作『戦争責任者の問題』映画春秋、1946年8月)

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609230001/







9.26 アフリカ諸国が国連から脱退?



ジンバブエのムガベ大統領は、国連安全保障理事会が早急に改革されなければ、アフリカ諸国は国連から脱退する可能性があると発表した。


大統領は、国連安保理のアフリカ大陸の代表国が拡大されることに期待している。ムガベ大統領は、もしそうならなかった場合、既存の機関に対して別の機関をつくると発表した。


大統領は、アフリカ諸国と一緒に新たな機関に加盟するのは、ロシア、中国、インド、そして国連安保理で支配的な西側の政策に同意しない国々だと述べた。


ムガベ大統領は、西側の指導者たちはアフリカ諸国の意見を考慮していないため、もし国連改革が行われなければ、国連から一連の国々が脱退する可能性があるとの考えを表した。

先に国連安保理がシリアに関する緊急会合を開くと報じられた。





◎ ジンバブエ、ムガベ大統領が“モンスター”になった理由とは?


 ジンバブエのことは「独裁者が超ハイパーインフレを引き起こした国」という程度の知識しかなかったのだが それほど単純な話ではないようだ。そもそも、ヨーロッパの植民地として搾取されつづけたアフリカの歴史に単純な構図などないのだが。



 前回述べたように、ジンバブエはもともとイギリスの植民地で、第二次世界大戦後は宗主国であるイギリスの反対を押し切ってアパルトヘイト国家、ローデシア共和国として独立した。




ジンバブエ大統領 ムガベ氏 90歳誕生日を盛大に祝賀       写真:AP/アフロ



ムガベは反植民地闘争の英雄で、国民を人種差別的な白人権力から解放したのだから、きわめて大きな道徳的正当性を持っている。

欧米諸国もムガベの「偉業」を認め、過去の人種差別について「反省」するほかはない。これが、アフリカ諸国と欧米との「歴史問題」の基本的な構図だ。




興味深いムガベの生い立ち



――ムガベは1924年2月21日にカトリック教会の大工の子として生まれたが、幼少の頃に長兄が死に、その後、出稼ぎにいった父が家族を見捨て、一家は貧困の苦しみを味わうことになる。ようやく父が戻ってきたとき、彼は3人の異母兄弟を連れていた。そんな父を、ムガベは許すことができなかった。


 若い頃に尼僧になろうとした母はしつけに厳格で、ムガベはその期待を背負って学業に励んだ。弟は兄ムガベについてこう語っている。



「彼は友達をつくることに関心がなかった。本が友達だった。



 ムガベは教員資格を取得後、奨学金を得て南アフリカの大学に留学し、そこでマルクス主義とガンジーの思想から影響を受けた。


学士号取得後は帰国してミッションスクールの教師になり、ロンドン大学の通信教育を受け、1958年にガーナの師範学校に赴任することになる。ガーナは前年にサハラ以南のアフリカで最初の独立国になり、アフリカの統一とその象徴たるアフリカ合衆国を目指していた。



 ムガベはガーナで、社交的で知的な女性サリー・ヘイフロンとめぐりあう。彼女はムガベの同志となり、彼が唯一心を開くことのできる人になった(サリーが1992年に腎不全で死去したことが、ムガベの人格が豹変する理由のひとつとされた)。



 ガーナからの帰国後、首都ソールズベリー(現在のハラレ)で開かれた抗議集会での演説で注目され、ムガベは次第に民族運動の担い手になっていく。11年間投獄されたあと、遅れてゲリラ活動に加わったものの、解放闘争初期の有力者たちが暗殺や事故で死亡したことで指導者となり、ついには首相に就任する。



 妻サリーの姪によると、「彼(ムガベ)は誰にでも学校に行くことを薦め、公邸の庭師にも通信教育を薦め、授業料を払ってやった。ある時期には公邸の従業員全員に定期的に授業を開いた」。



 牢獄にいたときもムガベは時間を無駄にせず、ロンドン大学の通信教育で法学と経済学の学位をとった。そればかりか受刑者の勉強会を開き、他の仲間に学習させていた。



 首相になってからも、ムガベは常に丁重で時間に正確だった。



「ムガベは今でもイギリス紳士の服装をしている。それが彼の変わらないスタイルだ。彼のふるまいもイギリス紳士のようで、面と向かっていると素晴らしい人です。同じ人だとは信じられないでしょう」



「一対一だと彼はどぎまぎして、ぎこちないようにみえ、実際恥ずかしがり屋であった。公式行事や宴会に出なければならないが、彼はけっして楽しんでいなかった。水の入ったグラスを持って彼は悲しげに見えるか、ワインを啜っていた。しかも最後まで半分は残っていた」 との証言もある。



当初は白人を排除することはなかった




独立直前の選挙で勝利したあと、ムガベは次のように述べた。

「私は、黒人であろうと、白人であろうと、悲惨な過去を忘れ、他の人々を許し、新たな親交のもとに手に手をとって、共にジンバブウェ人として人種主義、部族主義、そして地域主義を忘れ、かつ無視して経済機構を再生するために、我が社会を再建し、復興すべく懸命に働くことを私と共に誓約するように切に訴えるものである」


 またムガベは、白人のデニス・ノーマン(独立前は商業農家組合議長)を初代の農業大臣に任命した。


 ノーマンはムガベと強い信頼関係で結ばれたものの、当の白人社会から批判にさらされ、農業大臣を罷免されることになる。




ムガベが20年後に“モンスター”になった理由とは?


独立直後のムガベは人種の融和を説き、黒人に自制を求める、ネルソン・マンデラと同じような穏健で賢明な黒人指導者だった。そんな彼がなぜ、20年後には“モンスター”になってしまったのか。


これにはもちろんさまざまな要因が考えられるだろうが、小倉氏は前掲書で、冷戦の終焉と97年のブレア労働党政権の登場を指摘している。



ニューレーバーを旗印に地すべり的な大勝を収めた労働党政権は、イギリスの、そして西欧の民主主義と人道思想を広めることは道義的責任であるとするブレアは、9.11同時多発テロによってこの考えをさらに強固にし、テロとの戦いとアフリカの開発にのめりこむことになる。



それに対してムガベは、2002年にヨハネスブルグで開催された開発に関する世界サミットで次のようにブレアを批判した。




「我々はヨーロッパ人ではない。ヨーロッパのわずか1インチ平方の土地でさえ要求したことはない。だからブレアよ、イングランドをくれてやるから、我がシンバブウェは私のものだ




このサミットでムガベは喝采を博し、ブレアには野次が投げかけられた。

これをきっかけにイギリスなど欧米のメディアはジンバブエの土地改革を「土地強奪」、支配政党を「腐敗した残忍な独裁」と非難するようになった。




だが真の問題は、ブレア政権が植民地支配を過去のこととして扱おうとしたことにあると小倉氏は述べる。

「今日のジンバブウェの状況を過去と切り離す姿勢と、ジンバブウェ問題をムガベ問題に矮小化する態度とは大いに関連している」。


すなわち、植民地問題の「責任」を否認するために、イギリス(ブレア政権)にはムガベという「独裁者」が必要だったのだ。こうして、「人格の破綻したモンスター」というイメージが意図的につくられていく。



もちろんこれは、ムガベや政権幹部たちが清廉潔白だということではない。だが同じように腐敗している権力者はアフリカ諸国には(残念ながら)いくらでもいる。そのなかでなぜ、ジンバブエだけが極端な経済制裁の対象になるのだろうか。



 それは、ムガベが植民地問題の過去を清算するために白人の土地を接収したからだ。黒人同士の土地争いであれば、彼らはなんの関心も持たなかっただろう――これが、ジンバブエから欧米に突きつけられている「歴史の責任」なのだ。


http://diamond.jp/articles/-/71922