ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
HPは http://www.ibuchan.com/

1把の素麺から・・・・

2017年06月08日 14時52分57秒 | 日常生活
6月8日(木)晴れ

夕べか明け方か?雨の音がした。

やっと、少し雨が降ってくれるかぁ~と思っていたが

朝は洗濯物が干せるほどの晴天。

喜ぶべきか?「神様~雨降らせて下さい」とお願いすべきか?・・・・



女の人って、家にいると、1日中、何やらする仕事がある。

仕事は楽しいけれど、3度3度の食事メニューを考えるのは頭が痛い。

毎日メニューを考えるだが、お昼前になっても

何を作ろうかと迷う事がある。

今日が、そうだった。



じじが帰ってくるギリギリになって、何とか考えた。

牛肉焼いて・・・昨日収穫したナスを焼いて・・・ピーマン焼いて・・

大根とニンジンを太線切りにしてシーチキンとネギ入れて炒めてみようかな?

後は、夕べ作ったジャガイモとニンジンの煮付けの残りもあるし。

おつゆは何年ぶりかで「素麺汁」を作ろうと。
素麺


毎日お味噌汁だけじゃ、じじイヤだろうし・・・



じじが帰って来た時に「はい、どうぞ~」とタイミング良く出す為に

時間を逆算したが、失敗!

じじを少し待たせてしまった。

でも、じじは撮影してきた画像を

取り出したりする時間があって嬉しかったはず。



いつもより少し遅れての昼食。

ばばが「久しぶりにイリコ出汁で素麺汁炊いてみた~」と言うと

「○○ばぁの味がする」と、じじ。

まるまるばぁ・・とは、ばばの母の事。

明治40年生まれの母。

ばば家族が毎週末遊びに行くと、

必ず「アンバ(油)素麺」とか「素麺汁」を作ってくれた。

その味が、じじの中では「ばば母の味」として残っているようだ。

母が亡くなって、来月で22年。。。。



食材も物資も少なかった時代、母は色々な工夫をして

ばば達の為に食事を準備してくれた。

「醤油飯(ショーイバン)」と言っていた炊き込みご飯、美味しかったなぁ~

「油味噌(アンバミシュ)」と言っていたお味噌も美味しかったなぁ。

油で炒めた味噌に、時には魚の身をほぐした物が、

時には豚肉が入っている事もあったなぁ。



3月3日にはヨモギ餅を、5月5日には黒糖餅を、

お盆には、はったい粉(麦を炒って粉にした物)で作る型菓子を・・・と

季節季節のおやつなども、毎年作ってくれていた。

漬け物もすべて手作りだった。

両親が亡くなった後、実家の道具類をほぼ廃棄したが

後になって「型菓子を作る木型、残しておけば良かった~~」と後悔したが、既に後の祭り。



ばばが、母の味として引き継いだ物があるだろうか?

と、たまぁに考える事があるが「これ!」と自信を持って言えるものは何一つ無い。

じじ母は、器用で色々な料理を作ってくれたが

レシピなど教えてもらった物は無い。

ばばが、じじ母の「味」を教えてもらって、その料理を作ってあげたら

じじは喜んでくれるだろうか?

「懐かしい味がする!」とは言ってくれるかもしれないが

「美味しい!」と言ってもらえる自信は無い。



「母の味」「お袋の味」を引き継ぐって難しいなぁ。



ばばの場合は、高校から島外へ出て5年後には島に帰って来て就職したから

両親と暮らした時間は長い。

じじと結婚した後も、毎週末、家族で実家へ行き一緒に食事をしたりしていたから。

しかし、我が家の娘などは、いったん都会へ出たら、そのまま都会暮らし。

「母の味」を特別教えてあげる事も無いまま現在に至っている。

でも、ばばは思う。

「母の味・お袋の味」って、特別な物では無く、

一緒に暮らした時間に、母が家族の為に作ってあげていた食事だろうと。

別に、母が作っていた料理の味を引き継がなくても

家族が美味しいと言ってくれる料理を作ってあげられたら、それが一番だと・・・



もし、幸いにして家族が何年に一回かでも

「お母さんが、あんな料理作ってくれたなぁ・・・」とか

思い出してくれたら、世の中のお母さんたち、喜ぶだろうなぁ。



今日、素麺汁を作る為に・・・たった1把の素麺を使う為に

20把位入っている素麺の箱を開けてしまった。

いったん開けてしまった以上、8月頃までには使い切らないといけないだろうな。

じじは、素麺より「うどん派」だし、どうしましょう?