ま つ ど

市販のガイドブックに載らない松戸のあちこち

金龍山広徳寺

2017-04-28 15:50:20 | 神社・寺院

 小金城主高城氏の菩提寺で歴代の墓所がある。下野守高城氏は戦国時代、東葛全域を勢力圏とする力を持っていた。
元は栗ヶ沢にあったのが、大谷口城の築城に伴って天文六年(1537)此処に移されたと伝わる。
 その後、豊臣秀吉の小田原征伐の際、北條氏の幕下であった高城氏は滅亡再び返り咲くことはなく、寺は旧幕臣や農民達によって守られてきた。文化十年(1813)に再建されている。
 境内から鎌倉時代正徳四年、南北朝時代康永元年の板碑が発掘され、当寺に保存されている。                                   
                    
                              (中金杉4-3)

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歓喜山正福寺

2017-04-10 18:10:13 | 八十八カ所巡り

 真言宗豊山派の寺院、大勝院の末寺。本尊は不動明王で江戸時代前期の寛永二年(1625)の創建と謂われている。
境内に庚申塔をはじめ多くの石造物が並んでいる。江戸川八八ヶ所霊場の38番、74番札所となっている。観音堂には十一面観音が祀られ、高城氏奥方の安産のお守りをした観音さまとして近在の人々で賑わったとのこと。

                                  (横須賀1-17-6)

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六実稲荷

2017-04-07 16:31:35 | 神社・寺院

 江戸時代、下総台地に江戸幕府の馬牧が置かれた。幕府の崩壊とともに牧は明治新政府によって開墾場とされ、明治2年5月三井八郎右衛門ら36名に基金20万両を貸与して開墾会社を設立した。しかし開墾事業は失敗に帰し,同5年5月会社は解散,以後旧社員と開拓民との間に開墾地所有権獲得の争いが続いた。
 開墾地には入植計画の数字順に従った地名がつけられた。順に初富(中野牧・鎌ケ谷)、二和(下野牧・船橋)、三咲(下野牧・船橋)、豊四季(上野牧・柏)、五香(中野牧・松戸)、六実(中野牧・松戸)、七栄(佐倉牧・富里)、八街(佐倉牧・八街)、九美上(佐倉牧・香取)、十倉(佐倉牧・富里)、十余一(印西牧・白井)、十余二(高田台牧・柏)、十余三(佐倉牧・成田および多古)。実施は必ずしも数字の通りではなかったようだ。

                                 (六実2-1)

 

 

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