6月8日(木)晴れ
夕べか明け方か?雨の音がした。
やっと、少し雨が降ってくれるかぁ~と思っていたが
朝は洗濯物が干せるほどの晴天。
喜ぶべきか?「神様~雨降らせて下さい」とお願いすべきか?・・・・
女の人って、家にいると、1日中、何やらする仕事がある。
仕事は楽しいけれど、3度3度の食事メニューを考えるのは頭が痛い。
毎日メニューを考えるだが、お昼前になっても
何を作ろうかと迷う事がある。
今日が、そうだった。
じじが帰ってくるギリギリになって、何とか考えた。
牛肉焼いて・・・昨日収穫したナスを焼いて・・・ピーマン焼いて・・
大根とニンジンを太線切りにしてシーチキンとネギ入れて炒めてみようかな?
後は、夕べ作ったジャガイモとニンジンの煮付けの残りもあるし。
おつゆは何年ぶりかで「素麺汁」を作ろうと。
毎日お味噌汁だけじゃ、じじイヤだろうし・・・
じじが帰って来た時に「はい、どうぞ~」とタイミング良く出す為に
時間を逆算したが、失敗!
じじを少し待たせてしまった。
でも、じじは撮影してきた画像を
取り出したりする時間があって嬉しかったはず。
いつもより少し遅れての昼食。
ばばが「久しぶりにイリコ出汁で素麺汁炊いてみた~」と言うと
「○○ばぁの味がする」と、じじ。
まるまるばぁ・・とは、ばばの母の事。
明治40年生まれの母。
ばば家族が毎週末遊びに行くと、
必ず「アンバ(油)素麺」とか「素麺汁」を作ってくれた。
その味が、じじの中では「ばば母の味」として残っているようだ。
母が亡くなって、来月で22年。。。。
食材も物資も少なかった時代、母は色々な工夫をして
ばば達の為に食事を準備してくれた。
「醤油飯(ショーイバン)」と言っていた炊き込みご飯、美味しかったなぁ~
「油味噌(アンバミシュ)」と言っていたお味噌も美味しかったなぁ。
油で炒めた味噌に、時には魚の身をほぐした物が、
時には豚肉が入っている事もあったなぁ。
3月3日にはヨモギ餅を、5月5日には黒糖餅を、
お盆には、はったい粉(麦を炒って粉にした物)で作る型菓子を・・・と
季節季節のおやつなども、毎年作ってくれていた。
漬け物もすべて手作りだった。
両親が亡くなった後、実家の道具類をほぼ廃棄したが
後になって「型菓子を作る木型、残しておけば良かった~~」と後悔したが、既に後の祭り。
ばばが、母の味として引き継いだ物があるだろうか?
と、たまぁに考える事があるが「これ!」と自信を持って言えるものは何一つ無い。
じじ母は、器用で色々な料理を作ってくれたが
レシピなど教えてもらった物は無い。
ばばが、じじ母の「味」を教えてもらって、その料理を作ってあげたら
じじは喜んでくれるだろうか?
「懐かしい味がする!」とは言ってくれるかもしれないが
「美味しい!」と言ってもらえる自信は無い。
「母の味」「お袋の味」を引き継ぐって難しいなぁ。
ばばの場合は、高校から島外へ出て5年後には島に帰って来て就職したから
両親と暮らした時間は長い。
じじと結婚した後も、毎週末、家族で実家へ行き一緒に食事をしたりしていたから。
しかし、我が家の娘などは、いったん都会へ出たら、そのまま都会暮らし。
「母の味」を特別教えてあげる事も無いまま現在に至っている。
でも、ばばは思う。
「母の味・お袋の味」って、特別な物では無く、
一緒に暮らした時間に、母が家族の為に作ってあげていた食事だろうと。
別に、母が作っていた料理の味を引き継がなくても
家族が美味しいと言ってくれる料理を作ってあげられたら、それが一番だと・・・
もし、幸いにして家族が何年に一回かでも
「お母さんが、あんな料理作ってくれたなぁ・・・」とか
思い出してくれたら、世の中のお母さんたち、喜ぶだろうなぁ。
今日、素麺汁を作る為に・・・たった1把の素麺を使う為に
20把位入っている素麺の箱を開けてしまった。
いったん開けてしまった以上、8月頃までには使い切らないといけないだろうな。
じじは、素麺より「うどん派」だし、どうしましょう?
夕べか明け方か?雨の音がした。
やっと、少し雨が降ってくれるかぁ~と思っていたが
朝は洗濯物が干せるほどの晴天。
喜ぶべきか?「神様~雨降らせて下さい」とお願いすべきか?・・・・
女の人って、家にいると、1日中、何やらする仕事がある。
仕事は楽しいけれど、3度3度の食事メニューを考えるのは頭が痛い。
毎日メニューを考えるだが、お昼前になっても
何を作ろうかと迷う事がある。
今日が、そうだった。
じじが帰ってくるギリギリになって、何とか考えた。
牛肉焼いて・・・昨日収穫したナスを焼いて・・・ピーマン焼いて・・
大根とニンジンを太線切りにしてシーチキンとネギ入れて炒めてみようかな?
後は、夕べ作ったジャガイモとニンジンの煮付けの残りもあるし。
おつゆは何年ぶりかで「素麺汁」を作ろうと。
毎日お味噌汁だけじゃ、じじイヤだろうし・・・
じじが帰って来た時に「はい、どうぞ~」とタイミング良く出す為に
時間を逆算したが、失敗!
じじを少し待たせてしまった。
でも、じじは撮影してきた画像を
取り出したりする時間があって嬉しかったはず。
いつもより少し遅れての昼食。
ばばが「久しぶりにイリコ出汁で素麺汁炊いてみた~」と言うと
「○○ばぁの味がする」と、じじ。
まるまるばぁ・・とは、ばばの母の事。
明治40年生まれの母。
ばば家族が毎週末遊びに行くと、
必ず「アンバ(油)素麺」とか「素麺汁」を作ってくれた。
その味が、じじの中では「ばば母の味」として残っているようだ。
母が亡くなって、来月で22年。。。。
食材も物資も少なかった時代、母は色々な工夫をして
ばば達の為に食事を準備してくれた。
「醤油飯(ショーイバン)」と言っていた炊き込みご飯、美味しかったなぁ~
「油味噌(アンバミシュ)」と言っていたお味噌も美味しかったなぁ。
油で炒めた味噌に、時には魚の身をほぐした物が、
時には豚肉が入っている事もあったなぁ。
3月3日にはヨモギ餅を、5月5日には黒糖餅を、
お盆には、はったい粉(麦を炒って粉にした物)で作る型菓子を・・・と
季節季節のおやつなども、毎年作ってくれていた。
漬け物もすべて手作りだった。
両親が亡くなった後、実家の道具類をほぼ廃棄したが
後になって「型菓子を作る木型、残しておけば良かった~~」と後悔したが、既に後の祭り。
ばばが、母の味として引き継いだ物があるだろうか?
と、たまぁに考える事があるが「これ!」と自信を持って言えるものは何一つ無い。
じじ母は、器用で色々な料理を作ってくれたが
レシピなど教えてもらった物は無い。
ばばが、じじ母の「味」を教えてもらって、その料理を作ってあげたら
じじは喜んでくれるだろうか?
「懐かしい味がする!」とは言ってくれるかもしれないが
「美味しい!」と言ってもらえる自信は無い。
「母の味」「お袋の味」を引き継ぐって難しいなぁ。
ばばの場合は、高校から島外へ出て5年後には島に帰って来て就職したから
両親と暮らした時間は長い。
じじと結婚した後も、毎週末、家族で実家へ行き一緒に食事をしたりしていたから。
しかし、我が家の娘などは、いったん都会へ出たら、そのまま都会暮らし。
「母の味」を特別教えてあげる事も無いまま現在に至っている。
でも、ばばは思う。
「母の味・お袋の味」って、特別な物では無く、
一緒に暮らした時間に、母が家族の為に作ってあげていた食事だろうと。
別に、母が作っていた料理の味を引き継がなくても
家族が美味しいと言ってくれる料理を作ってあげられたら、それが一番だと・・・
もし、幸いにして家族が何年に一回かでも
「お母さんが、あんな料理作ってくれたなぁ・・・」とか
思い出してくれたら、世の中のお母さんたち、喜ぶだろうなぁ。
今日、素麺汁を作る為に・・・たった1把の素麺を使う為に
20把位入っている素麺の箱を開けてしまった。
いったん開けてしまった以上、8月頃までには使い切らないといけないだろうな。
じじは、素麺より「うどん派」だし、どうしましょう?