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鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

震度6の地震に朝からビックリ!

2018年06月18日 | 日本人よ、山に還れ

今朝ヘッドホンでFM放送を聞きながら朝食をとっていました。(行儀の悪い?)

(行儀の悪い言い訳・我が家ではテレビのチャンネル権は妻にあり居間での朝食時は私の大嫌いな朝ドラや占いなどマトモに聴いていたら食欲がなくなりますのでヘッドホンでごまかしています。)

テレビに目がいかないようにしながら音楽を聞きながら晴天の山々を見ながら機嫌よく食べていたら突然ガタガタ(と言うよりドカドカ)と大きな揺れにビックリ!

間もなくテレビは切り替わり大阪北部が震源の震度6の地震のニュースばかりになりました。内陸の活断層による地震ということでホットしていたらやはり亡くなった人がおられました。

今のところ死者は3人で二人は塀の下敷きになり、一人は本箱の下敷きになって亡くなられた。どちらも人の注意で防げたことなのに残念です。

前からブロック塀の脆弱さは話題になっていたのにプールのような公共物のブロック塀がそのままになっていたことなど行政の怠慢の責任です。

もしこの地震が最近やかましく云われている南海トラフ地震のような海が震源地の震度8や震度9の巨大地震だったらどれだけの被害が出ていたことか?

津波による東日本大震災以上の被害が出ていただろうと思うと恐ろしい気がします。

私は以前から海の近くに住居は建てるべきでないと主張してきました。東日本大震災のときも海のそばに住居を移したことが原因だと思い1年後の連休明けに被災地を1週間かけて車でまわり確かめてきました。

その時のことはこのブログのカテゴリー「自然災害復興祈願」で書いてきました。そしてその対策をカテゴリー「日本人よ、山に還れ」で書き始めてきました。

最近傘寿を迎えてもう私のような年寄りがブログでガタガタ言っても仕方がないと思っていましたが最近また南海地震に対する恐怖を煽るような記事をマスゴミが書いているのを見て「違うやろ!」 

やり方が根本から間違っているのではないか?この大阪の地震で政治家や御用地震学者、マスゴミが勢いついてまた膨大な対策費の無駄遣いが議論され、実行されぬまま多数の国民が被害を被るのではないか?

気を取り直して長年考えてきたことを書いてみようと思いますので見てください。(ほとんどが年寄りの愚痴になりますがこれでカネを稼いでいるのではないので害にはならないと思います)

これまで費やしてきた膨大な地震予知対策費(地震学者という素人に出してきた研究費)は確率なんかでごまかしてきた結論「火山噴火と地震の予知は不可能」でした。

確率なんていい加減な言い訳は昔から「易者」がやってきたことです。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と。

恐怖心を煽って信者を獲得してきたカルト集団と何ら変わることがないマスゴミの記事と同じレベルです、私の考えていることも(私は神主ですが。)

 


庭にコゴミが出始める

2017年04月18日 | 日本人よ、山に還れ
山菜の中でクセの無い筆頭がこのコゴミ、草ソテツとも言います

昨日庭に出てきた山菜を書きましたが肝心のコゴミの写真を入れるのを忘れていました。
まだ五株ほどしか出ていませんがこれから続々と出てきます。
ちょうど写真のような長さになった時に指で摘んで集めます。全部摘んでしまわないように伸びたものから少しずつ採ります。
軽く湯がいてマヨネーズをかけて食べるのが好きです。ポン酢に鰹節をかけて食べても美味しいです。
全くアクがありませんから誰でも食べてくれます。
昔はこれが野菜だったのですね。山菜の中にはワラビやゼンマイ、フキノトウなどアクがあったり、アク抜きをしなければ食べられないようなものもありますがコゴミや大葉のギボシのように全くアクのないものもあります。
いま山菜と呼ばれているものは昔はみな野菜だったのですね。
いまスーパーで売っているものは野菜とは言えませんね、味も香りも同じような野菜の形をした人工物で、あれで本来の野菜としての栄養があるのでしょうか?
誰も何にも言わずに食っていることの方が不思議です。
少しでも元の野菜に近いものを今年も植えます。昨日小さな畑に農協から買った堆肥をすきこみました。
堆肥がなじんだら今年も自然薯やきゅうり、茄子、唐辛子、トマトなどを少し植えます。何本も植えると最盛期には食いきれませんので。
今日は山ウドの種と大葉のギボウシの種をポットに播きました。庭中山ウドと大葉のギボウシで埋め尽くしてやろうと思っています。
昨日の晩は春の嵐が吹きまくりましたが今朝はすっきり良い天気になりました。
日1日と春めいてきます。上黒田の百年桜も五分咲きになっているということです。
あと四、五日で満開です。見に行ってこうと想っています。

山菜が出始める

2017年04月18日 | 日本人よ、山に還れ
昨夜の大雨の後の庭に山菜が出始めました。
ワラビも初めて現れました。一握りほど摘んで木灰をかけてアク抜きをします。これから夏前までいくらでも出てきます。

大葉のギボシが出始めました。鍋物やすき焼きにはアクがなくて最高の山菜です。

野カンゾウも少し前から出ています。昨夜は酢味噌和えにしていただきました。


ムスカリの花も咲き出しました。


これからゴールデンウイークにかけて庭の山菜だけでも食いきれんくらい出てきます。
22日(次の土曜日)23日は恒例の山菜パーテーをやります。
近くの川の土手の山菜も摘んでみんなで山菜料理を作っていただきます。

首都直下型地震・東南海地震津波・富士山噴火予知は?自分の家族は自分で守る

2016年08月27日 | 日本人よ、山に還れ

「災害は忘れる前にやってくる」

確かに我が日本列島は自然災害の百貨店(古い言い方)ですね。

マスゴミであれほど騒がれた「首都圏直下型地震・東海・東南海地震津波・富士山大噴火」はどうなったのでしょう?

昔から地震学者と言われる人達の「何年以内に起こる確率は何パーセント」などという無責任な発表は気休めにもなりません。

地震学者や気象庁地震関係者の予知などもう「聴き厭きた」と言うより「聴きたく無い」という人の方が多いのでは無いでしょうか?

「阪神淡路大震災」「東日本大震災」「熊本大震災」近年の大きな被害が出た地震の予知は出ていませんでした。

地震列島と言われるわが国で何時起こるか知れない特定の場所「首都圏直下型」「南海・東南海地震」とこの巨大地震に誘発される「富士山大噴火」ばかりが議論されています。

それも根本的な「地震津波被害にあわないようにどうするか?」でなくて「被害に会ったときを前提にした」議論ばかりです。

耐震構造やデカイ防波堤の構築など、「被害者を無くす方向では無くて」「被害を煽ってどう金を使うか?』の方法ばかりを議論しているのが現状です。

政治とは「國の将来をどうするか?」が大切なのではありませんか?

1) 日本に住む限り地震は何処でも起こります。

2)埋め立て地(海のそばの低地)に住む限り津波に襲われます。

3)富士山の近くや風下に住む限り噴火の被害は受けます。

なぜこれらの危険な所から少なくとも家族の住む住居だけでも遠ざけないのか?

ナゼ国民を災害に遭わして多くの命を無くすのか?

ナゼ何兆円もの被害を出すのか?

ナゼ前もって対策をたてないのか、政治家に将来を読める人がいなくなっているのです、今の日本では。

参議院選挙や都知事選挙、リオオリンピックなど最近立て続けに報道ネタが続いたせいか?

台風が東日本に続いて災害をもたらしているので取材能力の落ちた今のマスゴミでは手が回らないのか?

どっちにしろ私には興味ある事では無いので以前に読んだ本を取り出して残暑厳しい昼間の時間つぶしに眺めています。

相楽雅俊著

副題に「運命の1983年9月X日」前年に気象庁に25年間勤務されて「気象情報株式会社」を創設された人です。

この方は地震では南海・東南海地震はこの時点(1982年)では無いと言っておれれます。終戦間際に1944年浜松を中心にマグにチュード8.

1945年1月に三河地震マグニチュード7,1で駿河湾周辺のひずみは解消されているだろうと書かれています。

しかし、予定の1983年9月X日やそれ以後今までには富士山の噴火はありません。

何故かこの方は気象が専門のはずですが著書の最後の方に「第3次世界大戦は21世紀初頭に起きる」などと予言されています。

鎌田浩毅著

副題に「ハザードマップで読み解くXデー」2007年発行です。

この本は帯にも書いてあるように「宝永噴火から300年、いま「その日」が来たら?

この本は富士山の噴火を取り上げながら火山の説明がなされていて噴火のことを良く知る事が出来ます。

この方も大地震と富士山噴火の連動と言う事を書かれています。

学者先生達は昨日までの事は調べて良く知っているが将来を予測する能力は持ち合わせていないのでは無いか?

天気予報のように台風の進路やこの先10日ぐらいの天気予報を出せるコンピユータに入力出来るようなデーターでさえも地震学ではまだ出せないのでは無いでしょうか?「毎年膨大な予算を使いながら)

そうならば我々個人で対策をたてなければ

副島隆彦著

副題「自衛自活の要塞を築け」帯には「大災害、金融恐慌、そして領土紛争(政府に頼らない独立心)を持つ者が生き延びる」

2012年10月発行 

はじめに >2011年 ・・・・・被災した人々は「避難所」に向かった。國と役所は,災害があれば必ずまとめて面倒を見ようとする。それが國、役所の仕事だからだ。災害対策という。そこには水と食料があり、寝る場所もある。だが、そこにはただの小中学校の体育館があるだけだ。あんなところに何日も居られるものではない。だから、避難所をさっさと出て行くと言う考え方が大事なのである。避難所にダラダラ長いこといたら、人間の尊厳と独立心が奪われる。まず、災害直後には公共の避難所に行って、最低限の食料と安全と情報をもらうのはいい。だが,その後は直ぐに自分で,自力で災難に立ち向かうと言う考えも大事なのである。< 著書から引用

最後に >避暑地が存在した本当の理由<と>打ち捨てられたバブルの別荘地に二つ目の家を買う< 引用終わり

この著者の主張は最もですが金が沢山必要です。若い人には無理な話ですが>引用した部分は大切な考え方だと思います<

私自身も「阪神淡路大震災」の避難所や「東北大震災」の仮設住宅を見て切実に感じました。

長くなりましたがもう少し

樋口清之著

この文庫本(650ページ)は国学院大学名誉教授で考古学の権威・樋口清之先生の著書です。

最後の解説で井沢元彦氏が

>「まさに、日本の文化がいかに諸外国に類を見ないすぐれたものであるか、様々な角度から検証し日本人に勇気と誇りを与えた名著であると言えよう」< と書かれています。

この本の中に「江戸っ子が宵越しの金を持たなかった理由」は江戸では大火が頻発すると言う事が,江戸市民にひとつの気風をつくった。

とあります。数千万円の住宅のために一生をローン返済のために働く今の日本人が悲しいですね。震災で失えば二重ローンの始まりです。

一度しか無い人生を楽しむため、自立出来る子供達を育てるためにも地震や津波や噴火の危険な低地の大都会から「山に還る」事をNPO法人 ごっこ屋本舗で提唱して行きます。

長くなりましたが。

 


今日は”山の日”って言う休日です。山の日の意義を考える。「日本人よ、山に還れ」

2016年08月11日 | 日本人よ、山に還れ

私は山岳部で登山にのめり込んでしまい就職して1年でほっぽり出して、それ以後横浜(鶴見)のIBS石井スポーツの開業の年(東京オリンピクの年)に1年丁稚奉公をさせてもらい、翌年春から京都で登山店を開業しながら20年近く前まで山登りを続けて来ました。

40年近く前に今住んでいる京都北山の山中(海抜450メートル)にカナディアンシイダーハウス(米杉のアーチハウス)を建ててもらって住んでいます。

住み始めた頃は40歳代始めでした、精々10年も住んだら又京都市内に戻るつもりでしたが「住めば都」とは良く言ったものですね。

京都市内中心部まで25キロ、車で1時間ほどかかりますが毎日通勤していました。少しも苦にはなりませんでした。

山の日の意義を考えるつもりが脱線してしまいましたが元に戻って。

国民の祝日と言う建前ですがただ単に休日を増やしたかっただけですね?

國の祝日にするにはそれ相応の意義付けがあっても良さそうなものです。

「海の日」があるからついでに「山の日」もつくってしまえってなもんだったのでしょう。

山の日が出来たついでに私は「日本人よ、山に還れ」と言う日にしたらどうか?と思います。

ナゼ、「山に還るのか?」私の持論を聞いて下さい。

日本の國は海に囲まれていますが昔から多くの人達は海洋民族では無くて「山の民」だったのです。

大昔からの経験で津波の被害を受ける海岸地帯の低い所に集落はつくらなかったのです。

今大都市はすべて海を埋め立てた所に住居を作って集中しています。便利なと言う理由だけで。

江戸時代以前、太田道灌の歌にありましたね。(60年ほど前の高校3年生の時のバスガイドから聞いた歌ですから正確では無いかも知れません)

「我が庵は 松原つづき 磯つづき 富士の高嶺を 軒ばにぞ見る」

東京も太田道灌の居城(皇居・江戸城の元)の前まで海だったのです。

モチロン、今東南海地震津波で数万の死者や行方不明者が想定されている地区はほとんどが埋め立て地です。

すべての埋め立て地は津波の被害を免れません。

津波は防波堤をつくっても被害は出ます。地震と津波では人命は助かっても一生支払いにかかる住宅ローンは払い続けねばなりません。

江戸時代以前の地形を見て下さい。今住んでいる地域が海だったか?

今都会に住んでいる人の多くは山から出て来た人達が多いはずです。

山に住んで40年近く、なぜ「山に還るのか?」長くなるので(NPO 法人 ごっこ屋本舗)の主張を次回以後に書いてゆきます。

「日本人は山の民」とは?

古事記の神話の部分「山幸彦 海幸彦」の所を読んで下さい。天皇陛下は山幸彦の子孫なのです。

と言う事を考えながら京都市内では37度とか? 息をするのも暑いですがここ北山山中では家の中では勿論クーラーもありません。

扇風機はありますが外で汗をかいた後に回すぐらいで朝晩は20度以下で寝苦しい夜は味わった事はありません。

「山の日」という中途半端な祝日の意義を考えるつもりがいい加減な出だしになりましたが「30年以内に必ず来ると言う東南海地震と津波」や「関東直下型大地震」から逃げ出すだけが「日本人よ、山に還れ」では無いのです。

「山に還る」理由は沢山あります。