京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

水屋神社に泊まって粥見井尻遺跡を見学

2012年12月26日 | 歴史問題

昨日25日夕方奈良市から田原、杣の川から榛原を通り東吉野村から雪の高見トンネルを抜けて櫛田川沿いに下がり飯高町赤桶の水屋神社に到着する。

 高見トンネル(現代は大和の国と伊勢の国を分ける県境)付近は雪が降り、道に積雪もあり心配されたが、我が住み家のある京都北山に比較出来ない。先年ももっと雪が積もっている中を通ったことがあったので心配なく水屋神社に到着。

水屋神社は昔はこのあたりが大和の国の最前線で伊勢の国と国境を接していたのです。だから御祭神は春日神社と同じ神様をお祭りしています。大和の国の勢力が後退し、神社が取り残されてこの地の氏神様として祭られています。(日本国民の昔からのおおらかな性格を見る気がします)

水屋神社に来るのは半年ぶりか? 久しぶりに久保宮司とビールと先年なくなった宮司のお母様が作られた薬酒(カリン酒ともう一種類はなんだか忘れてしまいましたが)を酌み交わしながら遅くまで話していました。

26日私は何時ものように7時前には目が覚めて水屋神社をお参りし、天然記念物の大楠を見て櫛田川の渓谷へ下りて禊場などを散歩しながら見て歩きました。

水屋神社の裏はすぐに写真のような櫛田川の渓谷になっていてこの写真の手前には砂浜の禊場があります。今は寒くて入る人は少ないが夏場は気持ちが良いところです。時々上から大きな鯉が泳いでいるのが見えます。

水屋神社裏の櫛田川の渓谷

宮司の先導でここから10分あまり松阪よりに走り粥見井尻遺跡に案内してもらいました。ここは縄文時代草創期(1万2千年~1万1千年前)の遺跡だそうです。ここから出た土偶は日本で一番古い土偶と思われています。

 

住居の復元最古の土偶

復元図看板

この粥見井尻遺跡を見て宮司と別れて伊勢高速に入り新名神を通り、名神から南インターで下りて西大路八条の親戚がやっている若新で昼飯を食って雪がちらつく自宅に帰る。

一風呂浴びて奥に設置している檻を見回りに行くが入っていない、明日は朝から檻にエサをまきに行かなければ雪に埋まってしまって獲物が寄り付かない。

昨日今日で走行距離370キロ、愛車フルタイム四駆の軽自動車はもう走行距離85000キロ,いまだに良く走ってくれています。


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1 コメント

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謹賀新年 (水廼舎學人)
2013-01-07 15:24:02
お久しぶりでしたね。相変わらずお元気ですね。ことしもよろしくお願いいたします。
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