お盆を過ぎて地区の盆踊りも終わり静かになり、朝晩の空気が涼しくなって、季節の変わり目がはっきりしてきましたね。
夜寝るときの扇風機もいらなくなりましたよ。
お昼の蝉の鳴き声もだんだんと小さくなり、遠のいて行っていますね。
さあ、今日は給食ですよ~
この時間が待ち遠しかった人は、多いのではないでしょうか?
写真は、大人の給食というタイトルでビールがのっかっていますが、当時のイメージに近い写真がこれしかありませんでした。
給食当番、給仕係
ミルク、ネギ入りミルク、脱脂粉乳、コッペパン、食パン、ジャム、マーガリン、上げパン、鯨肉、焼きそば
アルマイトの食器、スプーン、先割れスプーン、バケツ、調理室、白衣のおばさん
弁当箱、箸入、早弁など
「超自分史ガイド」より
小学校1・2年生の時は、給食室のすぐ隣でしたので、お昼前からいい匂いがしていましたね。
低学年の時は、高学年のお兄ちゃんやお姉ちゃんが給仕にきてくれました。
それ以降は、給食当番が終わると白衣を持って帰って洗濯で、日曜の夜はアイロン掛けでした。
ご飯が出ることはなかったですよね。いつもパンでした。
鯨のお肉は好きでした。美味しかったな~
もう今は、給食に出ることもないのでしょうね。
チーズを食べたのも、小学校の給食で出た時でした。
四角い、ベビーチーズでしたっけ?
当時は、においと味で食べられませんでしたが、今では美味しくいただいています。
それから、休んだ人のところへは、給食のパンと宿題を届けたりしませんでしたか?
わら半紙に包んで・・・、今ではとても考えられませんよね。
私たちは、中学校まで給食があったので、こちらに来て中学校でお弁当がいると聞いてびっくりしました。
今では、給食センターから配送されるみたいですね。
当時は、県内でも給食に関しての視察が来るくらい充実していました。
ワゴンには、クラスごとに食器からおかずまですべて乗せられるようになっていて、すべての教室はワゴンで運べるように、渡り廊下なども整備されていました。
1階の調理室から2階へは、エレベーターが完備されていました。
年に2回くらい、3階の法礼室という和室で、2クラス合同の食事がありました。
その時は、大きくて重いバケツを抱えて階段を登るのが大変でした。
いつもと違う雰囲気が楽しかったのですが、正座で頂かないといけないので早く食べないと足がしびれて大変。
ある時、ワゴンからバケツが落ちて1缶おかずをダメにしてしまったことがありました。
当時8クラスあったので、各クラスから少しずつ分けてもらったことがありますが、少しずつでも相当な量になるのだなと思ったことと、みんな文句も言わず気前よくわけでくれたので、最初の量よりも多くなりました。
嫌いなものが出て苦痛だっときもあったかもしれませんが、それでも給食は楽しい思い出ですよね。
友達が集まれば、話題の一つですね。
今度の同窓会までに、学校関係の思い出をまとめてみたいものです。
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