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お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

春日祭(申祭)は3月13日に

2018-03-02 16:41:38 | 日記
今朝から昨日の嵐のような風が止み、穏やかな朝
庭ではこの暖かさに誘われて羽虫、ユスリカ?が飛び回り、

米糠を一週間前に撒いたところにも、スズメとツグミが
やってきており、春本番?ともいえる気候です。
 

昨晩から始まった東大寺・お水取り(修二会)本行も例年になく
暖かな夜に、10本のお松明が一人づつ連行衆の足元を照らし
二月堂へと登廊し、二月堂堂内で始まり、15日未明まで、
二七ヶ日夜(二週間)続くことになります。


これから奈良の3月前半は修二会一色になるのですが・・・
実はあまり知れていない春日大社でも『勅祭・春日祭』が
お話は、春日大社宮司・花山院(かさんのいん)弘匡さん
藤原北家師実流の嫡流で高校教師から親の後を継がれて宮司に
なられ、観ることの出来ない貴重なスライドを駆使されての
お話で、申祭は旧暦の二月・申の日を新暦では三月一三日、
メインの祭りですが、3月10日辰の立榊式(一の鳥居に榊を)、
今は枯れた榊
11日は巳の祓式と牛の御酒式、12日未の置砂式、
13日は申祭で勅使以下斎館を出て、祓戸の儀、著到の儀を経て
幣殿・直会殿の作合の座につき、御棚奉奠(みたなほうてん)、
御幣物奉納、御祭文奏上(声を出さず)、神馬牽廻、和舞奉奏、
饗饌、見参(袖の下作法で真綿がご褒美に)、賜禄をもち終了。
でも当日近づけるのは二の鳥居付近だけで閉門されての行事。
HPより
というのも春日大社の祭ではなく、三勅祭の一つで天皇陛下の
御勅使が国家の安泰と国民の繁栄を祈る御祭文(宣命・詔)、
この御祭文の色は三勅祭の伊勢神宮は縹(ハナダ)色、葵祭
(上賀茂・下賀茂神社)は紅色、石清水(石清水八幡宮)祭りと
この春日祭では黄色の紙で奏上され1200年も続く重儀に。
というのも
続日本紀では750年2月16日に、春日酒殿・・・・
万葉集でも751年頃春日祭神の日(梅が満開)に光明皇后の御歌
大船に真楫繁貫きこの吾子を韓国へ遣る斎へ神たち
賜られた甥っ子、入唐の藤原朝臣清河の歌は
「春日野に斎つく三諸の梅の花栄えてあり待て還り来るまで」

と記載があり、奈良時代には始まっていたと考えられ、
平安時代初期に
新抄格勅符抄 801年9月22日、春日祭りの記述が
日本後記 805年2月10日、建部千継を春日祭使と

三勅祭の斎主は
宮中は女性の神明奉仕、伊勢神宮の斎王(いつきめ)女性
葵祭も女性が斎王、現在は民間から代理なので斎王代と
春日祭の斎女は関白などの娘・内侍(ないし)といい、
泊まられた地には内侍原町などの地名も残ります。

そして2000人の大行列が京都御所から出ていたそうです。
前行列・・・斎女列・・・70人の貴族、警護、雑用係など
その模様は、葵祭ものままになります。
一部

天皇陛下の御幣物(春日大神への奉げ物)に興味はありませんか
1000年間同一で、平安朝の延喜式の定めそのままで、昔は
内蔵寮(宮中の内廷的財務機関)からで現在は宮内庁掌典職より
・五色絁(あしぎぬ)  一丈二尺(3m60㎝)
 *五行思想より万物の色とされる五色(青・赤・黄・白・黒)
・糸(絹糸)     一綛(かせ)
・曝布(さらし・麻布) 一端(9m程)
・木綿(ゆう)     一斤(600g)
・麻         一斤(600g)

3月14日には後儀「戌の小祭」摂末社の神々を祭られて終りに
御棚神饌は神様側から見ますと
・御箸
・大豆、黒米飯、汁(ワカメの千切り)、醤、白米飯、小豆
・鯛、烏賊、鰹、キタイ(カマス)・・・高く積まれる
・鮨(サワラ)なれずし、鮑
・柑子(小さなミカン)、干し柿、框
・濁り酒、清酒・・・春日大社酒殿で造られます。
     (明治になり、酒税を一番最初に払ったそうです)

なお、この行列を再現するには少なくとも2000万以上掛ると
どなたかおられませんかと呼びかけられて終りに。

修二会だけではなく、知らない行事があったのですね。
12日は東大寺修二会の大松明、お水取りそして声明を鑑賞され、
次の日13日は春日大社に行かれ、国宝殿で名刀の数々も・・・
 
そして最後に奈良国立博物館で特別陳列「お水取り」等も

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