『不完全性定理』(野崎昭弘著、ちくま学芸文庫)を読む。ゲーデルの不完全性定理について「わかりやすく」解説した本である。とはいってもやっぱりこの定理は難しいのであるが、やさしく語るにはどういう切り口で話を進めるればいいのかということに参考になる。無矛盾な自然数の世界で、ある命題とその否定命題のいずれかが必ず証明可能であるわけではないこと、すなわちいずれとも決することができない命題があるということを証明したということなのだが、これは見方を変えればある命題の証明をあきらめれば、無矛盾性は保たれるということである。数学の世界では命題が証明できるということは非常に重要だから、この定理の証明に数学界は震撼したのだが、数学の世界でなければ証明できないことはいくらもある。そして証明できないからといって、それは必ずしも正しくないことではない。
数学の世界と実際の世界とは共通するところもあるけれど、違うところもある。だからこの「不完全性定理」が証明されたことをもってまるで鬼の首でもとったように、さまざまな言説の不完全性をあげつらってもしかたがない。
すばらしいと思うのは、刃物をどんどん研ぎ澄ましていくように形式化を極限まで進めていく努力と、著者も述べているように「このような結果が、人間の知性によって、厳密に証明された」ことだ。「人間の知性のある一般的な限界が、人間の知性によって証明された」ということはほんとうに驚くべきことであるし、こんなことは人間にしかできないのではないかと思う。
たいせつなのは、ある限界が証明されたときに、どういう態度をとるのかということだろう。限界があることに幻滅し、その中でお互いの不完全性を論うことに汲々とするのか、限界を弁えた上で新しい挑戦をしていくのか。答えは明らかだ。
さいごに、ゲーデルの不完全性定理が「理論の終わり」ではなく、「新しい理論の始まり」になったこともつけ加えておきたい。このように
「大きな結果によって片付いたかに見える分野が新しい方向に、さらに豊かに発展していく」
のは数学のいろいろな分野でよくあることで、決してめずらしいことではない。
そうだろう。私たちの世界でも珍しいことではない。このことはどちらの世界にも共通している正しいことだと思う。その証明はできないにしても。