業務日誌

許せないヤツがいる 許せないことがある
だから倒れても倒れても立ち上がる立ち上がる
あいつの名はケアマネージャー

無力

2011年03月19日 | 業務日誌
今回の地震は未曾有の災害となりました。
東北地方太平洋沖地震の被災に遭われた方、お亡くなりになられた方に心から哀悼の意を表します。
また、いま現在避難所滞在を余儀なくされている方、ご自宅で不安な夜を過ごされている方のご心配やご不便を
本当にお気の毒に思います。
あまりにも大きな悲しみ、耐えられないほどの辛さ、痛さや寒さを今分かち合うことは出来なくとも、
一刻も早い復旧・復興を心からお祈りするとともに、自分に出来ることを探し、必ず実行していきたいと思います。
被災者の皆様が失われた多くのものは、幸運にも被災を免れた私たちに
自分の持っているもの、持っているのに忘れていたものの大きさを知る機会や
家族や友達、愛する人、大切なものを見つめなおす機会をもたらしました。
私はそれを決して忘れず、そして今を大切に生きてゆき、この思いを活かすことを約束したいと思います。




皆様お久しぶりです。

ちょうど1年くらい、放置してました。
更新のなかった間にコメントを下さった方、メールを下さった方
本当にありがとうございました。
放置していた理由はとくにないんです。
ただ、単純に忙しかったことと、なぜか突然記事を書くことができなくなってしまったこと。

そもそもこのブログは、遠方の元同僚に、自分の近況を報せたくて始めたものでした。
自分をよく知る人たちに向けて書いていたので、多少不真面目なことを書いても
自分の真意というか、ほんとのほんとのホンネみたいなものはわかってもらってると思うわけで、
まあ完全に露悪趣味みたいなかんじでした。
そこに訪れて下さる方が増え、ブログ上のお付き合いが始まっても、調子に乗って不謹慎なことを書き連ねていたわけです。
ブログで発信するということの責任についてたいした考えを持っていなかったんですよね。
何を書いても自由じゃないか、と思っていたわけではないんですが、記事に対して色んな感情や考えを持つ方が
いるという当たり前をあえて無視していたというか。
そこにもってきて管理者なんぞになってしまい、以来、あんなにもダメダメケアマネだった自分が
ダメダメケアマネであることを露呈できなくなってしまうという、安っぽいプライドとか保身とか
そうゆーものに縛られ始めていることに気付くわけです。

情けないというか、ね。
私のよーなもんが管理者なんかになってるくらいですから、この法人がどの程度なのかはわかるでしょ。
なのに「管理者」になったとたん、記事が書けなくなるってことがもう痛いです。

ヒラだったときはヒラ身分に甘えられてたってことで
肩書きがくっついたとたんにこの有様です。
自分がこんなにチンプな人間だったとは思いませんでしたが、
だったら個性的なヤツだとでも思ってたのかってなるとまた恥ずかしいつーか。

これまでの記事にいただいているコメントに関して:
えーと、読んでます。
というか、このページ、ほんとに久しぶりに開きました。
で、昨日全部読んだのですが、今の私にはひとつひとつにレスすることが出来ません。
読んで「うん、そのとおりです、すみません」と言いたいことばかりなのですが
率直にご意見いただいていてありがたいと思っていますし、消すつもりもないです。

1年もブランクがあるので、1年前に自分が思ってたこととか今読み返しても
いきなり当時の思いに遡ることも出来ないので、レスはつけることが出来ません。
1年前のトピとかは、ぶったぎったみたいに今の自分の業務のこととかまたいろいろ書いていきます。
タイトルも「ハリケンのチラシの裏」とかに変えようかとも思いましたが
この1年で、ちょびっとマシなケアマネになってるかもとか思わなくもないので
やっぱりブログ「業務日誌」として続けさせていただきたいと思います。

まあ、でも、やっぱりろくでもないブログでしかないと思いますw
あんまり期待してもらってもあれです、裏切ります。

ただ、1年を経て、読者の方にひとつだけ言えることがあります。

人は成長するもんなんです。

それなりにw


えーと

この未曾有の大震災のさなか、私は、虐待事例と医療拒否+接近困難事例に対峙せざるを得ない身でした。
地団駄踏んだり、課長とケンカしたり、包括(現いけいけ私怨センター)とケンカしたり、
保健所と気まずくなったり、ナースに土下座したり(ほんとにしました)いろいろしましたし、しています。
私のようなケアマネに世話される人が気の毒だと言われた方がいらっしゃいましたが、まあそのとおりなのですが
この2事例についてどのような結末となったか&なっていくかを綴っていくことは、
たぶんケアマネさんたちの役に立つと思います。
ちょっとくらいは。

実はブログを再開しようと思ったのはそれが理由です。
不謹慎なだけのケアマネのままブログを閉じて
忘れ去られるのもいいかなーと思ったのです。
「どうしようもないケアマネだったしそのうちダメになると思ってたしダメになったんじゃねーの」
でいいか、もう、て思ってたんですけどね。
でも、私のせいでケアマネという仕事が誤解されてしまうと申し訳ないですし
長く読んで下さってる方の中には、このブログの登場人物に思いいれのある奇特な方もおられたりして
消息くらいはお知らせしなーいかんかな、とかw思ったり。



というわけで
ブログ再開します。

これからまた、どうぞよろしくお願いします。










新人ケアマネ教育 その3

2010年03月22日 | 業務日誌
※ 画像は拾いモノ。雨すごっ。

すみません、気付いたら1ヶ月もブログ放置してました。
年度末はアレです、包括との契約更新とか、認定調査委託契約の更新とか、なになにの登録とかね。


利用者が何ヶ月もかかっていない病院のセンセに主治医意見書を依頼し、理由を聞くと
「前回の調査のときにお願いした先生だから」
と、まるで
「そこに山があるから(Because it is there.)/ジョージ・マロリー」
のようにスッキリと答えたブリンナー。
このあと私にこっぴどく叱られてシュンとしながらも、区役所に行って事情を話し、利用者さんの意見書を書くセンセを変更してもらったようです。
認定調査に行って利用者の話をぜんぜん聞いていないってのがもうダメ。
ケアマネに限らず、人の話を聞かない人が人の相談に乗れるかよと思います。

説明すればちゃんと
「わかりました」
と言う。
なのに失敗して
「私これ、こないだやり方教えましたよね?資料もあげましたよね?」
と聞くと
「あ、忘れました」
と答える。
言いたくないけど、そりゃ前の職場もリストラされるっちゅーねん。

今、ブリンナーの新人教育で1番困っているのは、利用者の訪問回数です。
ときに皆さんは、新規利用者宅に何回くらい訪問してます?
もちろんケースによりけりでしょうけど、たとえば入院中に病診連携なんかから紹介があって、退院後の居宅介護支援を依頼された場合とか。
ブリンナーはなんと、利用者の入院中ほとんど毎日のように病院に行くんです。
業務日誌にはお見舞いと書いてるし。
入院中でなくても、サービス入れてもう2,3ヶ月もたつ利用者宅に週に平均3日も行く。
一体何をしに行くのか見てたら、新しいサービスが入るたび、新しい福祉用具が入るたび、往診のたびのようです。
そりゃ新規はそういうのが必要なこともありますけど、やれヘルパーが1回増えた、デイの送迎時間が変更になった、訪看の訪問日が変更になった、ってたんびに行くのはどうかと。
ウチの居宅にはケアマネの使える公用車が5台ありますが、うち2台は医事と共有なので最初のうちは「新人だから」と目をつぶってましたがだんだんみんな困ってきました。
そこで先日、訪問回数が多すぎるのではないかと話してみましたが、ブリンナーの反応を見ていると、
「ホントに必要な訪問以外はあまりしないように」
と言った私のことを、利用者と触れ合おうとしない冷たいケアマネだと思ったようです。

なんかね、ズレる。

何回も行くワリに利用者の話を聞いていないし、利用者の希望とか生活歴とかにまったくそぐわないサービスばかり入れようとする。
たとえば、独居の女性が車椅子のいるような状態になったとしますよね。
買い物に行けなくて食事が困るだろうと思うと、すぐに配食弁当を入れようとするんです。
でも、その人はもともと自分でちゃんと食事を作って食べていた人なので、配食弁当なんかとりたくないと思っているかもしれないでしょ。
そういうことを考えず、さっさと配食弁当事業者に連絡をとって面談に行かせてしまい、結果利用しないってことになって、配食弁当事業所に迷惑をかける、とか、そういうことばっかやってるんです。

こういうことって、何年かケアマネをやっていればわかってくることでしょうか。
失敗しないようにするためにじっくり話を聞いてくるようになったり、ちゃんと確認をとってきたりするようになったりはするかもしれないですけど、なんか違うような気がします。
誰のためにサービスを入れてるのか、何を解決すればその人が本当に助かるのか、そこ考えないとずっと失敗するんじゃないでしょうか。
てか、ケアマネってそのためにいるんじゃないのかと今さら。
新人の失敗を見ながら、色んなことをかえりみてしまう5年目のケアマネでした。


おお、今回はマジメにまとまってしまったw



新人ケアマネ教育 その2

2010年03月20日 | 業務日誌
※ 画像は…ジャマじゃないんかおっさん。

コメントの返事も遅れガチ、デコのしすぎで首肩腰のガチガチなハリケンです。
毎年今頃の季節には、花粉症に悩む周りの人たちに心にもない「大変ですねえ」と労わりの言葉をかけていますが何か。


さて、新人ブリンナーですが、試用期間が過ぎ、自己評価表を書かせて管理者評価をし、本院に採用の伺い書を提出しなくてはならない時期になりました。
適性があると思うんで正職員に採用してやれよと申し添えるとゆーことです。
ホンネゆーと採用なんかしてもらいたくないです。
事務長に
「せめて試用期間の延長はできないんですか」
と尋ねましたが
「労基がね---------」
と当然のお答え。
私が採用に関わったワケでもないのになんで責任取らされなきゃならんのか。
なんか間違ってると思う。
つか、まだ言うけど、私が管理者ってことがそもそ間違ってると思う。
管理者手当てはもらうけど。






先日のことです。

ブリンナーを、なんとか今年度最後の認定調査員研修にブチこむことが出来たのでとっとと行かせ、担当してる利用者の認定調査をやらせました。
トーゼン今月の調査です。もう月末近いんですが、研修受けてからブリンナーにやってもらおうと思ってて、ブリンナー本人も
「研修終わったら自分が調査をやれるんですよね?」
とやる気を見せていたのでやってもらいました。
書き終えたら調査票を見せてもらって、いろいろ教えてから提出させようと思って昨日その第一回目の添削をやったんですが、まーそりゃものすごかったです。
最初ですから誰でもそんなもんだし、仕方ないと思ってますけど、要領がよくわかっていないとか書き方が弱いとか甘いとかそんな様子ではなくて、要は全然わかってないんです。
だって特記がスカスカなのよ。
何のために調査をやったのかもわかってないみたい。
たぶんアセスメントもやってないんだろうなとイライラしながら
「介助されている、と書くときは誰がどのくらいの頻度でやっているのか書いて下さい」
とか
「一部介助をチェックしたとこはどの部分に介助が要るのか書いて下さい」
とか、てめーわざわざ一昨日それを研修しに行ってきたんじゃねーのかこのハゲが、と言いたい気持ちを強い精神力で抑えながら丁寧に指導しております。

で、ほとんど全部の項目で加筆や訂正を指示したあとで、前回認定時の主治医意見書をなにげに見ていたとき、ブリンナーが
「○○さんはこの(意見書書いた)A先生には、もう今は全然かかっていないと言ってましたけどね~」
と言うので、ナニゲに
「ふーん、今はどこの病院ですか」
と聞いた。
すると
「今かかりつけはC病院だそうです」
と答えたので、
「ああ、C病院ですか(デカい総合病院)、じゃあ意見書の到達も時間がかかるでしょうから、調査票の提出も来週の月末くらいでちょうどよかったかも知れないですね」
と言ったらば
「あ、いいえ、C病院の先生には意見書お願いしてません」
ってブリンナー。




は?

「え?じゃこの調査の意見書は誰が書くんです?」
「あ、前回の調査時のA先生です」

へ?

「でも○○さんはA先生にはもうかかってないんじゃないんですか?」
「はい、何ヶ月もかかってないそうです」

ちょ←青くなる

ちょっと待て。
この会話を聞いていたまわりのケアマネさんたちが一斉に仕事の手を止める。

「も1度聞きますからちゃんと答えて下さい。今回の調査の主治医意見書は何先生にお願いしたんですか?」
「あ、えーと、Aクリニックの、A先生です、フルネームまではちょっと」
別にフルネームを聞いてるんじゃありませんよあ、そうか、○○さんがA先生にお願いしたいと言ったんですか?」
「いいえ、別に」
「○○さんは何ヶ月もこのA先生にはかかっていないんですよね、なのにどうしてA先生に意見書を書いていただくんですか?」
するとブリンナー
「前回の調査のときにお願いした先生だから」


まるで
「そこに山があるから(Because it is there.)/ジョージ・マロリー」
のようにスッキリと答えた。





つづく








新人ケアマネ教育 その1

2010年02月15日 | 業務日誌
※ 万引きって、なんで万引きって言うんですか。知ってる人いたら教えてくらさい。


大事な友達・尊敬する主任の誕生日さえ忘れてしまうほどいっぱいいっぱいの居宅管理者です。
管理者就任初日にアイリン女史が言いました。
管理者を引き受けてくれてありがたいと思ってると。
他のケアマネは、年齢的にも経済的にも現状以上はなんにも望んでいないんだと。
だから、誰もやりたがらない管理者をやってくれて感謝していると。
私、それ聞きながら泣きたくなりましたね。
つまりアレだ、自分の職場をよりよくしようとか、いいケアマネを目指すとか、そゆことは全然考えていないんだろうなと思って超がっかりしたんです。
いえ、いいんです。
ひっぱっていくとかついてこいとかは全然思ってないんで。
ただ、私にもほんのちょっぴりは意地とかあるんで。



カニちゃんの退職の翌日、新人ケアマネが入職しました。
名前はブリンナー(仮名)男性52歳。
なぜブリンナーなのかっつと名優ユル・ブリンナーと同じアタマだからです。
ユル・ブリンナーを知らないおともだちは、おとうさんおかあさんか職場のアラフォーケアマネさんに聞きましょう。
元職は特養の管理栄養士。
ケアマネ実務研修のときに自分が持参した居サ計画が班の発表プランに選ばれたというのが自慢の、特養リストラ新人ケアマネです。
彼がねえ、なんつーかもう、いっときも目が離せないんですよ。

仕事に対してはかなり熱心です。
どんなことでもメモをとります。
アホほどメモ用紙を使い、先輩ケアマネや事務長、訪看やヘルパーさんのいうことすべてメモしています。
朝の朝礼のミニスピーチのとき、他の部署の職員が家庭のエピソードなんかを話したあとも、サッとメモ紙を取り出してなんか書いてます。
一体なにを書かれたのか、スピーチした職員は気になって仕方なかったことでしょうね。
で、それほどメモをとるワリに、教えたことがザルのように抜けていきます。
入職して1ヶ月もたった頃に
「ハリケンさん、利用者に渡すのが利用票で事業者に送るのが提供表ですよね?」
と聞かれたときにもクラクラっときましたが、その1週間後に、彼が利用票と提供表は同じもので、利用者に渡すときは利用票といい、事業者に送るときは提供表と呼び名が変わるのだと思っていることがわかったときはさすがに怒りました。
おかげで彼に担当させた利用者の使ってる事業所から何度も何度も提供表の催促があるはずです。
なのにヤツは
「自分はちゃんと送りましたよ!!」
と電話でプンスカ抗。
理由がわかったあとは私が事業者に平謝りです。
最近では、ブリンナーあてにかかった電話を私がとると自然に「すみません」と言ってしまっている自分に気付いて涙が出てきます。

そんなブリンナーの最近最大の失敗。

新規利用者を担当させて、居宅の届けやら計画のたてかたやらワイズマンの使い方やらいろいろ教えたあと、主治医連絡票のことを教えたんです。
主治医連絡票とはご存知のとおり、
「このたび○○様の居宅介護支援を担当させていただくこととなりました、プランを送りますのでご意見などございましたらいただけますと幸いです」
などと書いて送りつける挨拶状のようなもの。
そういう書式があるんですよ、とちゃんと説明し、エクセル文書もあげた。

なのに

なのに



ある日の午前10時頃、ブリンナーがどっかに電話をかけてた。
聞くと
「山下先生はいらっしゃいますか」
とか言ってる。
「私は○○さんと□□さんの担当ケアマネのブリンナーと申しますが、山下先生にお話がありまして」
そこまで聞いて、まわりのケアマネ全員がギクッとしました。
それもそのはず、山下先生というのは、ウチの居宅の利用者も多くかかっている大病院の院長の名前です。
まさかその山下先生ではあるまい、ブリンナーの利用者はまだたかが数人、異変急変の報告もない、一体なんの用があって大病院の院長を、診察開始直後のこの時間帯に電話口に呼び出すというのか。
しかし、そのまさかでした。
ブリンナーは、なにごとかと驚いて電話に出た山下先生に
わたくしこのたび山下先生の患者さんである○○さんと□□さんのケアマネジメントを担当させていただくこととなりましたのでお知らせいたします
と、主治医連絡票の記載文を読み上げたのです。





ケアマネ全員が青くなって固まったのはいうまでもありません。
数分後、やっとのことでクチがきけるようになった私は、気の弱い人なら失禁しそうなイキオイでブリンナーを怒鳴りつけました。

現在もハリケンはブリンナーに振り回されており、ほうぼうからの苦情にアタマを下げまくっています。
居宅の管理者とはアタマを下げるのが仕事なのだということを知り、もといた職場のブ長の髪が可視速度で脱薄していったことを思い出して涙を流しています。
ブ長、あなたも辛かったんですね。
もっともブ長は新人に振り回されて○げたんじゃないですけどね。

ブリンナーのおとぼけケアマネっぷりは今後まだまだご報告します。
こんなヘタレ管理者にみなさんのはげましのコメントお待ちしています。







インフルエンザ完治記念プレ企画当選者発表

2010年01月13日 | 業務日誌
※ 画像は『もふーん』。


今回も多数のご応募ありがとうございました。
22名様よりご応募いただきました。
当選者を発表させていただきます。
今回もおなじみフリーソフト『抽選くん』を使いました。
『抽選くん』を恨んでハリケンを憎まず。
ちなみに抽選方法はこれまで同様、各賞品ごとに応募者に書き込み順に番号をふり、抽選くんにチョイスさせるとゆーどシンプルな方法でした。

では発表いたします。

商品番号 キティちゃんスワロまみれ全身
応募者3名様より
当選者はpiyoさんです!!

商品番号2番 キティちゃんスワロまみれフェイス
応募者2名様より
当選者はちびっこケアマネさんです!!

商品番号3番 キティちゃん全身ミラー
応募者2名様より
当選者はゴジラさんです!!

商品番号4番 マイメロ×マイロコラボミンティアケース
応募者1名様で
当選者はりきまるさんです!!

商品番号5番 特大デコベア
応募者3名様より
当選者はチィちゃんさんです!!

商品番号6番 スペシャルキラキラ盛り合わせセット
応募者7名様より
当選者はチーズケーキさんです!!

商品番号7番 スペシャル盛りモリ盛り合わせセット
応募者5名様より
当選者はトマトさんです!!

おめでとうございます!!
当たりましたよ!!!


では、当たった方は例によってメールで『当たった、よこせ』の件名でメッセージを下さい。
『当たった、よこせ』と書いてないと応募者のメールだとわかりませんので絶対『当たった、よこせ』の件名でお願いします←しつこい。
住所をご連絡いただいた方から順次発送いたします。
hurricane-yellow@mail.goo.ne.jp ←gooメールアドレス

今回惜しくも抽選にもれた方ホントすみませんでした。
しかし、この企画はまだまだ続きますのでご期待下さい。
次回からは当選歴をリセットいたします。
当たったことのある方もガン゛ガン゛当たります、たぶん。

たまにはハリケンのデコブログも見に行ってやって下さい。
ただし業界関係者とバレるようなクレゾール臭いコメントやプロコール臭いメッセ、長谷川式楽しい嫌がらせ・笑えるいたずらはお控え下さいませ。



ではでは、ご連絡お待ちしてま------------す♪


所詮介護はヒトかカネ その6

2009年12月22日 | 業務日誌
※画像はアレです、その、理不尽。

すみません、すみません、放置すみません。
この約1週間つーもの、もーなんだか大変でした。

居宅の管理者なんてものになってしまったので、このような不謹慎なブログはやめるべきではないのか。
数々のプレ企画のおかげで、一部読者様にはハリケンの居住区も知れていることだし、このままではやぶぁいんではないだろうか。
管理者としてどうなのか。



な----んてコト
考えるワケ
ないッスよ!!


これからもガンガンいきます。
どうせ暫定政権、暫定人事、法人のおフザケ下克上ですから!!!
ケッ
管理者がなんだってんだ。
ケアマネもそんなに偉くないぞ!!!



お塩さんの1500万円がどうやって戻ってきたか。
それがですねえ、本当に唐突に戻って来たんです。

3000万円入ってた通帳が、いつの間にか1500万円になっていて、そして数日後にモトに戻ってた。
いつ引き出されたのか、誰が引き出したのかは調べてすぐわかりました。
もちろん宗教関係者です。
しかし、なんの目的で半分になってたのか、それがわからないんです。

NPO法人輪の会の支援相談員が調べてみようとしましたが、お金が元に戻っているので犯罪ではない、で、調べられない(追求できない)らしいです。
しかし、戻って来たとはいえ、数十万円程度の使途不明金がありました。
これについて調査するのかしないのかはわかんないんです。
いくらケアマネでも教えてもらえませんでした。

今回このようなNPOと初めてお付き合いさせていただきましたが、アレですね、契約が整った途端に冷たくなるもんなんですね。
得られるだけの情報をケアマネからぶんどり、呼び出すだけ呼び出しといて、いざ身元保証人となった途端、手のヒラを返したように
あとはコチラでやりますんで
ってカンジでした。
ま、そうでなきゃいけないですけどね。

てなワケで、すみません、キタイさせたワリにしょぼい結果報告ですみません。







クリスマスプレ企画を予定していたのですが、申し訳ない、お年玉プレ企画に変更させて下さい。
商品は今回も充実の品揃えとなっております。
近々画像をUpする予定です、こちらはどうぞご期待下さい。



所詮介護はヒトかカネ その4

2009年11月14日 | 業務日誌
※ 画像はエグザイル。


9月にあぷした、この記事を覚えていらっさいますでしょうか。
所詮介護はヒトかカネ その1
所詮介護はヒトかカネ その2
所詮介護はヒトかカネ その3

私が担当してた利用者 お塩マナブさん(仮名)88歳男性/要介護3。
5年ほど前に妻に先立たれ、子供はなし。公団に住む独居です。
もとは整備工でした。
高度の難聴で認知症、腰部脊柱管狭窄症、正常圧水頭症。
とっても温厚な方で、性格のかわいいじいちゃんです。

利用していたサービスは
訪問介護月に77回。
訪問看護月に4回。
通所介護月に13回。
夜間訪問介護基本Ⅰ。
福祉用具3品目。
月に50000点をラクラク超えるサービスを使ってた方です。

「担当していた」「(サービスを)使っていた」方と書いたので、もう皆様お気付きでしょうが、実はお塩さん、9月末日からまた入院してたんです。
歩行困難なのに、玄関先で配食弁当を受け取って、弁当箱を持ったままひっくり返っているところをヘルパーが発見。
その日弁当を届けに来た配達員はド新人でした。
歩行困難で車椅子レベルと聞いていたにもかかわらず、玄関先までトコトコ出てきていたお塩さんがにこやかに弁当を受け取ってしまったため、疑問に思いながらも手渡してしまい、結果

大腿骨天使部(誤変換が楽しかったのでそのままでw入部希望)骨折。

私が弁当屋の担当者を呼び出して叱り付けたのは言うまでもありません。
家族がいる人だったら訴訟モンです。

いやいやいやいや、今回私がお話したいのはこんなことじゃありません。


お塩さんがひとりの身内もないことは書きましたよね。
お塩さんが3000万円の預金を持っていることも。
そして、その預金を、彼が信仰する宗教団体の人たちに預けて金銭管理をしてもらっていることも書いたと思います。

9月末日に入院したお塩さん、骨折部位をオペすることになりました。
人工骨頭置換術が望ましかったらしいですが、これは輸血が必要なため、私とドクターと宗教団体の方立会いのもとで本人意思を確認。
はっきり言って、お塩さんはもう自分の宗教のこととか忘れちゃってるんです。
なもんで、最初ドクターがオペについて説明したときは
「(人工骨頭の)手術して下さい」
と言われたんです。私も聞きました。
しかし、この宗教は、1度輸血をしてしまうとその仲間からハブにされます。
なので、念を入れて意思確認しようということになり、お仲間を呼んで説明したところ、輸血の必要のないボルト止めのオペに誘導されてしまった。
このオペは身体的負担も少ないし、人口骨頭にしてたとしても88歳のお塩さんが元通り立てるようになるとは保証出来ないので、たとえ宗教上のタブーがなかったとしても、この選択は決して間違っていなかったかもしれません。
ただ、ケアマネとして言わせていただくと
入院期間が短いので都合が悪い
とゆーのが難点でございます(非道)。

で、10月もなかばを過ぎると、転院するのか在宅かですぐに病院があせり始める。
そこからさんざんいろいろあって(ホントにいろいろあって)転院となり、また保証人の問題が出てくるワケですね。

かなりハナシをハショリますが、今回私は、もうお塩さんに在宅復帰をあきらめていただくことにしました。
ムリなんです。いや、もともとムリだったんです。
で、いい具合に認知が進んで、宗教の教義のことも、ご自分の主義のこともほとんどとんちんかんになっているこの機に乗じ、区役所に相談して、成年後見人の申し立てをしてもらうことにしました。
しかしこの成立には数ヶ月かかります。
病院はそれまで待っていられないので、なんとか宗教のお仲間に保証人になってもらい、転院先を見つけてきました。
が、今度は宗教のお仲間のほうの動きが怪しくなってきた。
金銭管理はする(現在もやっている)が、入院の保証人にはならない、と断られた。
困った病院は、成年後見人が決定するまでのツナギとして、身元保証人になってくれるNPO輪の会(仮称)に相談。
本人、宗教仲間、輪の会の支援員、そして私と病院とで、面談が行われることとなりました。

長い前置きでしたが、今日までの流れがおわかりいただけましたでしょうか。
では、ここからが本題です←え。



宗教のお仲間に預けていたお塩さんの預金。
今年4月半ばの退院時には、3000万円ありました。
これは私や訪問介護のサ責などで確認しております。
未記帳はありません。最後にお金をおろしたのは、お塩さんと私なのでこれは確実です。
それからこんにちまで約7ヵ月足らずの間、この預金はいくらになってたと思います?



なんと半額の1500万円!!
(ジャパネットタカダ風に)



その1でも書きましたが、お塩さんは自費が25万円程度も出ます。
介護保険ぶんが3万円弱。
その他にも、配食弁当は月に約17日×2食で2.5万円くらい。
訪問診療もあります。
この7ヶ月間で、宗教のお仲間にお願いして現金を持って来ていただいたのが4回ほど、30万円ずつ。
クーラーもお仲間に頼んで購入してもらって設置しました。
衣類や食料、衛生材料とかも買いました。

しかし、しかしですよ。

月に何百万も使うような生活なんか
決してしていません!!!!!

どんなに多めに見積もっても月に4,50万円です。
あと1000万円くらいは、どう考えても足りなくなってるんです。


お塩さんの預金通帳から消えている約1000万円のおカネは
一体だれが、何に遣ったんでしょうか。



                             つづく










たまにはこうゆー話題もね。

2009年10月21日 | 業務日誌
※ ケアマネ・介護職・介護者のみんな、待っててね。


ちょっとこの画像見て下さい。


コレはウチの法人のデイケアの、ある日の光景。
ちなみに右側で見キレてる女性が細木さん(仮名)/現在は要介護2です。

なにゆえこのような、日々見飽きた利用者さんの画像をブログにまでUpするかってーと、理由は下の画像に。



そこのアナタ、糸クズじゃありませんよ。
これは毛糸で作ったバラのコサージュなのです。
(ボケ画像ですみません。事情があって携帯でしか撮れなかったんで…おおっぴらに写真撮影すると用途を聞かれるでしょ、するとこのブログのことがバレるかもしれないでしょ。)

しかもこの毛糸は、ハリケンの趣味ブログで知り合った方が大量に寄付して下さったもの。

右側の細木さんは、以前にも書いたように超のつくクソババアですが、まーここ数ヶ月というものおとなしいのなんの、性格が丸くなったとゆーかなんとゆーか、実は去年あたりにハリケンが認定調査をし、要支援から要介護にカムバックして以来、ムカシあんなに敵視していたハリケンに対して、すご-------くフツーにマトモになられたんです。
他の利用者さんに対して
ハリケンさんもやっとケアマネの仕事をしてくれるようになった
と言ったらしく、どうやらワタシが改心してきちんと特記事項を書いたおかげで介護給付に戻ったと思ったらしいです(爆)。

そんなこんなで、どんなく○○バァも素直になればかわゆくなるもので。

デイケアの仲良しが入院して寂しがっている細木さんを見れば、なんとか元気付けてやろうと思ってしまったりしたワケです。

ワタシが前述の毛糸の作家さんのネットショップで買ったシュシュを見てかわいい、かわいいを連発。
「ワタシも昔は編み物が得意だった」
としみじみ。
今は誰も編んでやる人がいないからやらなくなったけど、こんなシュシュなら作ってみたい、と言うんです。
ワタシ自身、好きだった手芸から遠ざかっていた細木さんがやる気を出し、何かを作ってみたいと言ったのがとっても嬉しくなり、そのきっかけとなった作家さんにお礼の報告。
するとその作家さん、大変感激なさり、
「余った毛糸を差し上げます!!!」
と言って下さったんですよね。

軽い気持ちでありがとうございますと言ったものの、数日後に自宅に届いた大量の毛糸にオドロキました!!!
段ボールいっぱいの高級毛糸!!!!!
早速デイケアの手芸担当者に。
そして細木さんが作った第一作目が、画像のコサージュなのです。

なんちゅ--------
ええ話や。

もちろん、これだけではありません。
すごくカワイイシュシュやらボンボンやら、細木さんのみならず多数の利用者さんたちが、毛糸で手芸を楽しんでおります♪

ハリケンのハンドメイドの趣味が、こんなふうに障害高齢者の役に立つこともある、という美談でした。
ふだん毒々しいハリケンのブログですが、こんなトピックもたまにはしないとね。




ところで
ご紹介したニット作家さんはanitaさんとおっしゃいます。
本当は教えたくないくらい、かわいい小物を作っておられます。
ブログをご紹介しますので、ネットショップを是非のぞいてみて下さい。
作品同様、すご--------くステキな方です♪


anita*anita ←是非チェック!!



わからない、誰か助けて!

2009年09月25日 | 業務日誌
※ 画像は『今さらナニ言ってんの?』。でもどうしても納得出来ないことのひとつ。



皆さんも担当してらっしゃいますよね、ナマホ。
ケアマネとして、支援者として、ナマホ制度がどういう制度なのかちゃんと知っておかなきゃならない、そりゃそうです。
ナマホの人の保険証は?
とか、
2号でナマホの人の請求は?
とか、
3年もケアマネやってて今さら人に聞けません。
ハリケンの基礎資格は社会福祉士ではないので、ナマホのしくみとかナマホの扶助の種類とか、たいして知りませんし、ましてや保護課の事情なんてものは知る由がないんです。

私の担当に、独居で透析でナマホ(DTN)のリュークという人がいたのをご記憶でしょうか。
69歳男性です。リンク飛ばそうにも過去ログ探すのがホセ・メンドーサ。
(たぶん去年の5月末くらいの記事)
現在このリュークは、身体状況が悪化につぐ悪化、そして区変につぐ区変のため要介護5になっております。
そして、このリュークには元内縁の妻・レムという寄生虫がくっついていたのもご記憶の方は少ないでしょうが、今年のはじめ頃からこのレムの実の息子、しかしリュークとは赤の他人である25歳くらいのオトコの子がリューク宅に居候しているという、人間関係のまったくよくわからない状況となっていました。
そもそもナマホの居宅に居候がいるなんてダメダメなのですが、リュークを骨までしゃぶるつもりの元内縁妻レムが
「遠い身内が無償で介護を手伝っているのだ、居候ではない」
とナマホ課にくってかかり、この状況は黙認というか放置されていました。


7月の末頃、状態がマジ悪くなり、毎日清拭を行うヘルパーがその都度送り人のような心境でケアしておりました。
トランスファーがとっても大変になり、ヘルパー事業所つくしのサ責から
「とてもひとりのヘルパーでは移乗させられない」
と訴えました。
ただでさえ限度額ギリギリなのに、とブツブツ言いながら区変して、居候のオトコの子に直談判。
・透析やデイケアの送り出し時は移乗を手伝う
・キャッチは(オトコの子に)仕事があって無理なので2人ヘルパーを入れる
・2人派遣のときは身体1生活1×2ではなく、身体1×1人+身体1生活1×1人で
というプランをたてて、限度額超過まであと100点未満という崖っぷちのプランの中、リュークをなんとか支えていたワケです。

ところが。
それでもやっぱり、限度額には限度がある。
だから限度額ってゆーんですけどね、どんなに頑張ってケチっても、リュークの限度額がオーバーする日がやってきてしまった。

8月のとある日、居候BOYが急な仕事で2日間ほど家を空けたんです。
仕方がないのでヘルパーは、その2日間だけ、朝の送り出し時にヘルパーを2人派遣。
そして、ちょうどきっかりそのぶんのサービス費が、要介護5のリュークの利用限度額を超えてしまった。

皆さんはご存知でしょうか。
ナマホの方の利用限度額がオーバーしたとき、誰が1番困るのかを。

ケアマネ?
いや別に。
だって限度額オーバーの可能性や、その場合は自費になることについては事前に説明してますし、プランに印鑑もらってますもん。
ぼったくったワケじゃなし、これは必要な限度額超過であったと自信持って言えます。それじゃなくてもリューク宅のサービスでは、色んな事業所に『泣いて』もらってきたんです。良心も、ホント悪いけど、痛みません。

事業所?
や、全然。
以前はリューク、色んな料金が引き落とされる前に銀行から保護費を引き出してしまい、デイケアの食費などが引き落とせず、集金に苦労したこともありましたが、今は自分で銀行に行くことが出来ないため、おカネが入ってこないなんてことがなくなりました。オーバーしたぶんは自費として請求すればいいんです。

利用者(リューク)?
ええ、まったく。
保護費、余ってます。余ってるんです。余るようになったんです。

困るのは保護課なんです。


これ以下、面倒くさいのでイッキに書きます。

生活保護の方については、上限額を超えるサービスは認められません。
これはもちろん、介護サービス費の自費ぶんを生活扶助で補うと、(ナマホの方には必要最低限の金額が支給されているはずですから)リュークは最低の生活以下となってしまうためです。
しかし、改正後の報酬体系などを見ても当然、訪問介護の緊急時加算などで限度額をオーバーするかもしれないことは想定されるはずです。
しかも、このリュークの場合、緊急時加算算定の要件を満たしているにも関わらず、そこは事業所に泣いてもらっているんです。
なのに保護課から
監査にひっかかる
という理由で、8月ぶんの請求を取り下げるように指導されました。
いうまでもありませんが、監査でひっかかるのは保護課です。
こちらは、今月リュークの限度額がオーバーしたのは居候BOYの都合であるから、自己負担額のぶんはこのBOYが出すものとしていました(実際出すのかどうかは知りませんが)。

これ、なんかおかしいですかね。
ナマホの人でも限度額を超えてサービスが必要なことはある。
そこを、何が何でも限度額内で収まるようにすれば、最低生活どころか必要最低限の介護が受けられなくなるんですけど。

ちなみにこのとき保護課の担当ワーカーからは
「限度額を超過したことには目をつぶるので、超過した事実を(書類上)消して下さい」
と言われました。
正直に言いますが、私、このコトバの真意つか真実が全然見えません。
なんかウラがありそうな、でも誰に聞いてもよくわからないんです。

似たような経験のあるケアマネさんか事業所さん、これ読んでらしたら教えてもらえないでしょうか。

ハリケン、ケアマネ就任後2度めの取り下げでした。