烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

人口減少社会

2006-06-06 22:55:28 | 随想
 話は少し前のことになるが、2005年の合計特殊出生率が過去最低の1.25を記録したことが報道されていた。政府の積極的な(?)対策にも関わらず出生率は下がり続け、日本の人口減少が加速している。高学歴化とともに働く女性が増えているにもかかわらず、女性が出産・子育てをしながら安心して働ける環境になっていないことが原因だと論じ、職場環境の整備を訴える論説が多いように思う。確かに子育てをそっくり女性に任せている男性に比べれば、育児に積極的に参加する男性が少ない現状では女性は不利であろう。男性の育児への参加とうものは、単純に仕事から帰ってから家庭において育児を手伝うという範囲の問題ではなく、仕事(ひいては自分のキャリア)をある程度犠牲にすることを本人を含め社会が許容できるかどうかということにかかっている。実際は仕事を休んでまで育児に協力することを許容するような環境には程遠い。今後このあたりの社会環境整備がなされていくことだろう。しかし、環境が整えば自動的に女性が子供を(どんどん)生むようになるかというとそう簡単にはいかないだろう。生む子供は一人にとどめて、整備された環境を積極的に利用してさらに働き続けるという選択肢もじゅうぶんありうるからである。

 一般的に子供をつくる場合には、多かれ少なかれ親というものは自分の子供に夢を託しているだろう。今の生活よりもよりよい未来が約束されていると信じる(思い込む)ことなしには子供に未来を託すことは難しい。自分の生を一世代若い子供の中でもう一度生きさせること、そしてそうすることによって自分の世代では実現しなかった夢がもしかすると子供の世代が叶えてくれるかもしれないという欲望が子供を生もうとする欲望を支えている。現在の日本では、その欲望が萎えてしまっているのだろう。叶えたい選択肢が少なくなれば子供の数も少なくていい。さらに一人生まれれば乳幼児の死亡なんてほとんど起こらない日本では、発展途上国とは異なりほぼ確実に育つ。だから必然的に産む子供の数は少なくてもいい。
 社会が流動的になり夢を叶えるチャンスが多くなり、ちょっと失敗しても再起可能な環境になれば、託すことのできる夢の選択肢も増え、子供の数も増えるのではないだろうか。逆に社会が硬直化して少しの差がゴールを決定付けてしまうような環境では、失敗しないことが最も重要になるから賭けはしなくなる。子供を作るということは、ある意味大きな賭けのようなものだからそんな環境では子供の数は少なくなるだろう。「末は博士か大臣か」という親ばかな望みを子供に託すことができるのも、社会が階層化されていなければこそである。他愛もないそんな冗談が言えるのにも社会的必要条件があるのだ。子育ての環境整備もいいが、もっと大事なことは階層化する傾向を壊し、社会を流動化することだと思う。