上空のかすかなジェット音にフッと見上げると、山陰独特のどんよりとした冬空に、虹が架かり
雲の切れ間から、一ヶ所だけ真っ青な空がのぞき、光がふり注いでおり、クロスする様に、羽
田発(出雲空港行)のジェット機が飛んでいました。
この時期めったに見られない、とても気持ちが晴れやかになる様な光景に出会ったため、ソッ
とイメージしながら帰宅し、さっそく絵に描いてみました。
いつもそこにある「空」なのに、随分久しぶりに見上げた様な気がします・・・思えばあのジェッ
トで、人生の悲喜交々を乗せてフライトしたことか・・・・・・・
久し振りに空を見て、20代の頃、今では動機さえ忘れてしまったが、高村光太郎(彫刻家・詩人)
の、
『智恵子抄』 ~あれが阿多多羅山(あたたらやま) あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)~
を読んでいたことも思い出し、引出しから引っ張り出してきてめくってみた。
その中に、妻・智恵子(画家・詩人・福島県出身)について光太郎は、
「あどけない話」
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
と云う「空」に関する、詩の一節を思い出してしまった。
また、詩集の中で光太郎は、だんだん心が壊れてゆき、不治の病に冒された智恵子について・・
「千鳥と遊ぶ智恵子」
人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわって智恵子は遊ぶ。
無数の友達が智恵子の名を呼ぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子に寄って来る。
口の中でいつでも何か言ってる智恵子が
両手をあげてよびかえす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を智恵子がねだる。
智恵子はそれをぱらぱらに投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子を呼ぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。
と云う、最愛のつまへの愛と絆の強さを詠った詩も残している。
なぜかこの『知恵子抄』、我が家の本棚ではなく、1冊だけ場違いな和ダンスの引き出しの中に
永く眠っている。
~今日も良い一日でありますように~
羨ましいくらいです^^。虹ですか~
しばらく見ていないですね~。ふんわり優しい
タッチで、心が和みました^^。フライトなさったのですか?
takaさまの昔の御職業っておひとつじゃないのですね~智恵子しょう
私も昔好きで読みました、二本松まで行ったこともあります。心が向こう側に行ってしまった奥様を、旦那様はどんな気持ちで見つめていたのでしょうね・・・。悲しい・・。
“フライト“は単なる飛行(搭乗)の意味でした。 紛らわしいですね“
でも、そう言えば昔、空自の飛行学生の試験を
受けたことがあります。
男の子らしく、空への憧れは人一倍強かったように思います。