ま つ ど

市販のガイドブックに載らない松戸のあちこち

足元に注目

2006-02-18 14:46:24 | 松戸のもろもろ
 松戸市内いたるところにあるマンホールの蓋です。矢切の渡しはわかりますが、なぜ松戸市がコアラなのか。その昔、市内の小学生が市長にコアラが見たいとお願いをした。コアラはユーカリの葉しか食べないので市内にユーカリの木を植えて食料を確保に乗り出した。あとで判ったのだがコアラは特定のユーカリの葉しか食べないということだった。松戸市が植えた種類は違っていたので誘致は出来なかったという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙見神社(中根)

2006-02-12 21:37:32 | 神社・寺院
 この神社は中世の城郭遺構があった標高約20mの台地にありましたが、宅地開発で台地は削られ均されてしまいました。
 南北朝時代に下総と肥前の領地を行き来していた小金城主が、戦いに疲れて戻ってきたが城は荒廃して住む所がなかった。その姿を見た農夫が傍らの松の枝三本で憩いの場所を作ってあげた。その後城主は守護神妙見菩薩を背負い千葉に行った。その跡に建てられたのが中根の妙見社であるという。農夫は「三枝松」の姓を賜り、千葉妙見社祭礼の開扉を行う事になり明治の始めまで続いていたという。(中根1-457)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

並木道

2006-02-11 16:53:08 | 松戸のもろもろ
 2005年11月20日のアメリカ楓の通りです
松戸市内の並木道の総延長は約71kmあるそうです。一番長い通りは八ヶ崎のケヤキ通りで約3km。一番古いのは八柱霊園参道のケヤキ通りで昭和10年開通との事。この写真のアメリカ楓通りは約2kmで市内で6番目の長さです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根本城跡

2006-02-04 18:55:04 | 史跡
 市役所裏手の新京成線踏切際に「根本城址」の標識が立っている。「高城下野守が創建したといわれ天正年間(1572~1592)末に一族の高城播磨守が再興した」と書かれている。規模は岩山稲荷社、金山神社、市役所一帯の約200m四方と推測される。
 他に松戸駅付近には、国府台合戦の北条氏の軍事拠点となった松戸城址(戸定邸から千葉大園芸学部一帯)と足利軍が布陣した相模台城址(松戸拘置所、中央公園一帯)がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬橋という橋

2006-02-03 19:27:58 | 松戸のもろもろ
 馬橋という地名の起りのところ。「萬満寺」の前身の「大日寺」を建立するため千葉頼胤が鎌倉極楽寺から招いた忍性(良觀上人)が、長津川に架かる橋が大水の度流される事を知り、馬の鞍の形をした橋を架けさせた。それ以後は流失ことが無くなり、いつしかその橋が「馬橋」と呼ばれ地名になったという。馬橋の地名は本土寺の過去帖に書かれている。国道6号馬橋立体入口近く(馬橋1842先)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴戸部屋

2006-02-03 19:16:53 | 松戸のもろもろ

 松戸には相撲部屋が2ヶ所あります。話題中の琴欧州がいる佐渡ヶ嶽部屋と、この鳴戸部屋です。佐渡ヶ嶽部屋は有名ですが、鳴戸部屋には「稀勢の里」「若の里」など頑張っています。こちらも注目してください。(八ヶ崎8-14-7)

 諸事情により部屋名が鳴戸部屋から田子ノ浦部屋へ変り、稀勢の里ら力士12人と行司2人・呼出1人・床山1人は田子ノ浦部屋の所属となったが部屋の施設は13代鳴戸夫人の所有であったため転居を余儀なくされた。

現在の鳴戸部屋は、元大関琴欧洲が15代鳴戸を襲名、佐渡ヶ嶽部屋から分家独立して創設した

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする