裏側にある旧水戸街道に面していたが国道6号線画出来た時、山門が現在の様になった常行院。俳句寺とよばれていた。
墓地にある旧二ツ木村名主岡田与兵衛・俳号岡椿舎一友の供養塔に俳句が刻まれている。
西山に 月のかたぶく 光かな 岡椿舎一友
(二ツ木128)
裏側にある旧水戸街道に面していたが国道6号線画出来た時、山門が現在の様になった常行院。俳句寺とよばれていた。
墓地にある旧二ツ木村名主岡田与兵衛・俳号岡椿舎一友の供養塔に俳句が刻まれている。
西山に 月のかたぶく 光かな 岡椿舎一友
(二ツ木128)
江戸時代には銚子で水揚げされた鮮魚を江戸に輸送する鮮魚(なま)街道沿線で魚の鮮度を保つための水かけ地であり、また小金牧の野馬の水飲み場でもあった。が、今は清水が枯れてしまいました。
母馬が番して呑ます清水かな 一茶
(常盤平7-)
旧大橋村の寺院跡、今は墓地のみが残されて元檀家が管理している。寛文六年(1666)建立の庚申塔をはじめ古い石造仏が保存されている。ここには、明治時代末期盛んに巡礼された「秀海講」の弘法大師の石像5体が集められている。 かつて大橋に浄念坊という大日如来を本尊とする真言宗の寺院があった。当地域の寺院の殆どが真言宗であったが、日蓮宗の進出によって、真言・法華混在となり、やがて浄念坊は廃寺となったと伝わる。
** Unknown(ねずぼ)さんよりコメントを頂きました。ご指摘のとおり「秀海講」の石仏は4体です。弘法大師供養塔を勘違いして数えていました……有難うございました……
(大橋632)