京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

NPO法人希少難病患者支援事務局・発足式

2009年01月31日 | その他

雨の降る松ヶ崎(京都盆地の北の端・宝ヶ池の近く・比叡山の麓)のアピカルイン京都でNPO法人希少難病患者支援事務局(SORD・ソルド)の発足式が前民主党代表前原議員の奥様や私の草野球仲間田中けんじ府会議員など60名あまりの支援者、協力者を集めて開催されました。

このNPO法人は小泉二郎君が代表理事になり、前・遠位型ミオパティー患者会代表の中岡亜希さんが患者代表として理事になり、小泉君の経営するフリースクールで教える加賀君たち若者が理事になって活動することになりました。

遠位型ミオパティー難病指定署名活動を昨年春から8ヶ月に渡って支援してきた小泉君たちが遠位型ミオパティー認定依頼のための署名が昨年暮れの集計で目標の60万筆をはるかにオーバーする100万筆あまりが集まり第一段階の目標を突破することができました。

しかし、署名が集まっただけではこの難病問題が解決し、患者の皆さん方に治療薬が行き渡るわけではありません。

この署名の成果を見て国がこの病を難病指定し、治療薬開発のための研究開発に予算をつけてもらい、研究者が開発に努力し、開発された薬を実際に患者に試して副作用その他がないかを検討してはじめて治療薬を患者に使えるという気の遠くなるような困難な道のりがあります。

その上、この患者は日本にはまだ100人あまりしか見つかっていません。そのため製薬会社が採算を考えたら巨額の投資をできる状態ではありません。

そして治療薬も治療方法もない希少難病といわれるものはまだまだあるのです。

それらをひっくるめて希少難病患者支援のためのNPO(特定非営利活動法人)希少難病患者支援事務局(ソルド)を立ち上げた小泉君(39歳が最年長)たち若い力がこの無謀とも思われる組織を作ったチャレンジ精神は無気力な今の日本人にとって一番必要なものであると思います。

この気力ある組織の輪が広がり閉塞感が充満している今の日本の若者を始め全国民が目覚めるきっかけになればこの運動の成果は計り知れないものとなります。

詳しい内容は近いうちにソルドのホームページができますのでそちらを見ていただければと思います。

遠大な計画です、今の世間の感覚では「本当に出来るのかよ!」と言うのが常識でしょうね。しかし、これからの日本はこんな計画が実行され、成功されなくてはなりません。

今の無気力な大人には無理でもこれからの若者は実行してくれるでしょう。日本人の血が流れていますから。

久しぶりに大きな計画に血が騒ぎました。古希のこの老トルでも。

今日は市内の母のところで泊まるので写真は載せることが出来ません。まだ先日買ったばかりのミニノートパソコンでの写真の取り込みが出来ませんので。次には必ず写真も載せられるようにしたいと思います。

2月1日に写真を入れました。

2月1日午後5時50分からのMBSテレビのニュースに発足式の様子が流されました。

 

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イタチが檻に入る

2009年01月30日 | 狩猟

朝犬の散歩で出かけてすぐに我が家の前にある近所の農家のモミスリ小屋の軒にハナ(我が家の猟犬・ビーグルとテリアの合いの子)が走り寄って吠え掛かるので見に行くとハクビシンやアライグマ用の小さな檻に写真のイタチが入っていました。

2匹の犬が吠え掛かるたびに「キー」というような声を出して檻の中から反撃していました。早速犬の散歩から帰って小屋の持ち主に連絡して現場に来てもらいました。

イタチは冬毛でフサフサとして美しく、顔も可愛げで人に害を与えたわけでもないので逃がしてやりたくなったので、「このイタチはメスだから捕獲できないのですよ」と言って写真を撮って放してやりました。

メスかオスか?確かめたわけではありませんが、人間と違って動物のメスは可愛いと決め付けていますから。オスイタチは狩猟獣ですがメスは禁猟です。

昔はイタチにも毛皮としての価値はあったのですが、今や毛皮は動物虐待の象徴のように思われていますから。

鶏を飼っている人には害獣ですがこの集落では鶏も飼っていまっせんので、イタチは野鼠を食ってくれる益獣でもあります。

イタチも近くで見ると可愛いですね、ペットとして飼えば楽しいかもしれませんが、ペットショップで売っているペレットとか言うイタチモドキよりも可愛いのは確かです。

しかし、野生のものはペットとして飼うべきではありませんね。

 訂正します。2月1日

文中ペレット(西洋毛長イタチ)と書きましたがフェレットの間違いでした

 

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ミニノートパソコンを買っちゃた!

2009年01月29日 | 喜寿からのチャレンジ

わたしは最近でこそ年のせいで余りウロチョロしなくなりましたが、デモナイカ!

同じところに腰を据えるのが嫌いで、あっちにウロウロ、こんちにウロウロ。家の中でもいつも居場所が変わらないと落ち着かない性分です。

寝るときも何時も同じ方向では寝つきが悪くなり、枕の方向を変えて落ち着きます。他人は寝床が変わると寝れないと言いますが、私は変わらないと寝つきが悪いのです。生まれつきの天の邪鬼とあきらめています。

話が違う方向に飛びましたが、何しろ居場所が頻繁に変わるのでメールを書いたり、ブログを書いたり、インターネットを見たりするのに普通のノートパソコンより小さなミニノートが欲しかったのですがこれまで小さな方が高価であったりして、わたしの懐具合では簡単に買えませんでしたが今や機能を限定すれば小さくて安いものが手に入りやすくなりました。

先日思はぬお金が入りましたので(これまでは臨時収入は必ず無駄使いで終わっていましたから)4カ月も先ですが妻の誕生日プレゼントにニンテンドウDSiをアマゾンで買ってやったついでに私もミニノートを注文しました。昨日夕方に到着してから一生懸命にインターネットに繋げて見ることはできたのですが、メールが送れなくてモタモタシテいます。

いつも新しく買ったパソコンが使えるようになるのは半年も先のことになりますが、今回は大した機能が付いてないので早いとは思いますが。

こんな文明の利器は古希の老人にはなかなか使いこなせないものです。パソコンだけでなく携帯電話も機能が山盛り付いていてかえって使いずらいものです。

アマチュア無線もハンディー機でさえ、ものすごく複雑な仕事をこなせるようなものがあり、上等なものは使いづらいという矛盾がありました。

鹿やイノシシを追うのに盗聴器発見機能まで付いたハンディー機は必要無かろうと思うのですが、フィールドでちょっと触っただけで何のこっちゃ分からんようになって戸惑うことがよくありました。

今は出来るだけ機能の少ないものが見直されています。

パソコンも携帯も機能限定の機種を出して高齢者や機械音痴にも利用できるようにしてもらいたいものです。1台で何もかもやるのでなくて。

技術が進み過ぎて人間に優しくない社会になってきているのではないでしょうか?特に日本の国は。

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カラオケ嫌いは笛のリズムが判らない

2009年01月29日 | 喜寿からのチャレンジ

昨年暮れから篠笛にチャレンジしています、童謡を吹きながらの練習ですがもともと子供のころから音痴で、その上「カラオケ、マージャン、ゴルフ、パチンコ」が大嫌いと公言してきました。

そのおかげで篠笛の楽譜を見ただけではリズムがとれません。

「どんぐりころころ」のうたを吹こうとしても、篠笛の楽譜には「五三三四三二一 五五三三二・」で音の高さだけはわかるのですがリズムが分からず四苦八苦しています。

その上指使いが曲の速さについて行けず。野球の突き指で骨折したままの右の小指がヒキツッテしまい一部でやたら音が伸びきってしまいます。

音痴でリズムのわからない、楽譜の読めない私にも救いの手はあるのです。写真の篠笛 楽譜集にはカラオケCDが付いているのです。

カラオケ大嫌いな私がこんな年でカラオケCDのお世話になるとは?

楽譜集に載っている歌の伴奏だけがかかるので、それを聞いて、そのリズムに合わせて吹けば何とかそれらしい歌にはなります。

今日も朝から日吉町の生涯学習センターで練習会がありましたがみなさんにはついていけません。何とか来年の演奏会には追い付きたいと思いますが皆さんも先に進まれるので追いつけそうにはありませんが

年齢だけは勝っているのですが、自慢になりませんね?

来年の演奏会に出ることを夢見て篠笛をがんばる今日この頃です。

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遠位型ミオパチー難病指定誓願署名100万筆超える

2009年01月25日 | 社会問題

先ほど届いたメールに遠位型ミオパチー難病指定請願署名が年末集計で1,005,641筆に達していることが判明しました。

本当に関係者のみなさんはじめ署名しした人たちにとっても予定以上の成果で良かったと思います。

しかし、この前にも書きましたようにこれからが本番です。多くの仕事が新たに始まります。

関係者のみなさんに協力して頑張っていきたいと思います。

署名していただいた皆さんも最終目的が叶い、患者のみなさんに笑顔が戻るまで頑張りましょう。

詳しくは遠位型ミオパチー患者会のホームページからブログに入り、見てください。1月25日のブログに出ています。

以上で遠位型ミオパチーに関する件は終わります。

 

今日25日は千里の天神さんに神主として手伝いに行きました。一昨日の高熱(私にとっては)の後とは思えず好調だったのですが、昨日は何もせずにうつらうつらしていましたので夜の寝つきが悪く、一時間ごとに目を覚まし、同じ悪夢を3度も続けて見てしまいました。

それに天気予報ではこの冬一番の寒さだと言うので亀岡や箕面の山越えで無く京都経由の名神で出かけました。

9時から3時前まで神主として努めました。今日は厄年のお払いやお宮参り、自動車のお祓い、家内安全などの祈祷がたくさんありました。

神主の装束(白衣や狩衣、袴)は結構寒いもので参詣者はストーブにアッタていますが神主は何も暖房はありません。

ただ祝詞の声を大きくして少しでも温まろうとしましたが、まだまだ神主としての修行が足りませんね!

午後からは喉が痛くなってしまいました。病み上がりの所為かも知れませんが。

神主としては充実しすぎた一日でした。

家に帰ったらマキストーブと妻が悪戦苦闘の最中でした、煙突が詰まったのか家中煙だらけでした。

服も何にもかも燻製になっています我が家の部屋にあるものは。

年寄りの加齢臭も煙の臭いには勝てないだろうと、威張っても自慢にはならないか?

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古希になって身体の衰えを知る

2009年01月24日 | 健康

22日に友達の見舞いに行ってショックだったのか23日の朝目覚めたころから体がだるく、犬の散歩もしんどかったので体温を測ったら38度を超えていました。

いつものように朝飯だけはシッカリ食ったのですが熱が下りそうではないのでもう一度寝ました。

お昼に起きて体温を測り直すと38度9分に上がっていました。その内直ぐに39度1分になりました。

市内に出かけている妻に電話するとそっけなく「近くの病院に行けば」と言うので「クッソ!電話するんでは無かった」と後悔しながら知り合いの市内のお医者さんに電話してすぐに出かけました。

近くの病院と言っても30分ぐらいかかりますし、市内まで1時間ほどですがやはり信頼できる知り合いの病院の方が安心できるからと思ったからです。熱があっても別段運転には影響が無かったようでした。

診察時間外でしたがすぐに看護婦さんや先生に検査や診察してもらいましたがインフルエンザでもなかったようです。(インフルエンザの予防注射は受けていました)

鹿の生肉やボタン鍋など獣肉が原因の肝炎かも知れないと採血して検査をしてもらいました。

採血から2時間ほど後に先生からの電話で「血液検査も普通できれいなもんです」と言う電話がありました。

抗生物質と解熱剤をもらって帰りましたが以前に解熱剤を飲んだところ体温が下がりすぎて、先生に子供のように半分に割って飲めと言われたことがありました。(日ごろ薬を飲んだことが無いので効きすぎたのでしょう)

昨夜の「新しい歴史教科書をつくる会」京都支部の新年会も欠席(新年会の会場はわたしの親戚の料理屋でした)

又今日24日の箕面市での子供のイベント会場でのポン菓子も前日にキャンセルしてもらいました。せっかく楽しみにしてくれていた子供たちには申し訳ないが温かくなったら実行させてもらいますと断りました。

今朝には解熱剤の効果もあったのか熱も平熱に近く下がって気分もさわやかですが、昨日は夕方から寝たっくっていたせいか起き上がると腰が痛くってたまりませんでした。

最近左ひざも痛くなりだしたので来週にはもう一度病院に行って検査を受ける予定です。

22日に友達の見舞いに行ったことを書いたブログに「病院に見舞いに行くのが大嫌いだ」と書いた天罰か?これまでも、昔に母が入院した時に「たまには入院でもしてのんびりしたいものだ」と言ったとたんにひどいジンマシンで入院したことがあります。(しかし、一晩泊まっただけで余りの飯の不味さにに逃げ出しましたが。このときは今の病院では無い他の病院です、念のため)

今日も一日中寒くて雪がちらついていますが元気な時は冬景色も良いのですが体調が悪くメゲテいる時の寒空はわびしいものですね。

しかし、古希を迎えるまで何の病も抱えず過ごせただけでも感謝せねばなりません。

あと何年生きることが出来るか判りませんが神道では前世も来世もありません、今生が総てです。

神の御霊をもらってこの世に生を受け、生を終わればまた神のミタマに戻る。とは何と潔い生命観なのでしょう、だからこの世で努力し、精一杯楽しむ、これこそわが日本民族の誇りとすべきものと思います。(アメリカインデアンの神話の中にも今生限りと言う話だけならありますが)

この誇りを失わず人生をまっとう出来れば幸せなのですが。

有名な誰かのように「まだ、死にとうない」と言うのが本性なのでしょうか?

出来れば良い最後を迎えて、のちは神となって子孫を日本の国を守りたいものです。靖国の神々のように。

本当の人の評価は死んだ後ですね。(日頃の素行からろくな評価の無いのはわたしは覚悟していますが)

追伸

カテゴリーの中に「健康」を追加しました・

 

 

 

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ガンの同窓生を見舞う

2009年01月22日 | 健康

一週間ほど前に私の留守中に同窓生の女性から友達のKがガンで桂病院に入院しているのを見舞ってきたとの電話があった。

Kは幼稚園、小学校と同窓で卒業後も毎年のようにお正月には恩師の家や料理屋で会っていた。

K家はお父さんの代からボイラー屋で長男である彼は社長を継いで最近では弟に社長業を譲り、時々得意先のメンテナンスなどを手伝いながら奥さんと毎年外国旅行を楽しんでいました。

一昨年の秋に京都北山山中の我が家で同窓生数名が集まって夢想庵で食事をしたりして楽しいひと時を送ったのが最後に会った思い出です。

そう言えば、昨年は同窓生のお母さんが亡くなったり、先生の病状がよくなかったりしたせいか同窓会は無かった。

今年こそ春には我が家で山菜パーテイを開こうと思っていました。

今日、病院に見舞って、彼が昨年の3月に食道のガンで手術を受けたり、その後脳梗塞で入院したりして、今ガンが腹部に転移していることで先が無いと悟り親しかった友達に会いたがっていたとのことでした。

わたしの我がままなのですが、病院に見舞いに行くのが大嫌いなのです。だから、連絡を受けて一週間もズルズルと遅れてしまいました。

私が一番最後になってしまい申し訳ない気持ちですが会って楽しそうに出難い声をふりしぼって盛んに話してくれました。

本人はもういつ終わりになるか判っているのですが私はこんな場合何を話して良いか悩むところです。

いつものように振舞うことが一番だと思いながら、「古希まで好きなことをしてきたのでもう思い残すことはないだろう。」と言ったら「まだ孫の顔を見ていないのが残念だ」と言っていました。

昨日は痛さが増して苦しかったが今日はマシだと言っていましたが鎮痛剤のせいで痛くないだけで切れればまた痛み出すと思います。

終りになるまで出来るだけ見舞いに行きたいと思いますが痛みが出ている時に行くのが良いか悪いか?

痛たがっていても見舞いに行って、少しでも子供時代の思い出に気がまぎらうようなら毎日でも行ってやりたいと思います。

写真は一昨年秋に我が家の夢想庵に彼が来たときに撮った茶釜の写真です。本人の写真もあるのですが載せるに忍びない。

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同じ檻に三匹の鹿が入る

2009年01月21日 | 狩猟

二十日のお昼に3人が集まったので昨日から入っている檻に向かいました。同じ檻に複数で入ったことはこれまでには経験していません。

まして小さいほうの檻に3匹もいっぺんに入るなど想像もしていませんでした。

以前にイノシシのウリボウ(まだ縞模様のある小さなもの)が入ったと言うことは知っていましたが。

2歳ぐらいの2匹と少し大きいのが1匹でした。背の高いススキに囲まれて見通しが効きにくい場所で離れて撃たなければならず撃ちづらくて3匹を倒すのに何発も撃って信用を失ったようです。この前は一発で仕留めましたから。

4人で解体しましたが3匹には結構時間を費やしました。

終わって上の丸太小屋の囲炉裏のそばで鹿の新しい料理方法の講釈を小川君から聞き、今度は燻製に挑戦しようとか、粘土をこねて焼き物に挑戦しようなど話は尽きず、日が暮れてしまいました。

写真の足跡は自宅から100メートルほどの裏山に残っていた大きなイノシシの足跡です。デジカメのケースは長さが10センチほどです。

猟期終了まであと1か月足らずですが犬を掛けて追い出せないだろうか?大きすぎて犬がビビッテしまうかもしれませんが。(人間も?)

 

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鹿3匹同じ檻に入る

2009年01月21日 | 信仰(宗教)

19日午前中に細野の春日神社の地区にある関西電力京北開閉所の改良工事安全祈願祭を執り行いました。

京北開閉所は日本海側の原発から送られてくる電気を大阪方面への中継所で山の上を切り開いたところに鉄塔や変電機(?)のようなものが林立しています。

これらを改築するための安全祈願祭を地元の神社と言うことで私が引き受けることになりました。

昨日までの荒れた天気とは打って変わって冬の北山にしては穏やかな日になりました。

雪かきはしてありますがところどころに雪が残った敷地(200メートル四方?)にテントを張って周囲を囲まれて石油ストーブが焚かれ暖かくされていました。

式は進み、清祓いで敷地の四隅をお払いする段になってまいりました。浅沓を履いて雪が残る敷地内を一遍200メートルあまりある四隅を歩くのは初めてでした。

大概の地鎮祭の敷地は大邸宅でも知れています(大邸宅の地鎮祭はやったことがありませんが)

なんとか無事やり終えていったん自宅に帰り、車を乗り換えて午後からある北桑田神職会に出るために周山の駐車場に向かいました。

行きがけに檻を見に行ったら萱場に置いた小型の檻の入口が落ちているので近寄って確かめたら鹿が3匹も同じ檻に入ってオシクラマンジュウではないが押し合いへし合いしていました。

早速、いつもの3人の猟友に電話してあすお昼に召集をかけました。

本当は今日のうちに解体しておきたかったのですが、午前中神事があり午後は神主の集まりですから、もっての外です。

美山の「まるや」という料理やで会合がありそのあとボタン鍋で宴会がありました。肉はたっぷりあったのですが大晦日に獲って新年会で食べたイノシシに比べて脂がクドイように感じてあまり食べられませんでした。

写真には2匹しか見えませんが後の1匹は扉の影になってい見えません。2歳ぐらいのシカと思います。

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遠位型ミオパチー署名・目標突破

2009年01月18日 | 社会問題

昨年からみなさんに呼びかけていました遠位型ミオパチー難病指定のための署名活動は昨年末までに初期目標の六十万筆を突破して残る署名を合わせれば九十万筆に達する勢いであると遠位型ミオパチー患者会のメルマガで報告されました。

今週末の集計が終わればすぐに発表とのことです。

たくさんの人たちの努力が実を結んだ結果ですが、これで終わりではありません、これからが大切です。まだ認定されたわけではありません。

難病指定のための署名運動だったのですから。認定をしてもらうように働きかけるための署名です。

その上認定されただけでは治りません、これから薬の開発、完成、治療があって初めて効果が出るのです。

患者のみなさんにはこれまでに増して苦労の毎日が始まります。

患者会のみなさんをこれまでにも増して後押ししてあげてください。

だけど、とりあえず最初の一歩は踏み出すことが出来たのです。

おめでとう、これからもこれまで以上に頑張っていきましょう。

 

 

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