必ず 十字架にかけられる 必ず ヨブのように砕かれる 一方
悪魔に好かれたものは 必ず 優性思想を吹き込まれ 擽られ 他を バカにしていく
たとえば チョン シナ 貧乏なロシア と 罵声を浴びせる
天皇教は このような 悪魔に好かれる者たちによって 成り立っている。
9.21 ウクライナ上空で撃墜されたマレーシア機に関する捏造の解明が続く
ロシアのブロガーたちのグループは、ウクライナで墜落したマレーシア航空МН17便に関するコミュニティ「ベーリングキャット(Bellingcat)」の捏造を明らかにする調査の第2部を公表した。
アムステルダムからクアラルンプールへ向かっていたマレーシア航空МН17便(ボーイング777型機)は、2014年7月17日にウクライナ東部ドネツク上空で撃墜された。悲劇の犯人は未だ特定されていない。そのためあらゆることでロシアを非難したがる人々は、そこに悪用のための「豊かな基盤」を見出している。
2016年7月15日、「ベーリングキャット」という名のインターネットコミュニティが、МН17便に関する独自の最終報告を公表した。その結論は、「旅客機は、親ロシア派分離主義者たちが地対空ミサイルシステム『ブーク』で撃墜した」というものだった。報告書はオランダ検察庁に渡された。
一般の人々向けの説によると、「ベーリングキャット」の設立者はエリオット・ヒギンズ氏(ニックネームはブラウン・
モーゼ)で、「ベーリングキャット」のボランティアたちは世界中で無償活動しているとされている。
しかし複数の消息筋によると、「ベーリングキャット」は
米国と英国の情報機関によって招かれ、インターネット上に反ロシア的情報を流すために使われているという。
ロシアのブロガーたちのグループは、「ベーリングキャット」の捏造を調査するために
一つになった。
先に「スプートニク」は、ブロガーグループが「AntiBellingcat:МН17便に関する公開情報の捏造:あれから2年」と名付けられた文書の第1部をロシア語と英語で公表したとお伝えした。
本日その第2部が、同じくロシア語と英語で公表された。
調査では、「ベーリングキャット」が収集した彼らの都合のいいように解釈された「事実」、まるで証拠であるかのような
修正された写真や動画資料が、根拠薄弱であることが示されている。
さらに「証人」(実際はベーリングキャットの「ボランティア」たち)の一部が、資料を投稿した直後に消えた。
「ベーリングキャット」の一連の資料の出所は、キエフ軍事政権の内相で、未成年者少年マニアであるアルセン・アヴァコフ氏だ。このような情報源の信憑性と公平性には極めて疑問がある。
完全に明らかなのは、この情報発信の目的がただ一つ、ロシア側とドンバスの義勇軍がマレーシア機の悲劇の責任をとらなければならないという
世論を形成することにあることだ。
扇動者らの思惑では、まさに反ロシア説が、2016年9月28日に公表されるМН17便に関する国際調査委員会の報告書の基盤とならなければならないようだ。
報告書「AntiBellingcat」で集められたデータは、МН17便の墜落が、ウクライナ軍の行動による結果であることを直接的および間接的に物語っている。まさに防空分野のロシアの専門家たちの意見も、それを確認している。
以下、報告書「AntiBellingcat」で証明されている主な状況をお伝えする。
「ボーイング」が白いトレーラーで運ばれた「ブーク」の装置によって撃墜されたという「ベーリングキャット」のあらゆる主張は根拠がなく、「ベーリングキャット」がこの「ブーク」の移動ルートの追跡に成功したというE.ヒギンズ氏の声明は、単純だが、よくつくられた偽物だ。
「ベーリングキャット」が主張する、「『ボーイング』が義勇軍の地対空ミサイルシステム『ブーク』1基によって撃墜された」とする可能性は極めて低い。
ウクライナの政治家たちは独自の声明を表しているが、ウクライナ軍は2014年7月、ドンバスにかなりの防空部隊を有しており、そこには技術的に航空機を撃墜することができる「ブーク」の完全なシステムも複数含まれていた。
マレーシア航空の「ボーイング」の悲劇にロシア第53旅団のいわゆる「ブーク3х2」(332と思われる)が関与したとする「ベーリングキャット」の非難は、いかなる根拠もない。
報告書はまた、2014年7月17日にザロシェンスコ村周辺からウクライナの地対空ミサイル「ブーク」によって、МН17便の墜落原因となったミサイルが発射されたという情報を確認している。
上空から落ちたウィスキーは こんな 感じです (笑)
9.21 「スプートニク」
ポーランドで見つかった「タイムカプセル」が明かす秘密を知る
ポーランド北西部の西ポモージェ県ズロチェネツ(第二次世界大戦終結までドイツ領でオルデンスブルクと呼ばれていた)で、
1934年に
ナチスがその後世の人々のために残した「タイムカプセル」が見つかった。
「スプートニク」は、カプセルが見つかった西ポモージェ県ズロチェネツ市の職員セバスチャン・クロパトニツキさんに話を伺った。
クロパトニツキさん:私がはじめて「タイムカプセル」について知ったのは1997年のことです。
当時、私たちの町の歴史について書かれたロルフ・サウィンスキさんの書籍が出版されました。
この本の中で、オルデンスブルクが町の地位を得てから1934年で600年を迎えたと述べられていました。その記念日を祝って「未来へのメッセージ」を埋める式典が行われました。
私たちが探し始めたのは2015年になってからです。
秘密の「タイムカプセル」探しを提案したのは我々のクシシュトフ・ザハジェフスキ市長です。私たち皆がこの夏夢中になりました!なお大勢の人が、カプセルを探すのは不可能だと言いました。
しかもメッセージが入った容器は、軍部隊の敷地内にあり、省を通じて全ての捜索作業の許可を得なければなりませんでしたが、私たちはそれを行いました。
私たちが最も夢中になったのは、1934年に撮影されたドキュメンタリー映画を見つけることでした。しかし容器の中にこの映画は入っていませんでした!でも他の興味深いものが入っていました…
クロパトニツキさん:私たちは、ドイツ国家社会主義労働者党の人員を訓練する学校のための最適な場所探しについてベルリンと手紙のやり取りをしていた地元の銀行家の手紙を見つけました!文章は手書きで、鉛筆によりゴシック体で書かれていました。
スプートニク:容器の中にコインや新聞、あるいは写真などは入っていましたか?
クロパトニツキさん:はい。当時ドイツで使用されていたコインがありました。また上から撮ったものも含めて私たちの町の写真もありました。
でも最高の状態で残っていたのは、当時のドイツの新聞です。まるでたった今印刷所から出てきたばかりのようです。この新聞を読むのはとても興味深いです…
スプートニク:「タイムカプセル」は過去だけでなく、1939年に第二次世界大戦を始めた全く別の国からのメッセージだと言うこともできます。
今回の発見は、あなたの町の住民、ポーランド人、そして我々すべての人間にとってどのような意味を持っていると思いますか?
クロパトニツキさん:自分の感情を表現するのは難しいのですが、私の個人的な意見を述べます。
1933年と1934年は1939年に我々を襲った巨大な悪の始まりとなりました!当時ヒトラーの恐ろしいすべての計画がはっきりとした形となり、特にドイツ国家社会主義労働者党の人員のための訓練学校がつくられました。
私は歴史家ではありませんが、これらの学校では
単に残酷な殺人者が養成されたのです。
キエフクーデターとポーランド
ポーランド政府がキエフのクーデターに協力していたとポーランドで報道されている。
ロシアに対抗するため、ポーランドのトマシュ・シモニャク国防相は
NATO軍を派遣しろと主張しているようだが、これもポーランドがクーデターを支援していることを示している。
ところで、アメリカが東ヨーロッパへの揺さぶりを本格化させるのは1970年代のこと。1979年にハンガリー生まれの投機家、ジョージ・ソロスは「オープン・ソサエティ基金」を開始、84年にはハンガリーでも基金を創設した。
1979年には
ポーランド生まれのズビグネフ・ブレジンスキー米大統領補佐官がソ連軍をアフガニスタンへ誘き出すための秘密工作を始め、エルサレムではアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとが「国際テロリズム」に関する会議を開き、
「ソ連がテロの黒幕」だというキャンペーンを開始している。
CIAの秘密刑務所が設置された国のひとつであるポーランドは現在、アメリカの手先として活動している。
そのポーランドをアメリカが支配する突破口を作った「連帯」。その労組で議長を務めた
ワレサはポーランド大統領を経て2002年にアメリカのソフトウェア会社の重役に就任、資本主義社会の「成功者」になったと言えるだろうが、大多数のポーランド人やウクライナ人には縁のない話だ。
TPPは 米ではなく 田布施の願望
全てが 米の圧力 という 逃げのプロパガンダで 天皇は どこまでも 生き延びていく。
そして これを崩すのは 日本では 至難の技だ。
ヒロヒトの言うとおり 日本人は 愚か そして 従順、統治しやすい。
いずれにせよ、統治している 天皇も 愚かな 国民も もう あまり 地球には 不必要ではないだろうか。