鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

日本の心は神道にある・あらためて神道の根本を学びましょう・(独断と偏見の私の神道論)②

2021年06月29日 | 信仰(宗教)

前回の①の続きでお読みください。

相手を認める気持ち

神道は、八百万の神(ヤオヨロズノカミ)をお祭りしています。お釈迦様はインドの神の一柱であり、

イエス・キリストは中近東の神さまの一柱として受け入れてきました。

相手の信ずる神さまを絶対に受け入れないという一神教の考えはありません。

相手の信ずる神さまの良いところを取り入れる大らかな民族、お互いの信ずる神さまが違っても攻撃すること無く受けいれ、

仲良く暮らしてきたのが日本人です。

 近年殺伐とした事件が多発するのは自分だけが絶対に正しく、相手は間違っているという偏狭な思想や宗教やはびこって来たからです。

神さまを信ずる人の日頃の心構へは

明浄正直(メイジョウセイチョク)

明るくあれ 清らかであれ

正直であれ 素直であれ

この四文字を心がける事が神道の根源です。

人に好かれる要素であり、神のご加護を受けられる資格でもあります。

神社と神棚とお守り

神社は公衆電話です。多くの人がお詣りする事で神さまに通じやすくなっています。

神棚はホームテレホンです。家族の願いが通じるところです。

お守りは携帯電話(スマホ)です、一人一人が神さまに通じているのです。

神さまのご加護を願って

心だに誠の道に叶いなば

祈らずとても神や守らん

(正直な人間はあれこれ祈らなくても神さまの守りを受けられる)

敬虔に生きるものに、特別な宗教の教えはいらない。

>日本人は 良心を持った人たちが神さまを祭れば 必ず良いことが起こると信じてきました。<誰かの書かれた好きな言葉。

①②合わせて私の名刺に添えてお渡ししている私の神道観です。①からが順番です。

追信

ご感想などコメント欄にいただけたら有り難いです。次回は私の生死観についてよく似たインデアンの言い伝えを紹介します。

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日本の心は神道にある・あらためて、神道の根本を学びましょう・(独断と偏見の私の神道論)①

2021年06月27日 | 信仰(宗教)

私は日頃から「神道は宗教では無い」と思っています。神道には宗教の必須条件である、三つの条件が有りません。

一、創始者 二、教典 三、決まった信者 だから神道は宗教ではありません。では何か? 

信仰です「信仰」とは?「神または仏の存在を信じ、心身を打ち込んでこれをあがめ尊ぶこと」(広辞林より)です。

他の宗教のように教典に従って説明出来ませんので問われれば感ずるままに神主自身が説明しなければなりません。

説明するのは面倒なので私は自分の思う神道についてA4版一枚に書いて名刺に付けて読んでもらっています。二回に分けて書きます。

神道(シントウと澄んで読む)とは

日の本に生まれ出でにし益人は 神より出でて神に入るなり

この歌の意味は「日本の国に生まれてきた人は、神に御霊(ミタマ)をもらって生まれ、亡くなればまた神の御霊に戻って行く」

 子供たちはすべて、穢のない清らかな神の子として生まれてきます。だから子供たちは誰からも愛されて守り育てられるのです。

 そして日本人は一生を終えると、魂は神となって子孫を守ってくださいます。神道では、今のこの世、現世がすべてなのです。

 現世を大切に、悔いのないように生き抜く事が一番大切とします。

神道の基本は「敬神崇祖」(ケイシンスウソ)

 神を敬い先祖をあがめる(尊いものとして扱う)ことです。神道では人は亡くなれば神さまになります。

近い先祖を仏として祭り 遠い先祖を神として祀る と日本では言われてきました。

神さまが見ておられるよ

日本人はみな神の子として生まれてきます、なぜなら、亡くなったご先祖を神として祀る子孫だからです。

いつも神さまから守られているのです。だから我々子孫も神さまの目を意識して行動しなければなりません。

誰も見ていないところでも、悪いことをしてはいけないと戒めているのです。「神様が見ておられるよ」と。

先祖のタタリなどありません。  

神道では亡くなったら神さまになり、子孫たちを見守ってくださいます。あなたの両親やお爺ちゃん、おばあちゃんは、

あなた達かわいい子孫に祟りや呪いがふりかかるようなことは絶対に望みませんよね。

まして、もっと先祖の神さまたちが子孫に祟るなどありえません。<続きは次回のカテゴリー・神主(信仰)に。

追信

感想などをコメント欄にお書きくだされば有り難いです。

 

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何処まで続くか?コロナ騒ぎ。何も判らないこの不思議な現象

2021年06月19日 | 不合理なもの

昨年始めクルーズ船における武漢肺炎(新型コロナウイルス)の集団発生騒ぎ以来1年半も過ぎているのに発生経路もウヤムヤのまま、伝染経路も初めの内は熱心だったが今や集団発生の元も特定できず、今はただやたらと飲酒店に責任を負わせているようにしか思えない。

3密を避けて、マスクを着用、アルコール消毒と言いながら決定的な防御策とは言わなくなってきている。今やワクチン接種が切り札になってきたがこの効果も決定的ではないと言い、国民はマスゴミからのニュースに右往左往しながらワクチン接種にしがみつく派とワクチンを信じない派、どうでも良い派に分かれているのではないか?

このコロナ騒ぎ以来、国民は何を信じてこの自粛という国の対策に耐えなければならないのか?私が疑問に思う事柄(不合理と思うもの)を書き並べてみたいと思います。

いつもの様に私の独断と偏見ですから信じてもらわなくても結構ですしムキになって反論してもらわなくても結構です。(私の記録として残しておきます)

まず最初に、通常発生地の名前で呼ばれていた武漢肺炎(新型コロナウイルス)が中国の圧力で使われなくなった。ウイルスは時間が経つに従って変異していくのは当たり前で今のコロナワクチンのように昨年のウイルス対応のものがイギリス型、とかインド型とかに変異したものには効かないのが通説ではなかったのか?

医療業界ではインド型やイギリス型にも効くというと言う疑問。そのうえイギリス型やインド型は従来型より感染力が1,5倍とか1,75倍とか感染力は増しているという。

コロナウイルスの真の姿形がウヤムヤで最近の映像は初期の映像よりボケてきているのではないか?これだけ顕微鏡の性能が上がってきているのに。

通常では病気とは発症しなければ病気とは言わなかったのに武漢肺炎に関しては初めからPCR検査で陽性ならば(ウイルスの欠片があれば)新型コロナ患者とカウントされているのはなぜか?

風邪などは(インフルエンザも)熱が出て本人が風邪を引いたと自覚できなければ無症状の者は風邪とは言わないでしょう。それが無症状の保菌者でも患者としてカウントされるのは新型コロナが初めてではないでしょうか?不思議ですね。

思い起こせば前例が有りました、「癌検診の早期発見早期治療」も今思えば医療業界のこの手の悪巧みではなかったか?

こういう目で見れば近年医療業界の国民の不安を煽って金儲けをする。武漢肺炎騒ぎで不安を高めてコロナワクチンを全人類に定期的に接種する。

しかし、一攫千金を狙ったつもりが計画した通りに行かなかった。もう一つ頭が良くなかった?

医者や看護師も金儲けにはついてくると思ったのに良心が残っている医者が少しはいて接種に積極的な医者や看護師が思ったより少なかった?

それともワクチン効果に疑問を持った年寄りが多かったか? または老い先短い自分よりも若い者に順番を譲りたいという思いやりのある年寄りが多かったのか?

私のように「人の命は病気や事故で決まるのではなくて、神様が決めてくれた寿命が終るまで生きているのだ」と思うやつもいるのです。(私の偏見ですが)

接種が進む速度を挽回するために会社単位や組織単位の接種が始ました。否応なしにやらせることが出来る自衛隊の医療部隊を使った接種も初めてきました。

もっと不思議なのは、ワクチン接種と言うのは真っさらな身体に病原体を接種して人工的に病気にしてしまうのですよね。接種した人は発病しないまでもコロナウイルスを身体の内に持っている保菌者には変わりはありませんよね。発病しないウイルス保菌者も接種していない人と交わればコロナウイルスを感染させる可能性は十分あるのです。

行政から来ているワクチン接種のお知らせの中に「接種は強制ではありません」という一文があります。(本人の自己責任で、という行政の逃げ口上ですが)

しかし、一方では「新型コロナワクチン接種証明証」(ワクチンパスポート)なるものがいよいよ発行されます。これがなければ外国にも行けない。

新幹線にも乗れない。レストランやホテルにも入れない。タクシーにも乗れない、そんな時代になってくるのは目に見えていますね。

接種した人たちは当座は安心して過ごせますが接種していない人は保菌者の摂取した人との接触にも気を付けなければなりません。

接種した人はワクチン接種の副作用が5年先に出るか、10年先に出るか?心配な日々を送らなければなりません。検証ができていないワクチンですから。

接種するも、接種しないも、難しい選択には違いありませんね。この責任は行政と医療業界にあるのは確かです。世界中に国民ファーストの政権が本当に必要ですね。

今は国民各自が自分の健康を守ることが大切です。免疫力を高めてコロナウイルスに勝つ環境を作ることです。

ただ、ワクチン接種を唯一無二の解決策と決めつけないで良心的な病院と医師と看護師が治療薬を使った治療を良心的な製薬会社と協力するしか方法はないと思います。

きっと、日本の医療機関と製薬会社はやってくれると期待しています。昔から医は仁術と言われてきました。金を追う人ばかりではないと私は信じたい。

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民主主義政治の目的は自国民を幸せにすることではなかったのか?(今さらこんなことを言ったら笑われる?)

2021年06月17日 | 不合理なもの

戦前に生を受けて今だに生き永らえている私にとって幼かったが戦争を経験し、敗戦を経験し、戦後の混乱と言われる時期を経験し、復興も、バブルも、崩壊もそして、今の世の中も、少々はボケましたがSNSを通じて世界のニュースも国の政治も世の中の流れも、仕事に忙しい人たちよりも少しは多く見てきたと思っています。

終期高齢者の私が発言しても説得力はありませんが特に最近の世の中の流れは「不合理」なことが多いように感じます。このブログを見てくださる人には「年寄りに言われんでも分かっているワイ」と言われそうですがコロナ騒ぎの中、京都北山山中に仙人のような生活をしていて生の声は聞こえませんがテレビのワイドニュースのような素人(お笑い芸人や三流学者、現場を知らない医学者)集団がシナリオに従って喋らされている番組も朝夕の食事中に妻に付き合って見せてもらっています。(食欲は減退しますが。しない?)

マスゴミによる洗脳は凄いですね!昔は新聞が中心でインテリ層と言われた人たちが中心にまず洗脳されましたが今はテレビしか見ない老齢層がしっかり洗脳されていますね。

同じニュースをどのマスゴミも同じ時間に流すということは異常ですね。マスゴミは商売ですからスポンサーの言いなりとよく言われていましたがそうではないですね。

マスゴミの現場が在日に乗っ取られているという説もありますが現場だけの判断ではここまで足並みをそろえることは難しいでしょうね。

マスゴミがこんなに好き放題に偽情報を堂々と流せるのは何と言っても政治の不甲斐なさに有ります。日本は昔から世界一の民主主義国家だったのです。

聖徳太子の17条憲法や五箇条の御誓文を見るにつけ日本の為政者は国民(くにたみ)第一が根本だったのです。(もう一度じっくりこの二つを読んでみてください)

日本国民は今も日本は民主主義国家と信じています。国民が選挙で選んだ議員が多数の国民の意に沿った政策を実行してくれると信じていました。

大東亜戦争(第二次世界大戦)の敗北からアメリカを中心にした連合国が戦前の軍部独裁国家から民主主義国家に変えてくれたと思ってきました。

ところが大違いで占領期間を中心に公職追放令で公職についていた国家や行政運営の役人たちをすべて追放してしまい、反日左翼民などに中心に変えてしまいました。

戦後愛国心を持った政治家は何人も出てきました。しかし、ことごとく潰されてきました。在らぬスキャンダルをでっち上げられたり、命まで狙われてきました。

連合国に逆らうような事は一切許すこと無く統治してきました。日本の国がそれ以来元に帰ることが少しでも起きるようでしたら徹底的に潰してきたのです。

学校の歴史で学ばせない敗戦前後の日本の本当の歴史の真実を日本国民に伝えるべきときと思うのですが今の日本の政治家にはその気はないようです。

ローマの時代から多くの国民は民主主義国家を目指してきました。本当の民主主義を勝ち取った国家はありません。民主主義は最後に行き着くところは腐敗国家なのです。

腐敗国家の行き着く先は独裁国家です。今世界はグローバル化と言う言葉で共産主義国家(独裁国家)に近づいているのです。

政治に期待してもだめなことは憲法改正一つできない、外国に拉致された国民をいまだに救えない。このままでは世界は一握りの独裁集団と奴隷の世界になってしまいます。

本当の人類の敵は誰なのか?このまま死ぬのは無責任と思っています。世界に向かって先頭に立てるのは日本だけだと本気で思っています。

 

 

 

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長らく(5月4日から)ブログを書くのを休んでいましたが再開させてもらいます。

2021年06月11日 | 信仰(宗教)

前書き(長らく休んだ言い訳?)

健康を害したからではなく、いたって元気です。武漢肺炎(今や旧型コロナウイルス)騒ぎの延長で何だか虚しくなりました。

以前からFBはやっていましたが発信はあまりせずにコメントを入れたり”良いね”を押したりするだけのものでした。

コロナ騒ぎで身内や友だちに会う機会が少なくなりましたのでFBで毎日発信してまだ元気に生きている(遊んでいる)のを確認してもらっています。

コロナ騒ぎが起こってから1年半になりますが日本の国は(世界もですが)進化が止まりましたね。特に政治の退化とマスゴミのゴミ化がヒドイ。

暴力革命による世界の共産主義化が失敗し、本来の世界のグローバル化による共産主義化が勢いを増してきました。

日本国民としてイカに老いぼれたと言えども黙っている訳には行かなくなってきたと判断して以前にも増してグニモツカナイ独断と偏見のブログを再開します。

「御用とお急ぎでない方」は時々見てやってください。未だ引退もできずに神主を続けていますがもう仙人の歳になってしまいました。(神通力はありませんが)

これからは「京都北山細野の神主」改め「京都北山の仙人」とでもタイトルを変えたいと思っていますが変え方がわからないので副タイトルで誤魔化します。

今でもこの辺り(京北町細野)の三社のお宮さんの宮司を引き受けていますのでカテゴリー「神主(信仰)」から再開します。

何べんも言いますが「神道は宗教ではありません」が私の基本姿勢です。これについてはオイオイ書いてゆきます。

まず最初に次の詩を読んで下さい。昔から私の好きだったものです。

>ニューヨーク市立大学のリハビリセンターの壁にある患者の書いた詩<から引用

>大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと、神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。

より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、より良いことが出来るようにと、病弱を与えられた。

幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。

世の人の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。

人生を享楽しようとし、あらゆるものを求めたのに、あらゆるものを喜べるようにと、生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた、神の意にそぐわぬ者であるにかかわらず。

心のなかで言い表せないものは、すべて叶えられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。<引用終わり

宗教ではなく信仰に気付くのはこの詩ではないでしょうか?まず、じっくり、ジックリ、味わってください。

続きは次回のカテゴリー「神主(信仰)」に。

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