本土寺にユニークな型の石碑があります。「翁の碑」と呼ばれています。江戸時代の芭蕉没後百十年の文化元年(1804)十月の芭蕉忌に建立されたもので「御命講や 油のやふな 酒五升 翁」と刻字されています。
(平賀63 本土寺)
出羽三山坂東西国秩父百番供養巡拝塔の側面に刻まれている。
松杉を ほめてや風の かほる音 はせを
岡椿舎一友
(二ツ木 1732)
もう片面には造立理由が刻まれている。
「抑奉供養其趣ハ当蘇羽鷹明神本社拝殿及石鳥居におゐて予始終の世話にかわり成願
いたししかのみならず諸国高山神仏をなし結縁結塔此処に建立し奉る事とはなりぬ」
『棟上や 餅も鏡も けふの月』 岡椿舎一友
裏面には「当蘇羽鷹明神の宮ところ氏子の丹誠によって再建なり予も始終の事にかゝわり目出たく成願せしを祝ひ生涯の冥加にこの句を作り広前にかく碑を造立し奉る事とはなりぬ」とある。
なお、蘇羽鷹神社境内には俳句を刻んだ石碑が2基あります。
(二ツ木 1732)
江戸末期、小金宿の文化人の間では俳句が盛んであった。馬橋の立砂より少し下がる時代に活躍している。
八坂神社にはそれを反映して大きな句碑が建っている
『飛音の してそのあとも 閑古鳥 八巣』
『同じ風 毎日吹いて 梅の花 鶴水』 と刻まれている。
(小金 444)
枝垂れ桜の根本にある。説明文が無いため気に留める人が居ない様だ。
江戸時代の地元小金での中心的俳人 ”瓢々亭鶴水” の句が刻まれている。
「へつらいを 云うかいやなら 山さくら」
なお、裏面にも
「昼やすみ したほとあるけ 夏の月 鶴水」
「夏の月 すゝみかてらの たのしみに 西のみやこへ 帰る人かな
学天上人」
と彫られている。
(小金359)
裏側にある旧水戸街道に面していたが国道6号線画出来た時、山門が現在の様になった常行院。俳句寺とよばれていた。
墓地にある旧二ツ木村名主岡田与兵衛・俳号岡椿舎一友の供養塔に俳句が刻まれている。
西山に 月のかたぶく 光かな 岡椿舎一友
(二ツ木128)
江戸時代には銚子で水揚げされた鮮魚を江戸に輸送する鮮魚(なま)街道沿線で魚の鮮度を保つための水かけ地であり、また小金牧の野馬の水飲み場でもあった。が、今は清水が枯れてしまいました。
母馬が番して呑ます清水かな 一茶
(常盤平7-)
写真は蘇羽鷹神社境内の石造物。左三角形の石碑と中央の角柱が句碑、右側の写真は角柱碑を拡大したもの。『松杉を ほめてや風の かほる音 ばせう』が刻字されている
小金周辺では
御命講や 油のやうな 酒五升 本土寺境内
しばらくは 花の上なる 月夜かな 妙典寺境内
の句碑は比較的知られている。しかし、蘇羽鷹神社にもあることを知っている人は少ない。二ツ木村の名主岡田与兵衛(俳号・岡椿舎一友)が建てたもの。
江戸時代末期の小金宿には俳句をたしなむ人が多く、蘇羽鷹神社や八坂神社、東漸寺に句碑が建てられている。他に二ツ木常行院の岡田家墓石には俳句が刻まれている