烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

漱石と不愉快なロンドン

2006-06-16 19:13:31 | 本:文学

 『漱石と不愉快なロンドン』(出口保夫著、柏書房刊)を読む。著者のあとがきによると1982年に河出書房新社から発刊された『ロンドンの夏目漱石』を大幅に加筆修正したものとのこと。その参考文献の一つに以前読んだ『夏目金之助 ロンドンに狂せり』(末延芳晴著、青土社刊)があると書かれていたので、購入して読んだ。
 ロンドン留学中の漱石の足跡を追いつつ、在英中に彼の文学に対する態度がどのように変わっていったかを丁寧に追っている。そのときどきのロンドンの天候の記述が詳しく書かれてある。確かに天候というものは、人のその時々の感じ方に大きく影響する。まして異国に一人留学している身であれば、濃霧と曇天のロンドンは神経質な夏目金之助の感性を左右したであろう。1901年元旦から五日間ロンドンは濃霧に覆われたようで、彼の日記には「気味悪キ」現象と書かれている。彼が遭遇した始めてのロンドンでの濃霧であった。日本にいればお目出度い元旦であるところが、それを祝う風習もないロンドンで年の初めから濃霧というのであれば、気も滅入るだろう。彼の「神経病」とロンドンの日照時間の短さとの関連はうつ病のあるものは、その症状が日照時間の短さとも関係しているから重要な指摘であると思う。

 この本の中では夏目金之助が文学的な話題について語ることのできる下宿環境を求めていたことも一つのポイントとして書かれている。



・・・我下宿の妻君が生意気な事を云ふのも別段あいてにする必要はないが、同じ英国へ来た位なら今少し学問のある話せる人の家に居つて、汚ない狭いは苦にならないから、どうか朝夕交際がして見たい。かう云ふ希望があるから、へー行きましようとは答へなかつた。(『倫敦消息』)


 まあ日本を代表する留学生として派遣されてはいても所詮は留学生の身分であるし、家賃を切り詰めているのだから、この望みはやや高望みにすぎるといわれても仕方がないかもしれない。朝食の席上でシェークスピアやキーツを下宿の女将さんと語りあうというのは、日本でいえば味噌汁をすすりながら井原西鶴や近松門左衛門を語るという感覚だろうから、これが可能な下宿を探すというのはかなり難しいだろう。
 こういう状況下でドイツからロンドンに来た同じ留学生の池田菊苗の存在は大きかったようで、彼と哲学や文学、歴史、宗教のことを語り合うことで、「幽霊の様な」文学鑑賞から英文学の体系的研究に向かう契機となったことが書かれている。



・・・池田菊苗君が独乙から来て、自分の下宿へ留つた。池田君は理学者だけれども、話して見ると偉い哲学者であつたには驚いた。大分議論をやつて大分やられた事を今に記憶してゐる。倫敦で池田君に逢つたのは、自分には大変な利益であつた。御蔭で幽霊の様な文学をやめて、もつと組織だつたどつしりした研究をやらうと思ひ始めた。


「漱石がさうしなければゐられない心の状態に到達してゐたから、さうなつたまでで、仮令池田の刺激がなかつたとしても、漱石の内で醗酵してゐたものは、早晩かういふ形をとつて、流れ出たにちがひない」という小宮豊隆という人の評言も引かれているが、これはものごとの転機となる「きっかけ」の重要性を軽く見すぎていると思う。啐啄の機ということばがあるが、機は熟していても外在的な契機の到来がなければしぼんで萎えてしまう動機もあるのだ。文学というつかみどころのない相手に苦戦していた金之助にとって、実験化学というソリッドなものを相手にする菊苗との議論は確実に彼の研究方向を変えたものであったに違いない。