千葉大の旧正門内に石碑が三つ固まっている一郭がある。
その中の一つがこの仏画です。 辨榮(べんねん)上人の描いた弘法大師像です。
秀海講と刻字があり、講の人が上人に頼んで描いて頂いたようです。
辨栄上人は明治から大正時代の浄土宗の高僧で、世界的有名な数学者岡潔博士が「釈尊の再来」と言われていました。上人の描いた線刻画の石仏は市内では、松龍寺、万福寺などにもあります。
なお、秀海講は松戸市内のこの辺りを中心に設けられている八十八ヶ所巡りの霊場ですが、謎の部分があり全容が判明していません。
(松戸1583)
その中の一つがこの仏画です。 辨榮(べんねん)上人の描いた弘法大師像です。
秀海講と刻字があり、講の人が上人に頼んで描いて頂いたようです。
辨栄上人は明治から大正時代の浄土宗の高僧で、世界的有名な数学者岡潔博士が「釈尊の再来」と言われていました。上人の描いた線刻画の石仏は市内では、松龍寺、万福寺などにもあります。
なお、秀海講は松戸市内のこの辺りを中心に設けられている八十八ヶ所巡りの霊場ですが、謎の部分があり全容が判明していません。
(松戸1583)