横綱力士碑(富岡八幡宮)
深川の富岡八幡宮へ行き、横綱力士碑を観覧しました。
新横綱誕生のおりの刻名式は、太平洋戦争中の36代羽黒山政司から一時中断していたが、戦後になって40代東富士欽壹の昇進時に復活しました。
しかし、まもなく刻名式は再び行われなくなってしまい、再度復活したのは平成10年(1998年)9月30日の66代若乃花勝(3代)の昇進時でした。
以降は現在まで、境内で横綱土俵入りを行ってから刻名奉告祭を行うことが恒例となった。
ただし、71代鶴竜力三郎の刻名報告祭(平成26年10月7日)では伝染病対策で土俵入りが中止となっている。
横綱力士碑には45代若乃花幹士(初代)までの名が入り、刻名する場所が無くなったため、46代朝潮太郎(3代)以降は副碑が設けられた。しかし、副碑も66代若乃花勝(3代)までで表面が埋まってしまったことから、67代武蔵丸光洋以降は裏面に刻まれている。
境内には大関力士碑もあります。大関碑には昇進しても刻名式は行いません。
大関力士が横綱に昇進すれば横綱力士碑に刻名されます。
大関で引退すると大関碑に刻名されます。
琴欧洲が最新の刻名となっております。
現在4名の大関はどちらの碑に刻名されるのでしょうか?
(6月2日記)
深川の富岡八幡宮へ行き、横綱力士碑を観覧しました。
新横綱誕生のおりの刻名式は、太平洋戦争中の36代羽黒山政司から一時中断していたが、戦後になって40代東富士欽壹の昇進時に復活しました。
しかし、まもなく刻名式は再び行われなくなってしまい、再度復活したのは平成10年(1998年)9月30日の66代若乃花勝(3代)の昇進時でした。
以降は現在まで、境内で横綱土俵入りを行ってから刻名奉告祭を行うことが恒例となった。
ただし、71代鶴竜力三郎の刻名報告祭(平成26年10月7日)では伝染病対策で土俵入りが中止となっている。
横綱力士碑には45代若乃花幹士(初代)までの名が入り、刻名する場所が無くなったため、46代朝潮太郎(3代)以降は副碑が設けられた。しかし、副碑も66代若乃花勝(3代)までで表面が埋まってしまったことから、67代武蔵丸光洋以降は裏面に刻まれている。
境内には大関力士碑もあります。大関碑には昇進しても刻名式は行いません。
大関力士が横綱に昇進すれば横綱力士碑に刻名されます。
大関で引退すると大関碑に刻名されます。
琴欧洲が最新の刻名となっております。
現在4名の大関はどちらの碑に刻名されるのでしょうか?
(6月2日記)