松戸市で現存する古墳はこれで終わりです。
河原塚古墳郡は、松戸市の指定文化財(史跡)になっているのでご存知の方が多いでしょう。
この古墳は河原塚中学校構内にあります。古墳の基部は掘り下げられお寿司の軍艦巻きみたいにコンクリートで巻かれています。
JR武蔵野線際の林の中の古墳は墳頂まで登れます。
(河原塚201)
河原塚古墳郡は、松戸市の指定文化財(史跡)になっているのでご存知の方が多いでしょう。
この古墳は河原塚中学校構内にあります。古墳の基部は掘り下げられお寿司の軍艦巻きみたいにコンクリートで巻かれています。
JR武蔵野線際の林の中の古墳は墳頂まで登れます。
(河原塚201)
松戸市の文化財(史跡)の河原塚古墳はほぼ原型を保っていま
すが、この古墳は住宅地に在ったため頂墳が崩されており天満宮が祀られています。
発掘で円墳で一部に周溝のあることは判りました。
(松戸新田522)
すが、この古墳は住宅地に在ったため頂墳が崩されており天満宮が祀られています。
発掘で円墳で一部に周溝のあることは判りました。
(松戸新田522)
竹ヶ花にある雷電神社にも富士塚がある。雷電神社は約60段の石段を登った処にある。
富士山は更にを10段ほどの所に約2mの溶岩を積み上げて浅間神社を祀っている。
富士信仰は古来から行われてきたが、江戸時代には庶民の間に広まり富士講が結成され盛んになった。富士登山には多額の費用と時間が必要だったので庶民には困難であった。そこで富士山を遥拝できる処に富士塚を造り、そこを登ることで富士登山と同じご利益を得ようとしたものです。(竹ヶ花141)
富士山は更にを10段ほどの所に約2mの溶岩を積み上げて浅間神社を祀っている。
富士信仰は古来から行われてきたが、江戸時代には庶民の間に広まり富士講が結成され盛んになった。富士登山には多額の費用と時間が必要だったので庶民には困難であった。そこで富士山を遥拝できる処に富士塚を造り、そこを登ることで富士登山と同じご利益を得ようとしたものです。(竹ヶ花141)
金山神社境内にある。常磐線線路際に登り口があり、九十九折れの階段を登ると標高約15mの頂上に着く。溶岩で造った富士塚があり、浅間神社が祀られている他富士講の記念碑が多数建っている。市役所との間の切り通しに新京成電車が走っているので独立峰の体をなしている。(根本344)
北小金駅から八坂神社へ行く途中の駐車場の奥に椎の巨木を載せた古墳が見られます。「小金古墳」です。東葛飾郡史によると常磐線を挟んでこの辺りに数基の古墳が存在していましたが、宅地造成で壊されて今は「愛宕塚」と呼ばれるこの円墳のみになりました。 松戸市の文化財標識は、北小金駅上りホームの外れ左側崖上に白い柱が立っています。
(小金444)
(小金444)