平成20年10月30日午前8時から岡崎グランドで私の草野球人生の最後のマウンドを踏みました。
MGリーグの公式戦はもう終わっていたのですが7位、8位の順位決定戦が有りました。
対戦相手いはロクヨー(河原町三条下がるの六曜社を中心のチーム)です。三番ピッチャーで先発しました、二回ほど投げて変わる予定が好調で四回まで投げて一安打無失点でベンチに下がりました。
このあと一九歳の次期エース石田ジュニアが力投しましたがお互い点が取れず、延長九回裏監督みずからの内野安打でサヨナラ勝ちしました。
勝利投手にはなれませんでしたが人生の最終戦を負けずに終わることが出来てホッとしています。
思い起こせば昭和二一年(敗戦の次の年)小学二年生の時から野球を始めました。帆布製のグローブに手作りのボールでした。バットは何を使ったかは覚えていません。しばらく布製のグローブでやっていました。
その頃我が家の借家に平安高校野球部の部長をやっておられた空本先生がお住まいになっておられた関係で革製のグローブを分けてもらうことが出来ました。もちろん仲間内では私だけが革製のグローブを持つことが出来て野球にのめりこんでいました。
子供用のユニフォームもまだ市販されていませんでしたが母に作ってもらって着ていました。
中学校に入って憧れの野球部に入り、先は甲子園からプロ野球にと夢は膨らんでいましたが一年生の秋に理不尽な上級生を殴って退部さされてしまいました。
それ以来昨日まで野球を始めて六十一年間、中には少しブランクもありましたが七十歳になるまで草野球を楽しめたのは最高の幸せでした
それも最近は二つのリーグのチームに入れてもらい、春から秋まで毎週二~三試合出場できて満足以上の気持ちです。
昨日も試合前に「これで最後の野球だから」とみんなに言ったのですが、誰も本気にしてくれず「十年前から毎年聞いてる」と無視されました
特に最近はやはり齢には勝てず、試合の後二~三日は疲れが残り、体力より視力の衰えが気になりだしました、その上反射神経の鈍さも隠せません。
たとえばピッチャーライナーなども確実にグローブが出ているのに、ボールは通過してしまっています。
打撃ではボールは見えているのにタイミングが遅れて凡フライやボテボテのゴロになってしまいます。
時たま会心の当たりがあるのですが外野手の頭上で失速してしまい平凡なフライになってアウト。
足の衰えも目を覆うばかり、ライト前では確実にアウト、たまにセンター前でもアウトになる足の遅さには悲しくなってしまいます。
もうそろそろ引退して次のものに来月から七十の手習いにチャレンジします。
最後にMGリーグとダンディーリーグのチームメートのみなさん、そして対戦相手のみなさん長らく楽しませていただいてありがとうございました。
皆さんも一日でも長く草野球を楽しんでください。
私も最後まで真剣に戦えたことが一番の満足感でした。
写真は岡崎グランドの思い出のマウンドを写しました。