下総台地の西端(常磐線の北松戸~新松戸の西側)から江戸川に至る低地は江戸時代に開発した広大な水田地帯で、別に下谷三千石と言われていました。良質の田米や大正時代には江戸川もちの商標のもち米の生産地でした。今は宅地が進出し水田が減っていますが水路はまだ縦横に走っています。この写真は旭町中学校の脇で撮りました。(旭町1-145)
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1 コメント
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- Unknown (しんちゃんママ)
- 2005-12-23 22:43:56
- 今から約40年前は新松戸のマンション群のあたりは何もなくて、見晴らしがよかった。それが下谷三千石だったのですね。(納得!!)
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