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つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

北区マジック友の会『奇術発表会』

2011年11月13日 | マジック
                 北区マジック友の会『奇術発表会』(赤羽会館)

白鳥勝彦さんからの案内で北区マジック友の会による「奇術発表会」を観覧した。
TAMCからは坂本圭史会長、大原希是さん、澤田孝之さん、三好勲さんが会場に来ていた。
発表会は一人づつの出演であり、TAMCのように複数での出演は、白鳥勝彦一座によるイリュージョンマジックだけであった。

マジック暦の長い人の演技はさすがに上手く演じている。
マジックはやはり練習をいかにしたかによって本番のときに結果が出てくる。

白鳥勝彦一座によるイリュージョンは、2週間前に出演したときのTAMCのときとは少し内容を変えて演じていた。
修正をしていたところはさらに上手く演じていた。
やはり檻から消えた白鳥勝彦さんが会場の後方から出現をしたときには観客は皆ビックリしていた。

北区のマジック発表会は、白鳥勝彦一座のイリュージョンを楽しみにしてくる人たちが多いようだ。
いつも観客を楽しませるイリュージョンマジックは素晴らしい。

(11月13日記)
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武蔵野第三中開校60周年記念祝賀会

2011年11月12日 | 日記
                     開校当時の模様を披露する武藤忠春先生

記念祝賀会は同期の連中と同じテーブルについた。
学校長、来賓挨拶、鏡開きと続き、乾杯は本校十代目校長の市川哲夫氏の発声で行われた。
PTAの関係者が各テーブルの接待役をしていた。
現在はPTAの会長や役員たちは全て女性で占められている。他校のPTA役員たちも全て女性であった。往時と比較しての様変わりにはびっくりもした。

旧教員を代表して武藤忠春先生が壇上に上がり、開校当時の模様を披露した。
初代校長であった實方亀壽校長の話や、1回生、2回生の入学式は校舎が完成をしていないときであり、武蔵野1中のグランドを借用して入学式を行ったエピソード等。
元木靖則校長はじめ同窓生たちは武藤忠春先生の話を真剣に聞いていた。当時のことを知る数少ない体験者の話には胸にジーンとくるものがある。
とてもいい話を武藤忠春先生はしてくれた。

實方亀壽校長が掲げた「学校の教育目標」の理念が武藤忠春先生から詳しい解説を入れて披露された。
◆個性豊かな文化の創造と民主的な社会の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる人間性豊かな社会人を育成することを目標として、次の標語をかかげる。
このひとつひとつを目標とするだけでなく、それらが一体となり、相関連し、相補うものとする。
 (1)知性豊かな人になろう
 (2)情味のある人になろう
 (3)品の良い人になろう
 (4)健康な人になろう
 (5)骨身を惜しまず働く人になろう

實方亀壽校長は、教職員、父母たち、生徒など誰からも尊敬をされた立派な教育者であった。
武蔵野三中校長から東京都教育委員会の赴任の為に異動していった。

實方亀壽校長が朝礼のときに話をしたことを思い出した。
「今では空には月や星が見えるけれども、これからは各国が打ち上げられる人工衛星がたくさん地球の周りを回る時代がやって来る」
今でもそのときの実方校長の顔が思い出される。

(11月12日記)
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武蔵野第三中開校60周年記念事業に寄せて

2011年11月11日 | 日記
                    写真展では恩師たちの記念写真を発見する

開校60周年記念式典が終了して、会場を記念祝賀会に設定する時間を利用して、写真の展示室を見物した。

開校60周年記念事業に寄せて、吉祥寺駅周辺の昔の写真展は須田富昭氏が提供したもの。
その他に、武蔵野市立第三中学校の昔の写真パネルや歴代の卒業アルバムなどが展示してあった。

我々がお世話になった当時の恩師たちの記念写真が貼ってあった。
ここに○○先生が、コチラは○○先生だ。と指をさして先生の写真を追っていった。
そのなかでこの祝賀会に参加したのは、武藤忠春先生会津静子先生佐藤伸一先生らであった。
その写真の中にはもう逝去された先生たちもたくさんいた。時間の経過を感ずる。

卒業アルバムは1961年版が我々のもの。
クラス別の集合記念写真から始まり、修学旅行、運動会、文化祭等が掲載されている。
懐かしい同期の仲間たちの写真を見ながら当時を懐古していた。

(11月11日記)
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武蔵野第三中開校60周年記念式典

2011年11月10日 | 日記
                  60周年記念式典会場(武蔵野第三中体育館)

3年間中学校を過ごした学校が開校60周年を迎えたので参加した。
武蔵野市の吉祥寺駅から徒歩10分のところにある武蔵野市立第三中学校
そこの9回生となる。
同期の柴村浩氏が同窓会からの実行委員となり準備と運営に尽力していた。
前々から連絡を受けていたので、高校と大学の同窓会と日程が重なったけど、中学校の記念式典に参加した。

記念式典は、体育館で開催された。
1年から3年生までの在校生が中央に座り、両側には教職員席と来賓席が並んでいた。
総勢700名ほどの参加者でいっぱいであった。
来賓席には、教育委員会の関係者、武蔵野市長・市議会議員、市内校長園長、PTA会役員・旧PTA会長および市内の各学校のPTA会長、同窓会役員、旧教職員等。
なかには、教育委員職務代理者として音楽家のみなみらんぼう氏の姿もあった。

元木靖則校長は、壇上で式辞のなかで次のように話していた。
「60年の永きにわたり、綿々と築きあげられてきた本校の栄えある歴史と伝統に深く思いを巡らせるとともに、この意義深い節目を新たな出発点とし、生徒の健やかな成長と皆様に信頼される学校づくりを目指して、本校教育の充実と発展に努めてまいる所存です」と緊張ぎみに語っていた。

その後、栃折暢子武蔵野市教育委員長、邑上守正武蔵野市長、きくち太郎武蔵野市議会議長らの挨拶が続いた。
生徒らはきちんと来賓の人のスピーチを集中して聞いている。
校歌斉唱および生徒合唱の「明日という日が」「大地讃頌」が披露された。
そして吹奏楽部による演奏は「竹取物語」であり素晴らしいオーケストラであった。
これが中学生の演奏であるかとびっくりした。
映画音楽を聴いているような格調高いオーケストラ演奏であり、とても嬉しくなった。

(11月10日記)
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劇団若獅子錦秋公演『王将』を観劇

2011年11月09日 | 演芸
              若獅子の「王将」公演終了後挨拶(三越劇場)

劇団若獅子の錦秋公演は日本橋の三越劇場において開催された。
三越劇場はあまり大きな劇場でないので二階席が良い。舞台も斜め上から観ることができて役者の台詞もとても聞きやすい。

王将』は棋界の名人で実在していた阪田三吉の生涯を北條秀司が、新国劇の辰巳柳太郎の為に書き下ろした作品である。
その後、映画でも名優が演じている。
新国劇の関係では、王将の坂田三吉を演じたのは辰巳柳太郎が最初で、緒形拳も演じた。島田正吾はひとり芝居で演じた。
この度、劇団若獅子の笠原章代表が坂田三吉役で「王将」を上演している。
一昨年は国立劇場での上演があった。
今回のプログラムには、新国劇を偲び 緒形拳追悼としている。
緒形拳の長男の緒形幹太は、父親の勧めにより前作同様、坂田三吉の弟子の「森川」役を演じている。

第一幕の木屋町の旅館の二階座敷の場
関根八段に勝利した坂田三吉七段(笠原章)に対して後援者たちは絶賛をするが、娘の玉江(平井愛子)が、起死回生の一手が苦しまぎれに打った手だと見抜いて「勝負に勝てても、将棋には勝てへん」と責める場面が前半の山であり、二人が上手く演じていた。

女房の小春役の神野美伽がいい芝居をしている。二幕からは娘の玉江役で出演をして好演している。

◆次回の劇団若獅子公演(結成25周年記念)は、5月・6月に
澤田正二郎演出に拠る白野弁十郎より『シラノ』である。
東京公演は俳優座劇場(5月28日~6月3日)。

(11月9日記)
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ベトナム風サンドイッチの店「VI・SAND」について

2011年11月08日 | 日記
                    下北沢にある「VIーSAND」のお店

遠藤明弘さんの友人が経営する下北沢のお店に行った。
そこはベトナム風サンドイッチの店「VIーSAND」であり、今年2月にオープンしたところ。
シェフ店長は、イベント講師や雑誌等で執筆活動を行う野菜ソムリエ&アジアンフードコーディネーターの島田孝子さん
ブログでベトナム料理の普及活動を試みている。

ベトナムは18世紀にフランスの植民地となり、パンを食べる習慣がある。
フランスパンに食材をはさんでベトナムサンドイッチにしたのがバインミーと呼ばれている。
レシピはフランスパンにバター、レバーペーストなどのパテを塗り、甘酢付けの野菜やパクチュー、ハムなどをはさみヌックマム(魚醤)を振りかける。
メニューは4種類あった。
(1)牛肉 ビーフとレモングラスのバインミー
(2)鶏肉 チキンとジンジャーのバインミー
(3)魚類 魚とトマトのバインミー
(4)豆腐 豆腐たっぷり野菜のバインミー

フランスパンが好みであるのでバインミーは美味しく食べられた。
野菜たっぷりのスープも健康に良いメニューとなっている。

座席数は28席でウッドを基調としたもので女性にも好まれるデザインは高須賀大氏によるもの。
多くの雑誌にお店の情報は掲載されており、テレビ番組の取材も多くなっている。
店の前のテラステーブルならペットの同行者も利用できる。
下北沢駅から1分とすぐそばなので利用がしやすい。

(11月8日記)
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割烹料理店・魚菜酒房「樽見」について

2011年11月07日 | 日記
                     樽見の店主、女将さんとスタッフの皆さん

新鮮な魚類と美味しい食材で料理を堪能できるお店を見つけた。
東京メトロ有楽町線の小竹向原駅3番出口から徒歩3分。
割烹料理店・魚菜酒房「樽見」がある。

座敷席、カウンター席、テーブル席等合わせて80席ほど。
店に入ると明るい元気な声でスタッフらが迎えてくれる。
店主である樽見浩司さんは、京都と東京の料理店で腕を磨き20年ほど前にこの場所に和風料理のお店を出した。
実家が板橋の豆腐店を営んでいて、品書きの中の豆腐料理はすべて直納された新鮮な美味しいメニューとなっている。
肉豆腐は豆腐の上に覆いかぶさるように肉が盛られていて味は絶品であった。
刺身の盛り合わせも新鮮な魚類が並んでいて美味しかった。
店主はそば打ちも実施して以前は出していたが今はやっていない。その代わり注文をした稲庭うどんがこれもとても美味しかった。
お酒も多数種類が用意されている。

カウンター席に座ると厨房の中が見えて板前さんたちの様子が伺える。
客からのオーダーが入ると元気の良い返事で応答して、テキパキと料理を作っていく。
元気の良さは新鮮な美味しい料理と調和しているようで嬉しい。
常連客も多いようで店主も気軽に厨房からカウンター席の客に声を掛けている。

店内の客の応対の全般を仕切っている女将の樽見千奈美さんの気配りがとても温かく感じる。
いつも笑顔を絶やさずに応対しており、お客との対話も進んでコミュニケーションを図っている。
お店の発展を考えていて、お客の為になるいろいろのことを工夫をしているようだ。
インターネットは独学で習得をして、今ではスマートフォンも巧みに使いこなしている人。
時間があれば、見聞を広げるために読書会や諸々の研修セミナーなどに出向いて情報を収集している。

魚菜酒房「樽見」は、楽しみながら食事ができる雰囲気を持っている素晴らしいお店である。

◆お問い合わせ
〒173-0037 板橋区小茂根1-10-17  電話03-3959-0885
時間 午後5時~11時 (定休日 月曜日)

(11月7日記)
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つばさ基地「アクションパーティ☆ナイト5」

2011年11月06日 | スポーツ
               つばさ基地アクションパーティーに出演をした人たち

つばさ基地が池袋から板橋区の向原に移転してから初めてつばさ基地アクションパーティーが開催された。
池袋のときのつばさ基地では場所も狭いため、アクションパーティー★ナイトは渋谷や池袋のライブハウスなどを借用しての開催であったが、今回で5回目となる今年は広くなったつばさ基地で開催できることとなった。
主宰者である秋本つばさ先生も本拠地であるつばさ基地で出来ることの喜びを語っていた。

つばさ基地で学んでいるキッズや講師たちのアクション・アクロバットパフォーマンスを中心に披露された。
その他素晴らしいゲストのダンス・格闘技・大道芸・お笑いなども花を添えていた。

最初は秋本つばさ先生の得意とするポールアクロバットアクションパフォーマンスであった。いつもはオオトリで演じるものであるが今回はトップで披露してくれた。
大道芸のジャグリング、ヨーヨーパフォーマンス。
ダンスは、瀬底健太氏と原静さんペアによるラテンダンスのルンバとジャイヴを披露。
清水錬君のタップダンスも圧巻であった。
忍者ショーでは妃羽理さんによる手裏剣、釜の投げ当て披露。
ボディビル演技やボクシング対キックボクシングの対決などもあった。
アキラボーイによるアニメ漫才はデジタル映像を組み入れた新しい手法であり拍手喝采。

秋本つばさ先生は多彩な素晴らしいゲストをプログラムに入れて、つばさ基地の講師陣やキッズメンバーの代表たちを組み込んで日頃の演技披露多数の観客の前で披露してくれた。
いつもバイタリティ溢れている秋本つばさ先生に敬意を表します。

(11月6日記)


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「築地・明石町コース」を観光散策

2011年11月05日 | 日記
                   ボランティアガイドの説明を聞く参加者(蘭学事始の地)

豊島法人会の健康セミナーの最後は、観光で築地・明石町コースを選んだ。
案内役は東京シティボランティアガイド所属の大塚守さん。
我々第1班は9名であった。
すしざんまい奥の院を出発して最初は築地本願寺。
築地本願寺は京都の西本願寺の別院として建立された。現在の建物は関東大震災で焼失したことにより、昭和9年に古代インド仏教様式で完成したもの。
本堂の上部にはパイプオルガンが設置されている。3メートルから1センチまで大小2000本のパイプ(笛)で構成され、繊細で荘厳な音色を織りなす仏教音楽を奏でる。

築地居留地のはじまりは、安政5年(1858年)、米国総領事ハリスをはじめ、米、蘭、露、英、仏の5ヵ国と江戸幕府の井伊直弼大老との間に結ばれた修好通商条約によって日本の七箇所に外国人居留地を設置することが決まった。江戸築地居留地の設定は明治元年、明治新政府の手によって開設された。
現在の明石町には多くの記念碑が残っている。
シーボルトの胸像、アメリカ公使館跡の記念碑、聖路加看護大学トイスラー記念館、カトリック築地教会、蘭学事始の地、ガス街灯柱、築地居留地跡等々。
また学校の発祥地としても多数の記念碑がある。
慶応義塾発祥の地、立教学院発祥の地、女子学院発祥の地、明治学院発祥の地、双葉学園発祥の地、立教学院発祥の地、女子聖学院発祥の地、指紋研究発祥の地等々。
その他には、浅野内匠頭邸跡、芥川龍之介生誕の地。

江戸から東京へと移り行く中で多くの原点がこの築地や明石町にあったことを再認識した勉強になる観光散策であった。

(11月5日記)
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「すしざんまい」で昼食会

2011年11月04日 | 日記
                  「すしざんまい奥の院」で昼食会

豊島法人会の健康セミナー後は昼食会となった。
築地市場には「すしざんまい」の店が数店営業している。
今回の店は「すしざんまい奥の院」で2階の3部屋に参加者は分かれていた。
和室の部屋に案内された。
アドナー株式会社の若林正美社長から同部屋の人たちに紹介されて名刺交換をした。

昼食は、すし10貫と料理3品、茶碗蒸し、味噌汁付き、飲み物はビールがついている。美味しく堪能した。
本日の会費は2,000円。講演研修会とすしの昼食会、そしてガイド付き築地散策観光コースの全て込みであるから安い。
参加した本音は、2,000円で築地のすしざんまいの美味しいすしが食べられればいいと思っていた。

同室の人たちは、青年部で活躍している若い人たちや生命保険関係の人たちが多かった。

(11月4日記)
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免疫力を高める食生活

2011年11月03日 | 日記
                 井上正子先生による「免疫力を高める食生活」

この度、社団法人豊島法人会(鈴木孝雄会長)に入会した。
この日は健康セミナー研修会に参加した。
日本医療栄養センター所長の井上正子先生による「免疫力を高める食生活~食べあわせを考え、バランスのとれた食事で健康作り~」の講演であった。
会場は、築地市場厚生会館。

バランスのとれた食生活には、主食、主菜、副菜を基本に多様な食品・調理方法を組み合わせる。何をどれくらい食べたらよいか、食品構成の目標値と調理例を具体的にあげていた。
一日にとりたい量と組み合わせ(1,600~1,680~1,760kcal)
主食(力や体温になるエネルギー食品)穀物類
主菜(からだの筋肉や血液をつくる食品)魚介類、肉類、卵、大豆・大豆食品
副菜(からだの代謝を円滑にする食品)牛乳・乳製品、緑黄色野菜、淡色野菜、果物、いも類
調味料(適量を守りたい食品)油脂類、砂糖、食塩、みそ・醤油
嗜好品(少ないほうがよい食品)菓子・ジュース、アルコール類

免疫力を高める食事
ニンニク、大豆・まめ、キャベツ、にんじん、トマト、玉ねぎ、ほうれん草、海藻、

料理のレシピなども披露してくれた。

健康なからだを保つためには、バランスのとれた食生活が肝心であるとの話。
参加者の7割ほどが女性であった。とても分かりやすい講演でとても参考になった。

(11月3日記)
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くりやま健康たまねぎ さらさらレッド

2011年11月02日 | 日記
                   くりやま健康たまねぎ さらさらレッド

最近健康な野菜が注目されている。
野菜の促成は土壌から改良している。
この度、北海道夕張郡栗山町で注目の「玉ねぎ」が誕生した。
と、友人の上野正樹さんが教えてくれた。
ほっかいどうくりやま健康たまねぎ「さらさらレッド
美味しく食べてさらさら健康生活!


(1)健康機能性を科学的に研究しています! 健康機能性(抗酸化性、血圧や血糖の上昇に対する作用、デトックス効果など)を高める加工技術や栽培法、また成分の吸収を高める食品の組み合わせに至るまで北海道大学、北海道農業研究センターと連携して徹底した研究を行っています。

(2)注目の成分「ケルセチン」が豊富! 生活習慣病は食生活のバランスが崩れている事が、一要因として知られています。また、アレルギーなども食生活の改善により軽くなると言われています。この食生活のバランスを改善する為に「ケルセチン(別名・ビタミンP)」を従来の玉ねぎの1.5倍~3倍も含んでいる「さらさらレッド」を毎日のお料理に加えて、食事からおいしく健康になりましょう。主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。

(3)北海道栗山町で生産から販売まで行う安心生産! 北海道の中でも農業自慢の栗山町。気候に恵まれた肥沃な大地で、生産者が心を込めて育てた「さらさらレッド」。真っ赤なひと玉ひと玉に真心をのせて、安心の美味しさをお届けします。

◆お問合せ先
有限会社 植物育種研究所
〒069-1511 北海道夕張郡栗山町2丁目45番地
電話・FAX 0123-72-5680
メール info@sarasara-red.com
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土井慈功住職からの手紙(5)

2011年11月01日 | 日記
                    億萬山七福尊真延寺境内の七福尊碑

七福尊からみた東日本大震災について

七難七福とは
 七福尊の役割は七難即七福即生である。七難は法華経の中にある観音経に説明されているが七福は説明されていない。七難を回避することが七福と理解すべきなのか、七難とは火難、水難、羅刹難、刀杖難、悪鬼難、枷鎖難、怨賊難である。
 東日本大震災に七難がどのように現れてきたか考えてみる。この災害は巨大で今までに経験していない放射能被害も発生した。この地帯は津波の常習地帯であり、過去の経験がいかされなければならない。
 しかし、今回も明治三陸大津波と同様な規模の災害になった、多数の溺死者が発生した水難である。地震により火災を誘発した火難でもある。さらに福島第一原子力発電所の事故で放射線が漏出し拡散した羅刹難は風害のようなもので、目視できない放射線や病原菌が風に乗り被害を与えること、多数の死者と瓦礫の山に、生存者は胸に刀が突き刺さり再起する気持ちも失う刀杖難である。
 以前の景色が一変して平常心を失い、些細なことでも動揺する、悪鬼につきまとわれている状態であり悪鬼難である。放射線により強制避難、仮説住宅での生活、環境の変化は自由を拘束され牢舎に拘引される枷鎖難である。復旧復興が進むにつれて行政や東電への恨みがつのる怨賊難である。これらの事実からこの災害は天災ではなく人災である。津波の常習地帯に承知して住む人達の自己責任が問われるが、自分の生命まで津波に流されたのはあまりにも残酷な仕打ちだ。

現世利益とは
 七福尊の信仰は人々に福利を与えると信じられている。神仏は超然ととして黙して語らない、俗人の生活姿勢に反省を求めるために海を守護している恵比須尊の逆鱗にふれたのか。七福尊は一芸に秀でた特技を持っているが大悟した仏ではない。信仰は自己反省を求めて小我を捨て大我を求め幸になることだ。神仏はいつも俗界に戒の信号を送り続けている。七福尊の福利は戒めであって、それも気付くことか現世利益なのだ。
南無釈迦牟尼七福尊 南無釈迦牟尼七福尊・・・・・

平成23年10月 引丘 土井慈功 敬白
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