業務日誌

許せないヤツがいる 許せないことがある
だから倒れても倒れても立ち上がる立ち上がる
あいつの名はケアマネージャー

ケアプラン料 4

2007年08月27日 | 事例検討
「トシオさん、本当に転院ということでいいんですね?」
と聞く私に
「いいんじゃい!」
と答えたトシオさん。
それが火曜日の午前10時。

かくして、トシオさんの紹介状は作成されました。
そして午後にはもう、主治医の紹介状をはじめ、透析条件(透析時間・ダイアライザ(血液をろ過するフィルタ)・血流(QB)などの条件)表、透析記録、検査データその他サマリーがサクサクと準備されていきます。
もうあとには引けません。
トシオさんの転院は決定しました。
もう私に出来ることは何もなさそうです。

なのに
その日、つまり8月21日火曜日の午後、私が訪問から戻ってくると、私はまたまた透析センターから呼び出しを受けました。
もーいーかげんにしてーと思いつつ、すぐさまセンターへ。
すると透析センターのナースが私に、トシオさんが
『転院するのはハリケンがそうしろと言ったからじゃい!』
と言い出した、と教えてくれました。
聞けばトシオさん、私が透析センターからいなくなったあとでナースたちに、トシオさんの次回透析日はどっちでやるのかなどの打ち合わせのために色々聞かれているときに
「ワシはもともとドライバーと揉めただけで、このクリニックには何の文句もなかったんじゃい!それをハリケンが次の主治医を聞いて来いだの、面談に行って来いだのと言うもんでそうしただけじゃい!」
と言ったというんです。
もちろん、そんなバカな話をまともに受け取るナースはいませんが、
「では転院はナシなのですか?」
と聞けば
「そんなことを言ってももうここまで決まってしまったんだから転院しないワケにはいかなくなったんじゃい!ハリケンがそうしてしまったんじゃい!」

ブチブチッ←血管。
※ BGMは“必殺!仕事人”でお願いします。

もう我慢出来ません。
私はトシオさんのベッドにツカツカと歩み寄り、透析中のトシオさんに向かって不気味に落ち着いた声で話しかけました。

「トシオさん、あんまりじゃないですか。私が言うとおりにやった、とはどういうことでしょうか。そもそも転院したいと言われたのはトシオさん自身じゃなかったんですか?」
トシオさん「…」
「トシオさんが転院するとなると、自立支援医療の受給者証を書き換えなくてはダメなんです。それに名前が書かれた透析施設でなければトシオさんは透析が出来ないんです。ご存知ですよね?」
トシオさん「知っとるんじゃい」
「トシオさんが透析を受けられなくなると命が危険だと思ったので、私はトシオさんが転院したいのならすぐに次の病院に移れるように、ナマホのケースワーカーさんに連絡しなければと思い、お手伝いをさせてもらいました。でも私がトシオさんの許可なく何かを勝手にしましたか?」
トシオさん「…」
「私は今まで、トシオさんのケアマネとして色々なお手伝いをさせていただいてきましたが、今回の転院が全部私の責任とまで言われては、もうトシオさんを担当していく自信がなくなりました。どうか他のケアマネを探していただけませんでしょうか?」
トシオさん「…わかったんじゃい!」
「とはいえ、トシオさんも探しようがないでしょうから、今トシオさん宅に来て頂いてるヘルパーさんの会社にケアマネさんがいれば、その方なんかどうでしょうか。」
トシオさん「そんなら聞いてみるんじゃい!」
「他には、ワーカーの山田さんにお願いしてもいいのですが、それだと写経になるかもしれませんね。」
トシオさん「写経は絶対絶対ダメじゃい!自分で探すんじゃい!」
「そうですね、トシオさんの希望されるところがいいですね。では、次のケアマネさんがわかったらまたお知らせ下さい。あとは責任をもって引き継ぎさせていただきます。そのときにまたご挨拶に来ます。ありがとうございました。」

辞去。

後悔はまったくしませんでしたが、「言ってやった!」と思ったワリには全然スッキリしませんでした。


ええ、わかってます。
自分がダメなことをしたってことは。

私は森の神同様、言うことを聞かないトシオさんにを与えようとしたワケです。
正直、こんな利用者をここまで担当できるのは自分の他にはそうそういないだろうと思う気持ちもありました。
トシオさんがケアマネ探しをする間はもうしばらく担当して、きちんと仕事を引き継ごうと思いました。
あと少しだ、と。
今日のようにひどいことはもうないだろうから、と。



ところが
私はまだ甘かったんですわ。



もーもー、私これ以上続けていられない。
ケアマネなんて私には出来ない!と思わざるを得んほどにズドンと落ち込むことが待ってましたわ。