ま つ ど

市販のガイドブックに載らない松戸のあちこち

松戸に飛行場があった

2009-06-24 15:18:00 | 史跡
 松戸にも飛行場がありました。
松飛台という地名は松戸飛行場があった台地を縮めたものです。 
 ここに昭和十五年に逓信省中央航空機乗務員養成所松戸飛行場が、民間飛行場として開設されました。
太平洋戦争中は米軍機邀撃のため軍用になりました。
 その時に、江戸時代に将軍徳川吉宗が鹿狩りを指揮したお立場が、飛行の邪魔だとして取り崩されてしまいました。フェンスの中に道路と平行して続く僅かに盛り上がった土は、小金牧の野馬除け土手の跡か?
 戦後は大半が開拓されて、農地となり更に住宅地や工業団地に変わりました。
 一部が陸上自衛隊松戸駐屯地となっています。当時の飛行機格納庫が現在も残っています。
                         (五香六実17)
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松戸市内の野外彫刻 14

2009-06-16 20:41:58 | 松戸市内の野外彫刻
 京葉ガスのショールームの入り口前にある。
 ビルの入り口なので野外と言えるかどうか
                     (根本538-5)
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中山競馬場の前身はここ相模台

2009-06-08 11:09:17 | 史跡
 中山競馬場の前身は、中世の城址・相模台に明治40年(1907)にできた総武競馬会松戸競馬場でした。   
 当時は競馬の発展と戦争の軍馬育成と結びついた関係か、松戸競馬場を接収して軍事施設をつくり、新京成線の前身である鉄道連隊で習志野とむすび、国府台の軍事施設と合わせて一大軍事都市を作られました。
 大正八年(1919)ここに陸軍工兵学校が設営されました。現在その正門門柱と歩哨々舎が残されています。
                            (岩瀬487)
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