ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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月の沙漠・カラスが鳴くと・・・

2009年03月14日 16時20分08秒 | 日常生活

3月14日(土)曇り

♪月の~沙漠を~は~るばると 旅の~ラクダは~行きました~・・・‥♪

・・・と、なぜか,急に口をついて出た「月の沙漠」のメロディー。

口ずさんでいるうちに、(なんてもの悲しい曲でしょう)と思った。

じじにも「月の沙漠ってもの悲しい曲だね~」と話しかけると

「そうだね~」と言うことで作詞者は誰だろう‥‥‥

この歌の舞台は・・・と興味が出てきた。

先入観で砂漠と言えば「サハラ砂漠」と直感的に考えたばば。

しかし、違うんですね~。

何とこの歌の舞台になったのは、日本。

それも千葉県の御宿海岸だそうです。

作詞者加藤まさをさんは、続く砂浜を砂漠に見立て、想像を膨らませて

この詩を作られたのだろう。

今までずっと、「月の砂漠」と書くのが正しいと思っていたが

「砂漠」ではなく「沙漠」が正しんだそう。

 

あまりにもの悲しい曲なので歌詞に沿って

情景を想像してみた。

王子様とお姫様がお供も連れずにラクダに乗って沙漠を歩いて行く・・・

なぜ、王子様とお姫様なのにお供がつかないのだろう?

ラクダの背に積んだ金と銀の瓶には何が入っているのだろう?

二人は月夜の沙漠を一筋にどこを目指して歩いているのだろう?

 

「月の沙漠」・・・月が出ているから夜・・・・・だと言うことは?

もう、何日も二人はラクダに乗って旅を続けていると言うことなのか?

 

色々なことが想像できるけれど、

歌っても歌ってももの悲しくなるばかりで。。。。。。

この歌を耳にして、口ずさんで、何十年にもなるのに

どうして急に歌詞について考えようなどと思い立ったのか?

不思議だ。。。。。。

 

この歌って、歌いながら鮮明にモノクロ画像が浮かんでくる。

不思議な歌だと気づいたばばです。

 

ばばの実家集落では、ばばが子どもの頃は

「カラスが鳴くと人が亡くなる」と言われていた。

父の命日より1日早く一昨日(12日)にお墓参りに行ったついでに

実家に寄った。

無人の家だけど、月に何回かは立ち寄ることにしている。

実家の庭に立って門から外を眺めていると

前の民家の屋根にカラスが一羽留まって鳴きだした。

カラスの鳴き声は、いつ聞いてもあまり気持ちの良い物ではない。

カラスは海に向いて鳴いていた。

ある方が「カラスが海に向いて鳴けば2,3日中に人が亡くなり

山に向かって鳴けば数週間内くらいに人が亡くなる」と話したのを聞いたのが

今年の1月頃だったか?

 

ばばは目の前で海に向かって鳴くカラスを見て不吉な予感がした。

 

そして、今朝、同じ集落の同級生のお父様が

12日の夜亡くなられたと連絡が入った。

正に、カラスが海に向かって鳴いたその夜。。。

 

カラスだって、人間が歌を歌うように声を出し

鳴きたくなることもあるだろう。

そのたびに、誰かが亡くなるなんて信じられない気もするが、

ばばの父が亡くなった日も、家の裏の空高く、たくさんのカラスが鳴いていた

・・と何名かの方が、ばばに話した。

カラスって、とても頭が良い鳥だと聞く。

何か予知能力を持っているのだろうか?

 

ばばが子どもの頃は「カラスが鳴くと人が亡くなる」って

周囲の大人が言うので、子どもだったばばも信じ、

大人になった今も半信半疑ながら、何処か信じている部分がある。

だから、朝などすぐ近くでカラスの鳴き声がすると、とても気になって

すぐに戸を開け、どこで鳴いているか確かめてしまう。

 

でも、今時の子どもたちはこういうことは信じていないだろうな・・・

と思うばば。

 

ばばとしては、お願いだから、カラスには山で鳴いて欲しい。。。。。。。。。

 


3月13日、金曜日。

2009年03月13日 17時24分52秒 | 家族のこと

3月13日(金)曇り時々雨・風強

17年前の3月13日も金曜日だった。

ばばにとって忘れることの出来ない、

悲しい日となった17年前の3月13日、金曜日。

その日は、お別れ遠足だった。

ばばは遠足の係?になっていたので、指令台の上で子どもたちに語っていた。

「今日は3月13日金曜日。西洋では魔の金曜日とも言われています。

怪我などしないでお友達や先生といっぱい遊んで楽しい遠足にしましょう」と。

 

そして目的地の海岸へ出発。

楽しく遊び、子どもたちは待ちに待ったお昼ご飯。

お母さんが愛情込めて作ってくれたお弁当を広げ笑顔満開!

 

その時・・・事務の先生が車でばば達の近くへ来た。

そして「ばばさん、すぐ乗って下さい。お父さんが具合が悪いそうです」と告げた。

それからは無我夢中で、どのようにして実家へ向かったか・・・・・・・

職場から、自宅へ約45分。

そして実家へ30分車を飛ばした。

「お父さん。。。。お父さん・・・お父さん・・・・無事で待ってて~~~」と祈りながら。

 

しかし、ばばが実家へ着いた時、

父は二度と目を開けることも声を発することもなかった。

 

世界一大好きだったお父さん。

無口だったけど、あふれるほどの愛情をばばはいつも感じていたよ。

いつも静かに笑っていた。

書物を読むことが好きで、

身近な物(貝)・浮き球・木の根など)を使った工作が好きだった。

盆栽が好きで旅行先の野山からも小さな植物を持ち帰っては大切に育てていた。

そして、誰から習ったわけでもないのに庭木や盆栽の剪定は玄人はだし。

朝暗いうちから、夜は星をいただくまで、働き続けたお父さん。

誠実・堅実・真正直・・・・・

 

無口な父だったけど、一度だけ「ばばは、お嫁にやらないで

いつまでも手元に置いておこうかな」と言ったね。

精一杯で世界一のの愛情表現だったと、ばばは今でも思っている。

 

農家の娘(ばば)が教員の子息(じじ)と結婚することになって

父はとても気をもんでいた。

身分制度があるわけでもないのに。。。

ばばを思う父の気持ちに涙が出そうになる。

 

ばばが結婚して、娘たちが生まれ毎週土曜日、家族で実家へ帰った時

最高の笑顔で出迎え、孫達に昔話や諺など訥々と話してくれたね。

帰りには3姉妹に必ず100円玉を一個ずつ握らせてくれて

ばば達の車が見えなくなるまで、母と一緒に門で見送ってくれた。

3姉妹が「オボラダレン。マタケェ~ユシヤァ。カラダナンキィチィキンショリィヨ」               (ありがとうございました。又来るからね。体に気をつけて下さいね)

と、拙い島口で話すのを相好を崩して聞きながら、車のドア越しに

3姉妹と一人ずつ握手をしながら見送ってくれたね。

 

お父さんは太陽のような強烈さはなかったけれど、

お月様のような穏やかさで、いつもばばや子どもたちを包み、見守ってくれていたね。

 

勉強好きだっただろうお父さん、80才過ぎても

暇な時はいつも本を読んでいたね。

ばばが唯一父から受け継いだのは「本が好き」っていうことかなと思うことがある。

一月に4冊くらいの月刊誌を読破していたよね。

ばばが本を届けてあげた時の父の嬉しそうだった顔が忘れられない。

本から得た知識をばばにも色々話してくれたり、

自分が小学生時代に習ったという物語文を暗唱してばばに聞かせてくれたね。

又、文字を書く時も優しい女文字を書き、

ばばの知らない漢字や言葉もたくさん知っていて

ばばはいつもびっくりしていたし、そんな父が内心自慢だった。 

 

父の青年期は時代が時代だったし、農家は経済的にも苦しかっただろうし

自分は高等教育も受けられない環境だったけど。。。

だからこそ長男の兄と末っ子のばばには

きちんと大学まで進ませてくれたんだと感謝している。

現金収入は二期作のお米とサトウキビだけだった、あの時代、

農業だけで毎月仕送りをし子どもを大学で学ばせた両親。

頭が下がり涙を禁じ得ない。

 

ばばの就職、「いつまでも手元に置きたい」と言っていたけど

じじとの結婚を何よりも喜び、孫達を可愛がり。。。。

ばばも少しは恩返しが出来たかなぁ・・・

 

男の人が自分の奥さんを呼ぶ時は呼び捨てか「オイッ」と呼ぶ人が多かった時代

父は自分の妻(ばばの母)にさえも「ウイ(あなた)」と呼んでいた。

そんな優しい父が子供心にも自慢だった。

 

お父さん、あなたが私たちにくれた愛情は無制限でした。

拙い島口で(方言)毎週末「オボラダレン。マタケェ~ユシヤァ。カラダナンキィチィキンショリィヨ」                      (ありがとうございました。又来るからね。体に気をつけて下さいね)

と挨拶していた孫達も立派に成長し、今は大都会、東京で幸せに暮らしていますよ。

今の孫3姉妹を見たら、お父さんは何と言ってくれるでしょうか?

 

ばばも、3姉妹も、じじという大きな「愛の傘」に守られ

日々幸せに暮らしていますよ。

お父さんも、お母さんと大好きな黒砂糖をつまみながら

美味しいお茶を飲んでいますか?

酒類が苦手で飲めなかったお父さん、

焼酎を杯に入れ白糖を混ぜて甘くして飲んでいますか?

本を読んでいますか?どんな工作をしていますか?

 

話したいことがたくさん、たくさんあります。

いっぱい話して、あなたの笑顔が見たいです。

 

ばばが世の中で一番尊敬するのは

「お父さん・お母さん」です。

 

大好きなお父さん。もう一度会いたい!

お父さ~~~ん~~~。

 


自立せよ!

2009年03月12日 22時12分27秒 | Weblog

3月12日(木)

じじの夕食は、刺身と7,8種類のツマにほんの少しのご飯とおかず。

刺身のツマはパパイヤ・人参・玉ねぎ・小松菜・

ほうれん草・水菜・大根・アロエ等々。

 

じじは年に何回か上京するが、

東京では三度三度の食事は全て自分で準備する。

♪なのに~~~どうして~どうして~どうして~島では何も出来ないの~♪

 

さっき、夕食の時、タッパーに入った薄切りの玉ねぎを見て

「こんなに薄くは切れないな」とじじ。

「じじ~それは、スライサーでやればいいのよ」とばば。

しかし、次のじじの言葉にばばは卒倒しそうになった。

テーブルの上のカットされた水菜を見て、

「これはどうすればいいの?」

しばし、ばばはじじの言っている意味が分からなかった。

なんでぇ~、カットされた水菜を見て「これはどうすればいいの?」って、

どんな意味??

で・・・・答えは一つ「それは、水菜を切っただけ」、ただそれだけ。

 

次に茹でたほうれん草を見て「これは茹でればいいの?」って。

もっちろん!。

じじ変だぞ~~。

 

じじは今日は朝から散髪に行ってきた。

 

じじの髪型はばばと結婚した時はウエーブがかった7・3分けだったが、

結婚式が終わった途端、短く短くカットしてばばはびっくりしてしまった。

短髪に薄く色のついたメガネ。

その格好は昨日までのじじとは全く別人で、すご~~く怖く見えたから。

 

そんなじじが仕事をしていた頃、鹿児島から赴任してくる同僚を迎えに港に行った。

たまたま、じじの友人Tさんと二人で行ったのだが

Tさんもじじと同じく短髪にサングラスをかけていたらしい。

似た格好の二人に迎えられ、船から下りた同僚は内心びびってしまったそうだ。

(今度の職場にはこんな怖い人が二人もいるんだ)と・・・・・・

てっきり、「あるスジの方」に間違えられたじじとTさん。

 

でも、この髪型をするとじじは若く見える・・・・・・・・・・・らしい。

だから、今日も散髪から帰ったじじは、

「これで又ばばの長男坊になれたぞ」って喜んでいる。

旅行でじじとばばが歩いていたら、見知らぬ人から

「親子ですか~」と言われ、すっかり有頂天になってるじじ。

 

いいですよ~~ばばなんか、どうせ6才上の姉よりも年上に見られ

20代の頃から「Mちゃんのお姉さんですか?」って言われ続けているから。

もう慣れっこですよ~~~と、内心悪態をつきつつも

一才しか違わない(勿論じじが上ですよ~)じじのお母さんに見られるなんて

ばばって、よっぽど老け込んでるのかなあ。。。。。。

 

よ~~し、明日から髪の毛はキンキラキンのクリンクリン

真っ赤な口紅、赤い靴・・・・

なんなら、膝上30㎝のスカートで闊歩してあげようではありませんか~~~。


「ハイハイ、ちょっと待って」・「それで良いんだよ」

2009年03月11日 18時02分56秒 | Weblog

3月11日(水)

穏やかだなぁ~。

こんな日は洗濯日和。

起きて、仏様のお水を替えて。真っ先に洗濯機のスイッチオン!

・・で1日が始まった。

 

それからも何やかやしていたら、今の時刻は・・・10時30分。

そろそろお昼の準備でもしようかな?

メインメニューは数日前から焼き肉丼に決めてあったので

副菜を・・・と、先日使い残したおからを取り出し

蒲鉾・人参・魚肉ソーセージ等を炒め、

調味し、おからとネギをを入れ・・・・・

 

先日作ったおから炒めが自分でも「美味しい」と思える味付けだったので

「今日も美味しくできますように・・・・

調味料は何と何を入れたっけ~」等と考え、

「お母さんとじじが美味しいっていってくれるかなぁ・・」

等と考えながら箸を動かしていると、じじがテーブルの所に来た。

そして、コーヒーをレンジで温めはじめた。

 

ばばが「美味しくできるかなあって思いながら

こうして台所に立っている時って、幸せ~」と言うと、じじが

「それで良いんだよ。そういう小さなことで幸せって言える価値観、

大事なんだよ」と言う。

幸せって思いながら、食べてくれる人の喜ぶ顔を思い浮かべながら

料理を作れるって、平凡だけど幸せなんだよな・・と改めて思った。

 

そうこうしているうちに、じじがレンジに入れたコーヒーが温まったらしい。

レンジが「チィ~~ン」となってお知らせ。

じじは、「ハイハイ、ちょっと待って。今、出しますよ」とレンジに話している。

 

猫に話し、ウグイスに話し、レンジに話し・・・・さて、次は何に話そうかな?じじ。

 

うちのじじ、鼻が少々悪い?らしい。。。。。

ばばが花の匂いを嗅いで幸せに浸っているのに、

じじは、ローズマリー・ジャスミン・ギンモクセイの

「匂いがしない」と言うのだ。

エッ~~何で?こんな良い匂いなのに。

 ローズマリー

ジャスミン。蕾は大分前から出来ているが                                                開花まで大分時間がかかるんだね。まだ、ほんの数輪しか開花してない。

 

(じじの鼻の根性たたき直さなくちゃ)と、

「じじ~!腰をかがめて、もっと花に鼻を近づけなくちゃ」と言うと

「じじ、何だか小学生になってばばに怒られているみたいだって。

改めてジャスミンの花の匂いを嗅いだじじ「○○の匂いがする」って。

ここに書けないようなことを言う。

全く~~。

もう少し、ロマンチックな表現とか出来ないの~~。


同居すべきか?別居を続けた方が良いか?

2009年03月10日 21時35分03秒 | Weblog

3月10日(火)

昨日とうってかわって穏やかないい天気。

 

題名に「同居すべきか、別居を続けるか!」と書いたら3姉妹ドキッとするかな?。

 

ばばは今、悩んでいる。

「じじと同居すべきか?別居を続けるか?それが問題だ・・・と。」

 

びっくりさせてごめん!

「じじとばばのHP」のこと・・・・

 

退職後、何が何だか分からないまま、長女のブログに触発され

じじに唆され、いつの間にか引きずり込まれてしまったHP運営という未知の世界。

何回か仮住まいのマイホームを持ったものの

やっと慣れてきたかな?と思ったら・・・家屋倒壊・・・・を繰り返してきた。

 

しかし・・・・・・やっと念願のマイホームが持てたのだ。

それもこれも、じじの朝のジョギングでのYさんとの出会いがあったから。。。

 

Yさんと出会った頃、たまたまばばが裏玄関から海の方を眺めていたら

じじが踊るようにスキップしながらランニングして帰ってくる姿が見えた。

「ははぁ~じじ、良い出会いがあったな」とばばが睨んだとおり、

「良い出会い」があったのだ。

 

海岸で何回か顔を合わすうちに話すようになり、

趣味がパソコンやバイクと言うことでも意気投合し、

いつの間にか友達になったのがYさん。

 

Yさんはじじより年は大分違うけれど、パソコンの「プロ中のプロ」。

Yさんの協力を得ながらじじは一念発起。

「よし、正真正銘のHPを作ろうと」。

Yさんはたくさんの時間をじじとばばのために割いてくれ

約2ヶ月くらいかけて「新じじとばばのHP」の基礎を作り上げてくれ

その後も色々とアドバイスをしてくれて

じじと二人で、うちのHP完成させてくれた。

 

じじはすぐに「新居」へ引っ越したが、石頭ばばはなかなか踏ん切れない。

文章の編集画面も今使ってるものと違うし

30分以内で投稿しないと原稿がパーになってしまうし。。。。。

じじは「メモ帳に書いて保存しておけば大丈夫」と言うけれど・・・・

写真はどう取り入れるの?(何とか取り込めるようになったよ)

絵文字は?(全然分からな~い)

ばばの頭で対応できる?(難しいだろうなぁ)

色々不安で現在も新・旧二つの画面でブログを続けている。

じじは「早く新居へおいでよ」と、わざわざ「旧ばばの日記」にも

「新ばばの日記」へのアクセス法を書いたりしてくれたいるのだが。。。。

 

24時間、じじと一緒の生活。

じじとの「別居」も、また良いかなと。。。

 

10年前になるけど、

実際に3年間「じじとばば別居生活」したもんね。

別居していた方が、お互いに思いやり合っていたような気がする。

 

同居して7年。

又そろそろ少しの間別居してみようか?じじ。

ばばは、気分に合わせて二つのマイホームを

「あっち行ったり、こっち来たり」してみようかな。

うん、うん、それがいい!そうしよう。。。。。。

 

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見合って~ハッケヨイ

2009年03月09日 20時30分35秒 | Weblog

3月9日(月)

「菜種梅雨」なのか、雨の日が続いている。

雨の日はなるべく外へ出たくないのだが夕方の買い物は欠かせない。

一日中降ることもあれば、晴れ間にぱらつくこともあるが、

なるべく晴れ間を見て買い物には出かけるようにしている。

 

一昨日の夕方も、雨の合間に買い物に出かけた。

ばばの行き先はひとつ。

家から徒歩でも数百歩の所にあるお店へ。

買い物を終えて家に帰る時のこと。。。。。。。。。。。

 

ばばの家に帰るには車通りの多い道をしばらく歩き、

その後細い路地を通るのだが、細い路地に入ってすぐ、

ばばは体格のいい男の人と危うく正面衝突しそうになった。

男の人との距離7,80㎝。

一瞬、ばばは右へ少しずれて進もうとした。

すると、男の人もばばと同じ方向に・・・

そこで慌てたばばは、左側に進もうとしたら

男の人も、又、ばばと同じ方向に体を動かした。

そして又・・・・・を5回ほど繰り返した。

時間にしたら、ほんの10秒くらいだったと思うが、

第3者が見たら、ばばと男の人が向き合って同じ方向に体を動かし

まるでダンスをしているように見えただろう。

二人同時に「すみません!」と言ってすれ違ったが。

 

元はと言えば、ばばが悪い。原因はばばにある。

だって、ばばは狭い路地の左側を歩いていたから・・・・・・・・・・

それなのに「すみません」と見ず知らずの人に謝らせてしまったばば。

 

どこのどなたかは存じませんが、先日は失礼いたしました!

改めて「すみませんでした!」

これからは、ちゃんと右側通行します!。

 

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頭髪丸刈り

2009年03月08日 19時00分35秒 | 日常生活

3月8日(日)時々雨

昨日の読売新聞に次のような記事が掲載されていた。

 <県弁護士会が奄美地方の中学の「丸刈り」廃止を求め勧告>

「奄美群島の多くの中学校の校則で男子生徒の丸刈りを定めているのは

人権侵害にあたるなどとして、県弁護士会(松下良成会長)は6日、

県教委や群島の11市町村の教委に対し、

各校に校則を廃止するように指導することを求める勧告書を送付した。

  県教委義務教育課によると、県内の公立中262校のうち、

丸刈りを規定しているのは39校で、内訳は奄美地区の56校中の37校、

熊毛地区の15校中の2校。

 県弁護士会は昨年2月、奄美市民らでつくる「丸刈り強制を考える会」の

城村典文会長から、「丸刈りを強制する校則は生徒の人権侵害にあたる」として

人権救済の申し立てを受けた。

このため、同年6月、奄美地区について実態調査をしたところ、

回答があった39校のうち34校で校則に丸刈りの規定を設けていた。

うち17校に校則違反の生徒には保護者を説得するなどの「強制」があるという。・・・

と記事は続き、最後に「  市内の中学2年生(14)は「中学生になったら

丸刈りが当たり前だと思っていたけど、自由に選べる方がいい」と話している。・・・・

と終わっていた。

 

学校に校則はつきものだと思うが、かつてばばが仕事をしていた頃

小学校の入学説明会でも「入学のしおり」に女児の髪型について

書かれていた。

前髪は眉につかない程度に短くする。

後ろ髪も肩につかない程度が望ましいとか・・・・

前髪が長すぎると視力が落ちる、後ろ髪も長いと夏など衛生的に・・・

ということだったと思うが、今にして思えば????????と思う所も多い。

 

ばば自身が小・中学校の頃は髪型に関する校則があったかどうか覚えていないが

男子は全員ずっと丸刈りだった。

女子も小学校ではおかっぱが多かったが中学生になると

前髪を横分けにしてピンで留めたりして後ろ髪も伸ばして

三つ編み・ポニーテール・二つに結ぶ・・・・など好きな髪型だった。

但し、ばばは母の「お達し」で、

「前髪は眉にかからないように、前髪は絶対横分けなどにしたらいけない。

横髪は耳の下まで」と、校則より遙かに厳しかった。

明治生まれの母に言わせると「学校は勉強しに行く所で

お洒落をする所ではない。お洒落なんてもってのほか」と。

当時男子は小・中全員が丸刈りだったが

誰も文句を言う人はいなかったと思う。

 

しかし、あれから40年以上経った。

世相も大きく変わりファッションも日進月歩だ。

こんな時代に、丸刈り強制というのはどうだろう・・とばばも思う。

髪の毛を伸ばしたら、髪型とか気にして勉強がおろそかになる?

って、どうだろう???

 

「校則を守る」ことは勿論大事。

でも、その校則自体が、時代の流れに合わないものだったりしたら。。。。。。

 

今から20年ほど前のことだが、ばばが知っている子で

凄い癖毛の子がいた。

周囲の子が髪の毛に関して何か言ったり、いじめたりと言うことは無かったが

本人は髪の毛のことを凄く気にしていた。

ある日、その子はストレートパーマをかけてきた。

初めは友達もびっくりしていたが、徐々に慣れていき

何事もなく平穏に卒業した。

 

つい最近、別の小学生の女の子がストレートパーマをかけた。

ばばは、20年ほど前のことを思い出したが、

先日ストレートパーマをかけた子のお母さんは

「ストレートパーマにしたら、学校で怒られるんじゃないか?」とばばに話した。

ばばは、「そういうことはないでしょう」と答えた。

この子は癖毛がひどいので、朝バタバタしている時など

髪の毛を整えるのが大変だったそうだ。

その上、髪の毛がウワァ~と膨らんだりして

小学生の彼女の手には余るらしい。

この子の友達は保育園時代から見慣れているので、

別に髪の毛について何か言ったりはしないそうだが

お母さんは、ストレートにしたことで、友達や教師から何か言われないかと

とても心配していた。

 

たかが髪の毛、されど髪の毛。

今や、男の子にとっても女の子にとっても髪型は

トータルファッションの一部としてとても重要だ。

 

中学生男子の丸刈り・・・・・・

今時、校則で強制するのはなあ・・・・・

 

 

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じじが介護士の免許を?

2009年03月07日 19時03分22秒 | Weblog

3月7日(日)

じじが時々低血糖になってしまうので甘い物が欠かせない我が家。

ばば手作りのケーキやお餅も、

自分たちで食べたりお裾分けしたりでもう無くなってしまった。

そこで、昨夕はスーパーで大福を見かけて買った。

白大福の横にイチゴ大福もあったので、ついでに買って帰った。

 

そして・・・今朝

朝食の時「じじ~、おやつ買ってきたよ」と

白大福を見せ、「イチゴ大福もついでに買ってきた」とじじに見せようとした途端!!

何と!イチゴ大福の入った薄いプラスチックのケースは剥きだし。

エ~~ッ、白大福は薄いプラスチックの容器に入り、さらにビニル袋に入っているのに。。。。

なぜ?なぜ?・・・・・イチゴ大福は個包装はされているものの・・・・・

プラスチックケースにも入っているものの・・・・・

ビニル袋に入ってない!

 

しばらく考えたあと、ばばは、自分の迂闊さに一人で笑い出してしまった。

何とまぁ・・・・・・ばばったら~~~~

白大福が5個入ったパック売りだったので

イチゴ大福も、てっきり3個入りのパック入りだと信じこんで疑わずカゴに入れたのだ。

考えてみれば、疑問はすぐに解決するのに・・・・

イチゴ大福はバラ売りだったのだ。

 

そうか、そうだったのか~~~~分かってみれば何と簡単なこと。

ばばが、3個、パック入りと思いこんでいただけ。

全く、ばばったら~~

それにしても、普通、個売りの大福だったら

小さなお盆のような物に並べて売っているものと信じこんでいたのだ。

だから、薄いプラスチックの容器にピッタリ3個入っていたので、

3個売りと勘違いしてしまったのだ。

だったら、2個買っても良かったのに。。。

でも、いいか、姉も遊びに来るだろうし、母にだってあげられるもの。。。。と

即決、母にも白大福とイチゴ大福を一個ずつお裾分け。

 

ばばの、右肩から腕にかけて痛い。

もしかして、パソコンの触りすぎ?

痛みがひどい時は手が背中に回せない。

今まで無意識に出来ていた上着などの着替えの時も痛みが走り

悲鳴を上げながら着替えている。

 

今朝は寒かったので、Tシャツに重ねていた薄手のブラウスを脱いで

毛糸のVネックに着替えようと思ったが、着ている上着が前開きでなかったので

上着の裾を持って脱ごうとするのだけれど、うまく脱ぐことが出来ない。

「困った時のじじ頼み!」とじじの所へ行き

「じじ~お願い!上着を脱がしてちょうだい」と言うと

じじが両手で引っ張り上げて脱がしてくれた。

 

その時じじが一言。

「じじ、介護福祉の免許取らなきゃ。。。。ばばは、介護1だなぁ」って。

いつもは、ばばがじじをからかっているのに、形勢逆転。

 

年には勝てませんなぁ~~。

「四十肩」とは聞いたことあるけど・・・・

・・と言うことは?ばばは、40代???って・・ムシが良すぎる???

 

 

 

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バトンタッチします!

2009年03月06日 21時28分24秒 | Weblog

皆さんこんにちは!

今日は、ここでは初めで最後のじじの投稿です!しゃしゃり出て来てすみません。

 いつも、「ばばの日記」をご覧いただいて有り難うございます。  

さて、このたび「徳之島じじとばばのホームページ」をリニューアル致しまして

この「ばばの日記」もデーターの有効永久保存のためホームページへ

完全合併・吸収することになりました。 誠に勝手で申し訳ございませんが、

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カイゴ

2009年03月06日 17時51分26秒 | 思い出

3月6日(金)

昨夕、買い物に行った店のお姉さんが

「あの蚕って気持ち悪いよねぇ」と言った。

 

蚕・・・・・・・約半世紀も前、ばばの家では蚕を育てていた。

方言では「カイゴ」と言っていた。

 

大きな、竹製で深さはない四角いカゴで蚕を育てていた。

わかりやすく言えば畳の約8割ぐらいの大きさの竹カゴを

何十も並べてそこに蚕を入れ育てるのだ。。

 

もう記憶も定かではないが、

蟻の3倍ぐらいの大きさの蚕の幼虫を、父か母かがどこからか持って来た。

今にして思えば「養蚕所」という施設が隣集落にあったので

そこから買ってきたか、依託されていたと思う。

無数の蚕の幼虫は、ワシャワシャ動き回り壮観だった。

蚕の餌は桑の葉。

だから、ばば達姉妹は学校から帰ると畑を回って桑の葉を集めた。

家に帰って、蚕のカゴの上に桑の葉をたっぷりのせる。

夜中など蚕が「シャワシャワシャワ」と餌を食べる音が

まるで小雨でも降っているように聞こえた。

蚕の成長は早く、みるみるうちに大きくなり

体長が大人の小指くらいになり、

しばらくすると体の色が透き通った黄色っぽくなる。

体が黄色くなった蚕は「あがる」と言って別のカゴに移す。

そのうち蚕は餌を食べなくなり繭を作る。

繭を作るための部屋?もあったと思う。

確か、格子状になったものだったが、木製だったかなぁ。。。。

全部の蚕が繭になって、しばらく経ったある日、

繭を全部集め、大きな大きな鍋にお湯を沸かし、その中でぐらぐら炊いた。

その後、母が糸繰り機で糸を紡いでいた。

繭からきれいな光沢の糸が巻き取られていく様は見ていて飽きなかった。

その糸を使って母は機織りもしていた。

自分の家で絹織物が出来ていたんだなぁ。

今思えば凄いことだと思う。

母が織った反物を染めて、ばばのために着物と羽織を作ってくれた。

世界に一つしかない貴重な一品だ。

 

昨夕、「蚕って気持ち悪いよね」って言ったSさんは

蚕を育てた経験はないらしい。

蚕は色こそ薄いグレー系だが、形は、ばば、大の苦手青虫系。

今、ばばは蚕を見たら飛びすさってしまうかもしれないが

小さい頃は平気で自分の鼻に蚕を乗っけて遊んでいた。

どうして、小さい頃平気だったのに

大人になってこんなに蚕を気味悪く思うようになったんだろう?

子どもの頃と、大人になってからでは、大きく違ってしまう感性もあるんだろうな。

 

「虫つながり」でいくと、ばばは大好きだったブロッコリーも

数年前からあまり食べられなくなってしまった。

なぜか?

無人販売所から買ってきたブロッコリーを冷蔵庫に入れていたのだが

数日後、取り出して料理に使いましょうと茹でたら

何と青虫がプカップカッとお湯の中に浮いてきたのだ。

きれいに洗ったつもりなのに、房の中にでも潜んでいたのだろうか?

又、ある時、買ってきたブロッコリーを冷蔵庫に入れていて、出したら

何と、大きめの青虫が表面に。。。。

・・・と言うことは?冷蔵庫の中でも青虫は育つんだよねぇ~。

あれ以来、ブロッコリー=青虫と頭の中にインプットされてしまったらしい。

あの青虫は、成長したら何に変身するんだろう?