京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

「忘却は罪である(宝島)」ウソ言え! 世界が平和であるためには「終わったことは水に流す」

2017年01月06日 | 歴史問題

昨年秋からあまり年寄りがブログで自己主張するのもミットモナイと控えてきました。

もう、我々年寄りの出る幕でもないと自嘲気味になっていました。

残り少ない人生をこの京都北山の山中でゆっくり楽しむのも悪くないと思っていました。

平成28年は世界でも、日本でも大きな変化の兆しの出始めた歳でした。

そして、今年平成29年は変化の始まる年と期待してきました。

昨年の選挙から十八歳まで投票ができるようになり今の若者たちは団塊の世代より日本人としてシッカリしているのを確かめられて安心していました。

これで時間をかければ日本は良い方向に進んでいくのではないかと期待していました。

もう、我々ロートルがとやかく叫ぶ必要はないと安心していましたが

あの「宝島」が「忘却は罪である」というアホな広告を出したと聞いてカチンと来ました。

戦後の一番の罪悪は「悲しみ」や「嘘で固められた日本人の罪悪」をこれでもか、これでもかと毎年繰り返し全国民に無理やり押し付けていることです。

戦後生まれの団塊の世代の孫の時代になってもです。

「忘却は罪である」という考えは支那人や朝鮮人が我が国を攻撃する手段として敗戦時に連合軍の取ってきた手段を真似ているのです。

本当の日本人なら「嫌なことは水に流す」はずです。

「最大の癒しは忘却である」「時が悲しみを癒す」のです。

戦後75年、今生きているほとんどの日本人が関わっていない、それもデッチ上げられた嘘の事柄について反省と謝罪をやらされているのです。

ウソの南京大虐殺、朝鮮人の戦時売春婦、真珠湾攻撃の闇討ち、A級戦犯のデッチ上げ、8月15日の敗戦記念日の大騒ぎ、などなどまだまだあるがいつまで続けるのや!

やらしているのは日本人の心を失った日本のマスゴミなのです。

今年こそ、歴史の事実を掘り起こして、いい加減に自虐史観から抜け出しましょう。

一人でも多くの若い日本人に本当のことを知ってもらいたい。

日本人自身が信じていないものを世界の人々に信じてくれというのは無理なのです。

平成29年こそ本当のことが言える新しい年のスタートにして行きましょう。

そのためにも、もう一度老体に鞭打って(まだ元気ですが)ブログを書き始めます。

ナント!数え歳八十才まで生きてしまいました。

アラタメテ、「明けましておめでとうございます」今年も良い年でありますように。

 

 

 

 


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