ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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奇跡!自らポストに飛び込んだ葉書の話

2008年02月15日 18時43分33秒 | Weblog
2月16日(土)

これを奇跡といわずして何と言おう!という出来事があった。

それは、じじ&ばば上京中の2月6日のことだった。

この日は、3女の誕生日であった。

夕方6時にじじ・3女と待ち合わせ誕生祝いをすることになっていた。

朝から寒く、時折雪交じりの雨も降るという天気であったが、

ばばも完全防寒をして、その日が休みだった次女と出かけた。

じじは朝から大好きな秋葉原に出かけていたし、

3女はいつも通り仕事を終えてから待ち合わせ場所に向かうはずであった。

約束の時間を少し過ぎていたが親子4人無事合流して食事の場所へ向かった。

出る料理、出る料理どれもおいしくて4人とも満足満足。

最後のデザートで、アイスクリームを頼んだのだが、

ばば達の注文を受けた店員さんが勘違いしたのか、

注文もしていないアイスクリームが出てきてびっくり。

確かに抹茶アイスクリームと言ったはずなのに・・・

娘達が店員さんにそのことを告げると、

先に出したアイスクリームはサービスしてくれ、

注文通りの品も出してくれた。申し訳ないような、得をしたような

複雑な気持ちで店を出た。

そのあと肩を寄せて歩きながら3女が言った。

「大変なことしてしまった」と。

詳しく聞くと、友達から結婚式への招待状をもらっていて、

記入した葉書を、その日会社に持って行き、

帰りがけにでもポストに入れようと思っていたらしい。

ところが、仕事の終わりが少し遅くなり、

夕方家族との待ち合わせもあり、気が急いていた娘は

小走りに駅に向かったらしい。

会社を出て、食事場所へ向かう途中の何処かで

大事な葉書を落としたらしいと言うのだ。

「こりゃ一大事!」善後策を女3人で話し合った。

おめでたいお祝いの招待状なので、なくしたというのはいけないのでは?

と言うばば。娘二人は、「電話ででも正直に事情を説明して、

もう一回葉書を送ってもらうか、電話で出席の返事をしようか・・」侃々諤々。

結論は出なかったが、やはり正直に電話で事情を話して謝り、

その後、また考えようということになった。

3女は少しでも早く家に帰って電話をしようと先を急いだ。

家に帰って友達に電話をすると生憎留守電だったらしい。

翌日から、じじ&ばばは旅行に出かけたので、

葉書のことは気になりながらも娘がどういう行動をとったのか

分からずじまいだった。

3日後、旅行から帰って葉書がどうなったかは忘れかけていた。

ところが、次の日娘が電話をしながら体をよじって笑い転げているのが

気になった。電話を切るのを待って、なぜあんなにも笑っていたのか聞くと・・・

電話の相手は招待状をくれた友達だった。

娘は招待状をなくしたことを打ち明けて謝り、

電話で出席の返事をしてもいいのかと聞いたらしい。

すると、友達は「ひかちの葉書はちゃんと届いているよ」と言ったそうな。

びっくりしたのは娘。いや、娘ならずともびっくりするだろう。

落としてしまった葉書がちゃんと宛先に届いていた!

友達が言うには「彼氏と二人して、ひかちからの返信葉書を見て、笑い転げた」

そうだ。

なぜなら、娘の葉書はいかにも「頑張って,頑張って、転げてきました」

という風体だったとか。

きっと、土の上、石の上、アスファルト、コンクリートの上を

風に吹き飛ばされながらポストの近くまで転がったのか?

あの日、足下はぬかるんでいたのに。

よくもまあ、無事で・・葉書は吹き飛ばされ、転がり、

やっとの思いで自らポストへ飛び込んだのか?

いや、絶対「善意の手」があったはずだ。

それにしてもどこのどなたが親切に娘の葉書を拾って投函して下さったのだろう。

世の中、まだまだ捨てたもんじゃないなあ・・などとばばは感激もひとしお。

葉書をなくしたと思いこんだ娘は、

翌日会社でもそれとな~く周囲の方々に聞いたそうだ。

「もしかして・・・葉書など・・・落ちていませんでしたか」と。

でも芳しい返事はなくすっかり諦めていたところへの

友達の電話での話。娘が笑い転げるのも頷ける。

その後、娘達とばばは話した。

もし、葉書が落ちていたら、ポストに投函するかという話題。

まず、葉書が落ちていても都会の慌ただしさの中で気づくだろうか?

もし気づいても拾い上げるだろうか?

拾い上げたとしても投函するだろうか?

ばばは、「投函しないかも」と言った。

娘達は「近くにポストがあれば投函するかも」と言った。

うぅ~~~ん、難しいなあ。

娘の葉書を拾って投函してくれた、どこのどなたかもしれぬお方、

本当にありがとうございました。

大好きな三女、ピカちゃんへ

2008年02月15日 11時02分06秒 | Weblog
2月15日(金)とても寒い

ピカちゃん、誕生日から9日も過ぎてしまったけれど、

改めて「お誕生日おめでとう」

つつがなく今日の日を迎えられたのは、

周囲のたくさんの方々の支えがあったからだよね。

日々、周囲の方々に感謝の気持ちを忘れないピカちゃんであって欲しいです。

ピカちゃんが生まれたのは、お母さんが32歳の時でした。

あなたが生まれる3年前にお母さんは加計呂麻で破傷風になり、

医師の誤診から危うく命を失う直前まで行きました。

でも、平常の450倍もの血清を打ち、何とか一命を取り留めたのです。

その時、ばばは「私にはまだやるべきことがあるんだ、

だから神様が又この世に引き止めて下さったんだ」と思ったのよ。

ばばがやるべきこと・・・子育て・親孝行・大好きな仕事。

ばばは、それまで以上に周囲の方々に感謝し、

家族に感謝しながら仕事を続けたの。

加計呂麻から徳之島へ転勤になり、伊仙小学校勤務になって2年目。

あなたがじじとばばの元にやってきてくれたのよ。

破傷風の血清の副作用?から、

もう子どもはできないかもと内心諦めていたじじと、ばばは嬉しくて嬉しくて。

周囲の方々からも大祝福の中であなたは誕生したのよ。

お姉ちゃん二人が生まれた病院が新築されて、新しい病院であなたは生まれたの。

2月5日の夕方からお腹がシクシク痛み出して病院へ行ったのよ。

お姉ちゃん二人が生まれた時はじじは加計呂麻にいたけれど、

あなたが生まれた時はじじもすぐ近くにいるということで、

ばばは心強かったのよ。5日の夕方入院して、9時をまわる頃から

痛みの感覚が規則的になってきたの。

ばばは、3人目の出産ということで痛みの間隔を数えたりする余裕があった。

10時、11時と時間は過ぎ、日付が変わって2月6日、

午前1時になる前、痛みが激しくなって

看護師さんに促され分娩台に乗ったと思ったら、

間もなくあなたが元気な産声を上げたのよ。

まるで、自分からこの世に飛び出してきたかと思うくらいの安産で

先生も看護師さんもびっくりするくらいの安産だった。

親孝行だったねえ、ピカちゃんは。

じじ父が出産直後の姿を見て「痩せごろビッキャ(痩せた蛙)」

と形容したはな姉とは違って、あなたは丸々太って元気な産声を上げて、

みんなを喜ばせてくれたのよ。

そしてね、あなたの名前はばばがつけたの。

どうしてもこの名前が付けたくてあなたが生まれる前から考えていたのよ。

お姉ちゃん二人を誕生直後からじじ両親に預けて仕事をしていたばばは、

その罪滅ぼしという気持もあって、就職後、初めて半年間、

育児休暇をもらってお姉ちゃんやあなたの世話をしてあげようと決心したの。

毎日あなたやお姉ちゃん二人と相対していた至福の時。

あなたは、じじに似て、ばばのあこがれ癖毛だったね。

クルンクルンとカールした髪の毛が可愛くてお人形さんのようだったね・・・

でも、ばばの直毛の遺伝子が相当強かったのか成長するにつれ、

あなたの髪の毛もお姉ちゃん達と同じストレートに。不思議だったねえ、

あのクルンクルンヘヤーはどこへ消えちゃったんでしょうね。

あなたは、本当によく泣く子だったのよ。

あなたにしてみれば何か欲求があってそれが満たされずに

泣いていたんでしょうけど、ばば達は訳が分からず、

あまりに泣き叫ぶあなたに業を煮やして、あなた一人残して

そっと階段を下りてあなたの様子をうかがったこともあったのよ。

半年後ばばが仕事に復帰しても、じじ両親や大好きなおばちゃんが

じじ・ばば以上にあなたを可愛がってくれてばばは心おきなく仕事ができた。

でも、じじ・ばば不在の時に限って「ひきつけ」を起こして

じじ両親やおばちゃんを心配させたね。あなたが、2才の時だったかなあ・・・

あなたが急に高熱をだし、ひきつけを起こして入院したことがあるの。

解熱のためか、あなたの小さな足に点滴をしたんだけど、

痛みであなたが足をバタバタ動かすの。

それで、針が抜けたりしたら困るということで、

あなたの小さな足に砂袋のような重りを付けたのよ。

痛くて必死に足を動かそうとするあなた。

でも重りを付けられた足は動かない・・・見ているのもかわいそうだった。

3,4日の入院で回復したあなたは、又みんなのマスコットとして

ファミリーの中心に。

その後もあなたはよく熱を出したけど、高熱を出すと

必ずと言っていいほど「お化け見える!」って言って泣いたね。

ばばがいくら抱っこしても「お父さあん、お父さあん」って

じじを求めて泣いたのよ。

じじに抱っこされると落ち着いてすやすや眠ったの。

本当にあなたは小さい頃からお父さんが大好きだったのね。

あなたが2,3才の頃だったか、みー姉ちゃんが

「ピカちは、Kおばちゃんにあげて」って言ったのよね。

一番年下のあなたがみんなからちやほやされるのが気に入らなかったんだね。

それまではみー姉ちゃんが年下だったからね。
(はな姉とみー姉は1才しか違わないけど
あなたと姉ちゃんたちとは4・5才違うからね)

3姉妹の母となったばばは、3人にお揃いの洋服を着せるのが楽しみだった。

でも、なかなかないのよね、4・5才も年が違うと。

あなたには心外だったでしょうけど、お姉ちゃん達のお下がりもよく着せたわね。

お姉ちゃん二人は全く双子のように

洋服なども同じような物をそろえていたので、

あなたにとっては次から次へとお下がりがまわってきたのよね。

あなたは小さい頃から衣裳持ち。

今もたくさんの衣裳に囲まれているかな?

あなたは、乳幼児検診で健康優良児に選ばれるという

快挙を成し遂げてくれましたね。家族も周囲もびっくりびっくり。

そして、じじ父の口癖が「ピカちは、太ももで勝負!」だったよね。

あなたは心優しい子で、ばばが熱を出したり体調が悪かったりすると、

枕元へ来て「お母さん、大丈夫?早く元気になってね」と声をかけてくれたり、

小さな手で、水で濡らして絞ったタオルをばばの額にのせて、

「熱下がって元気になってね」って励ましてくれたりしていたのよ。

そういうあなたが愛おしくてたまらなかった。

あなたの優しさはじじ両親も感心していたわよ。

何処かへ遊びに行く時は必ず玄関の小さな黒板に

「○○へ遊びに行ってきます」って書いたり、

じじ母のお手伝いも進んでしてくれたり、

じじ両親にもいつも優しい言葉をかけてくれたって。

そういうところが周囲の方たちからも可愛がってもらえた要因かもね。

あなたは小さい頃、歌が好きで、

夏休みなどばばが職場にあなたを連れて行く時は、

家を出て職場に着くまでずうっと歌を歌っていたのよ。

知っている限りの歌をね、繰り返し繰り返し、30分近くも・・・

そんなあなたが小学校に入学。

ばばの知人の先生方はあなたのことを「ガラスの中の少女」って言ってたのよ。

それほど儚げに見えたのかなあ、あなたが。

先生方にも可愛がっていただき友達もたくさんでき、4年生からかな、

進んでブラスバンド部に入り、コンクールに何回も出ていろいろな賞をもらい、

大西隆先生のご指導の元ジャズバンド「リトルチェリーズ」にも入って

日本全国あちこち演奏旅行?もでき

ジャズの大御所と一緒に演奏するという貴重な経験もしたよね。


高校に入ると急にスポーツ少女に変身したあなた。

来る日も来る日もラケットを握って、髪の毛まで茶色に日灼け、

生徒指導の先生から「髪の毛を染めている」と怒られた時、じじとばばは

本気で、その先生に抗議に行こうかと思ったのよ。

門限はじめ、厳しく子育てをしてきたじじとばばにとって、

先生の発言は納得できなかった。

あなたは、元々茶色っぽいばばの髪の毛と似ていたうえに、

毎日のテニスの練習で、ますます茶色になっていた髪の毛の色が

きっと、カラーリングしたと見えたんでしょうね。

じじとばばは、子どもたちのわがままは許さないけれど、

その代わりわが子達がいわれなき中傷やいじめにあった時は、

どんな相手でも絶対子どもたちを守っていくという覚悟は常にしていたよ。

だから、「ばば、深夜の不審者追撃事件」もあったのよね。

あの時だって、「娘達を守らなきゃ」の一心で無意識のうちに

深夜、不審者を追って走り出したばばだった。

だって、三人の娘たちは、じじとばばが神様から預かった

唯一無二の宝物だもの。いつまでもこの気持ちは変わらないよ。

年を重ねるごとに、じじやばばに対しても批判的な目で見たり、たまには

ぐさっとくる言葉のやりとりもあるけれど、心の底ではお互い大好きだって

ばばは確信しているよ。

ピカちゃんは、大学入試を控えた頃じじとは、よく言葉のバトルがあったね。

当たり所がなくて、部屋の壁に当たり散らしていたピカちゃんの姿が蘇ります。

あなたが高3のクリスマスイブの夜に、うちとは目と鼻の先の友達の家で

ケーキを作るからって夜間外出をしようとしたことがあったよね。

その時、じじとばばは、頑としてあなたを出さなかった。

ケーキを焼き終えた友達がうちの階段の所まで届けてくれたよね。

あの時、あなたはきっとじじ&ばばを恨んだでしょうね。

でも、ばばは、あの時のじじ&ばばの判断は決して間違っていなかったと

今でも思っているよ。

夜間外出は校則違反だし、夜に子どもだけで外出させるなんてことは

じじも、ばばも絶対させたくなかった。

「だめなものはだめ」の教育方針だったからね、うちは。

成長した今、ピカちゃんはあの時のじじ&ばばの言動に対して

どう思っているんだろう・・・

自分で大学を決め、卒業後の就職も決めたピカちゃんだったけど、

実社会は想像以上に厳しかったね。

じじとばばは言葉には出さなかったけど、

数年後、ピカちゃんが、はな姉・みー姉の住む東京へ住むことになった時は

嬉しかったよ。

今も、はな姉のすぐ近くで、みー姉ちゃんと一緒に生活していることで

安心しています。お互い心強いものね。


今年のピカちゃんの誕生日は偶然にもじじばばも上京中で、

一緒に誕生祝いができて嬉しかったよ。

高校生以来かなあ・・・一緒に誕生祝いの卓を囲んだのは。

いつの間にか、体も心も大きく成長したピカちゃんだけど、

いくら年取ってもじじとばばはいつまでも、

ピカちゃんのお父さん、お母さんだし、ピカちゃんは二人の子ども。

だから、寂しい時、悲しい時、苦しい時は、

いつでも、どおぉ~~~んと、ぶつかっていらっしゃい。



ピカちゃんは、いいお姉ちゃんを持って幸せだね。

あなたの誕生日に、みー姉ちゃんは、ピカちゃんが欲しがっていた

カード入れをさり気なく準備してあったし、

はな姉ちゃんとみー姉ちゃん二人から、

あなたが欲しがっていたワンピースのプレゼントもあったし、

はな姉ちゃんから、みー姉とピカちゃんに色違いのストラップの

プレゼントがあったね。

じじとばばは、仲良しの三姉妹を見て「幸せだなあ、いい子達だなあ」

という思いを新たにしたよ。

じじとばばは、三姉妹がじじとばばの娘であることを誇りに思うし、

いつも感謝しているよ。ありがとう。