坂川の主な源流の一つでまだ自然のまま流れている。冬は鴨の仲間、夏には鷺の仲間がこの小川に姿を見せます。
先日、嘴がオレンジで羽の先端が黒い大型の鳥が流れの中で水面を見つめていました(コウノトリ?)。レンズを向ける用意をしているうちに飛び去ってしまい残念でした。
(根木内150付近)
先日、嘴がオレンジで羽の先端が黒い大型の鳥が流れの中で水面を見つめていました(コウノトリ?)。レンズを向ける用意をしているうちに飛び去ってしまい残念でした。
(根木内150付近)
坂川際にあり、境内の社殿建立記念碑によりますと、「明治十一年(1878)に小金下谷大日丑野新田の氏子を組織した」とありました。地名の字名が何処なのかわかりません。「川通」と称していたのは、坂川を利用した水運に関係していた人たちでしょうか。
(旭町150)
(旭町150)
江戸川左岸の流山市と境近くにあります。
河川敷のグランドでは少年サッカーのゲームが行われていました。川の中の島は鷺など水鳥の楽園です。春は水門際の桜が見事です。
この施設は、台風や大雨の時、閉めて江戸川と坂川の水の流れを遮断し、隣接の松戸排水機場、古ヶ崎や樋野口の排水機場で坂川の水を江戸川に排水して洪水から地域を守るっています。
(主水新田91)
河川敷のグランドでは少年サッカーのゲームが行われていました。川の中の島は鷺など水鳥の楽園です。春は水門際の桜が見事です。
この施設は、台風や大雨の時、閉めて江戸川と坂川の水の流れを遮断し、隣接の松戸排水機場、古ヶ崎や樋野口の排水機場で坂川の水を江戸川に排水して洪水から地域を守るっています。
(主水新田91)
新松戸駅付近の坂川に架かる”水琴橋”の下には、体長100cm位の鯉の群れが何時でも見られる。写真では小さく見えるが実物はとても大きい。付近の人がパンくずなどで餌をやっている。また大きな亀も姿を見せていたが今は冬眠しているのか、その影が無い。
(幸谷1070)
(幸谷1070)
坂川には50数本の橋が架かっている。橋の名前を見ていたら、多くは通りの名前が付いている中で、松戸駅西口から江戸川に通じる通りに「一平橋」という人の名前のような名称があった。「いっぺい」と読むのかと思っていたら「いちひら」となっていた。
なぜ「いちひら」なのか推測してみた。
古い地図を見ますと、昭和32年に竣工したときは、駅寄りで現在の本町は「一丁目」、江戸川よりでNTT松戸のある場所は「平潟」となっている。その両方の地名の一字をとれば「一平橋」となりますが・・・。
(松戸駅前通り)
なぜ「いちひら」なのか推測してみた。
古い地図を見ますと、昭和32年に竣工したときは、駅寄りで現在の本町は「一丁目」、江戸川よりでNTT松戸のある場所は「平潟」となっている。その両方の地名の一字をとれば「一平橋」となりますが・・・。
(松戸駅前通り)
利根川の水を江戸川に流す水路です。
手賀沼の汚濁解消と坂川の汚染浄化、更に東京都と千葉県の飲料水の確保を目的に建設した。
手賀沼に注ぐ大堀川上流まで水を導き放流して手賀沼の浄化を助け、一部を豊四季の地下をトンネルで貫き坂川上流へ流し込んでいる。坂川放水路のゲートがその出口です。
そこから上流を撮った写真です。両岸には釣り糸を下げた人があちこちに見られます。この水路により坂川の流れがきれいになりました。(主水新田)
手賀沼の汚濁解消と坂川の汚染浄化、更に東京都と千葉県の飲料水の確保を目的に建設した。
手賀沼に注ぐ大堀川上流まで水を導き放流して手賀沼の浄化を助け、一部を豊四季の地下をトンネルで貫き坂川上流へ流し込んでいる。坂川放水路のゲートがその出口です。
そこから上流を撮った写真です。両岸には釣り糸を下げた人があちこちに見られます。この水路により坂川の流れがきれいになりました。(主水新田)
綺麗な川になりました。この写真は宝光院(松戸1842)の裏で平成18年3月末に写しました。魚影も多くまだ冬鳥の姿も彼方此方に見られ、十数年前の状態は嘘のようです。坂川を守る人々の愛情がやっと現れてきました。
この時季、下流の柳原閘門から坂川を遡り上流の富士川へのウォーキングなどはいかがですか。
この時季、下流の柳原閘門から坂川を遡り上流の富士川へのウォーキングなどはいかがですか。
坂川の支流富士川の源流は、小金原団地の奥柏市との境、小金飛び地の崖下で湧き出している。この流れは周辺の人々が整備や清掃をしていると聞く。松戸市内の湧水地の中では水量が多い部類である。 (小金1709先)