松戸市内いたるところにあるマンホールの蓋です。矢切の渡しはわかりますが、なぜ松戸市がコアラなのか。その昔、市内の小学生が市長にコアラが見たいとお願いをした。コアラはユーカリの葉しか食べないので市内にユーカリの木を植えて食料を確保に乗り出した。あとで判ったのだがコアラは特定のユーカリの葉しか食べないということだった。松戸市が植えた種類は違っていたので誘致は出来なかったという。
2005年11月20日のアメリカ楓の通りです
松戸市内の並木道の総延長は約71kmあるそうです。一番長い通りは八ヶ崎のケヤキ通りで約3km。一番古いのは八柱霊園参道のケヤキ通りで昭和10年開通との事。この写真のアメリカ楓通りは約2kmで市内で6番目の長さです。
松戸市内の並木道の総延長は約71kmあるそうです。一番長い通りは八ヶ崎のケヤキ通りで約3km。一番古いのは八柱霊園参道のケヤキ通りで昭和10年開通との事。この写真のアメリカ楓通りは約2kmで市内で6番目の長さです。
馬橋という地名の起りのところ。「萬満寺」の前身の「大日寺」を建立するため千葉頼胤が鎌倉極楽寺から招いた忍性(良觀上人)が、長津川に架かる橋が大水の度流される事を知り、馬の鞍の形をした橋を架けさせた。それ以後は流失ことが無くなり、いつしかその橋が「馬橋」と呼ばれ地名になったという。馬橋の地名は本土寺の過去帖に書かれている。国道6号馬橋立体入口近く(馬橋1842先)
松戸には相撲部屋が2ヶ所あります。話題中の琴欧州がいる佐渡ヶ嶽部屋と、この鳴戸部屋です。佐渡ヶ嶽部屋は有名ですが、鳴戸部屋には「稀勢の里」「若の里」など頑張っています。こちらも注目してください。(八ヶ崎8-14-7)
諸事情により部屋名が鳴戸部屋から田子ノ浦部屋へ変り、稀勢の里ら力士12人と行司2人・呼出1人・床山1人は田子ノ浦部屋の所属となったが部屋の施設は13代鳴戸夫人の所有であったため転居を余儀なくされた。
現在の鳴戸部屋は、元大関琴欧洲が15代鳴戸を襲名、佐渡ヶ嶽部屋から分家独立して創設した
北小金駅から小金原団地行き新京成バスに「ハワイ通り」という停留所があります。ハワイ通りは、以前には中央にグリーンベルトがありシュロの並木が植えられて南国ムードでした。バスの運転回数が増え、自動車の数も増加して通行の邪魔になるとかで取り払われ普通の道になりました。僅かに商店街の一角に昔の名残が見られます。
萬満寺前から国道6号線に上る旧水戸街道の坂を「どうろく坂」とか「江戸見坂」と呼ばれていた。坂上に道祖神が祭られ庚申塔があったという。その石像物は王子神社に移してある。また水戸街道を江戸に向かう旅人が最初に江戸の町が見られた坂でもあった。急な坂道だったようで昔は曲がっていた。
その坂の途中右側路傍に1等水準点(高さ11.9346m)がある。国道のバイパスが出来て忘れられた道になったが、まだこの水準点は重要である。古い地図にはこの向側の崖上に三角点(標高27.5m)が載っていた。(馬橋弁天2429)
その坂の途中右側路傍に1等水準点(高さ11.9346m)がある。国道のバイパスが出来て忘れられた道になったが、まだこの水準点は重要である。古い地図にはこの向側の崖上に三角点(標高27.5m)が載っていた。(馬橋弁天2429)
正確に測定したわけではありません。松戸市商工観光課で発行している「松戸市ガイドマップ」で折り合わせて中心点を探しましたら×印の所でした。ところで、このガイドマップを知っていますか? 市役所の受け付けに行けばあります。また松戸駅にある市役所の主張所窓口にもあります。市内の散歩にはもってこいの手軽なガイドマップです。但しこの写真の地図とは違います。
最新版(2019年度)を観光案内所でゲットしました。改めてマップの中心点を探しましたら、県立西部図書館になりました。
小金原団地には通りの名前がついています。この標識を見た時アメリカの都市景観や台湾の街らしきものが在るのかとドキッとしましたが、実際は楓という木の街路樹の名前でした。小金原団地の主な通りはサクラやイチョウ、アメリカ楓、タイワン楓、にせあかしやなどの街路樹が植えられて縦横に走っています。市内では並木道が多い街です。秋は紅(黄)葉して綺麗ですが、落ち葉が飛び散り閉口しています。
松戸市内を通る旧水戸街道の面影を残す所は、二ツ木の蘇羽鷹神社から国道6号線を離れ常行院裏手で国道6号線に合う所まで。教育委員会の文化財標識柱が立っています(写真の右端の白い柱)この坂道を上った「小金」は江戸から四番目の宿場。
例年夏になると新松戸のメインストリートは椋鳥の大群に襲われます。しかし昔はこの辺りでは毎年すずめの大群で困っていました。その理由はここへ行けば解かります。「古い歴史のある新しい新松戸」のキャチフレーズの新松戸郷土資料館です。新松戸支所の3階にありますが、何処から入るのか一寸戸惑います。水曜日~日曜日の10時から16時の間に開館しています。入場無料。
(現在、閉鎖中です)
(新松戸3-27)
牧の原団地の奥にひっそりと建っているのが建設技術展示館。名前のわりには面白い。建設技術がどのような場所でどのように使われているのか、幅広く解かる新技術の情報発信基地。子供向きの展示室もあり周囲を大きな松の林に囲まれた構内は広いので子供連れでも結構楽しめる。入場は無料・ただし平日と第2・4土曜のみ開館が難。今回行った時はは平成17年10月21日リニュアールオープンのため写真は案内板しか撮れませんでした。 (五香西6-12)
下総台地の西端(常磐線の北松戸~新松戸の西側)から江戸川に至る低地は江戸時代に開発した広大な水田地帯で、別に下谷三千石と言われていました。良質の田米や大正時代には江戸川もちの商標のもち米の生産地でした。今は宅地が進出し水田が減っていますが水路はまだ縦横に走っています。この写真は旭町中学校の脇で撮りました。(旭町1-145)
綺麗な名前の川で松戸市内に流れています。現状は両岸を矢板で強化されて川のイメージがありません。黎明橋から上流で日暮の新しく出来た県道のバイパスの所までが、河川法で春木川というようです。その先は暗渠になり排水路に変わります。さらに遡りますと川らしい雰囲気になりますが名無しです。川の水は汚れています。霊園を過ぎると暗渠になり消えてしまいます。更に谷間を遡りますと釣り堀があります。以前は涌き水を利用していたが今は井戸水を入れているとのこと。その上流は「御立場」のそばの第四中学校辺りに湧水があったと地元の古い人が語っていました。一方、黎明橋から下流は国分川と変わります。市川市内に平行して春木川の名前が記せられている川は、国分川のバイパスで洪水対策用に作った川のようです。
21世紀の杜と広場へ行ったら西側台地(JR武蔵野線のある)を訪ねた見ませんか、林に囲まれた田舎道を歩いてみてはいかがでしょうか。適当に散歩して迷っても狭い所だから何とかなるでしょう。この馬頭観音と庚申塔の在りかを知っている人は相当通の方です。